4年 小島香澄
赤い雪を見たことがあった。この記憶は先日の大雪の際に唐突に思い出された。幼少期の私にとって雪とは白いものであった。できれば誰も触らないで、足跡も残さないで、積もったそのままでいてほしい、真っ白な雪。それなのに、あろうことか赤くなっていたのである。きっと当時の私は理由を探しただろう。近づいてみて、大人を呼んでみて、尋ねてみて。
今思えばそれは発情期のオスのウサギの尿である。当時、そんなことを言われても到底理解できなかったであろう。しかし、分かるようになってから、用意されていた答えはきちんと手に入った。
梅干しのタネが私を恐怖に陥れたこともある。幼稚園に通っていた頃、給食の梅干しをタネごと食べてしまった人がいた。先生は「明日、おへそから芽が出る」と言った。そんなことがあってよいのか。信じられなかった。家に帰って何度も親に確認した。どうやらタネは便と一緒にそのまま出てくるらしい。もちろん、翌日にはへそから発芽した人はいなかった。しかし、それ以来、梅干しを見る度に私の中では、体内にタネが入ってから発芽するまでの妄想が繰り返されていた。この梅干しのタネが消化されないで排出される過程は種子散布と関係しているかもしれない、そう気付いたのは最近になってからである。
赤い雪にしても、梅干しのタネにしても、意識的に追い掛けていたわけでもなければ、答えや続きを求めていたわけではないことが、突如、今に繋がっていそうなことを思い出すことがある。客観的に考えたらこじつけに思われるかもしれないが、私には意味があるような気がしてならない。初めて不思議に思った気持ちを忘れるな、ということだろうか。今なら当時の疑問に答えられる、そういうことだろうか。今はまだその意味ははっきりしない。もしかしたらまた時間が経てば、その答えは分かるようになるのかもしれない。
そういう幼い頃の疑問や過去の気持ち、今、考えていても明日には忘れていそうなこと、ふいに思い出したときに、答えは意外とすぐ側にあったりする。急がなくていい答えなら、長い目で見た方がよいときもありそうである。