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観察 Observation

研究室メンバーによる自然についてのエッセー

返答と追伸

2013-02-02 11:06:07 | 13.1
4年 小島香澄


 赤い雪を見たことがあった。この記憶は先日の大雪の際に唐突に思い出された。幼少期の私にとって雪とは白いものであった。できれば誰も触らないで、足跡も残さないで、積もったそのままでいてほしい、真っ白な雪。それなのに、あろうことか赤くなっていたのである。きっと当時の私は理由を探しただろう。近づいてみて、大人を呼んでみて、尋ねてみて。
 今思えばそれは発情期のオスのウサギの尿である。当時、そんなことを言われても到底理解できなかったであろう。しかし、分かるようになってから、用意されていた答えはきちんと手に入った。
 梅干しのタネが私を恐怖に陥れたこともある。幼稚園に通っていた頃、給食の梅干しをタネごと食べてしまった人がいた。先生は「明日、おへそから芽が出る」と言った。そんなことがあってよいのか。信じられなかった。家に帰って何度も親に確認した。どうやらタネは便と一緒にそのまま出てくるらしい。もちろん、翌日にはへそから発芽した人はいなかった。しかし、それ以来、梅干しを見る度に私の中では、体内にタネが入ってから発芽するまでの妄想が繰り返されていた。この梅干しのタネが消化されないで排出される過程は種子散布と関係しているかもしれない、そう気付いたのは最近になってからである。
 赤い雪にしても、梅干しのタネにしても、意識的に追い掛けていたわけでもなければ、答えや続きを求めていたわけではないことが、突如、今に繋がっていそうなことを思い出すことがある。客観的に考えたらこじつけに思われるかもしれないが、私には意味があるような気がしてならない。初めて不思議に思った気持ちを忘れるな、ということだろうか。今なら当時の疑問に答えられる、そういうことだろうか。今はまだその意味ははっきりしない。もしかしたらまた時間が経てば、その答えは分かるようになるのかもしれない。
 そういう幼い頃の疑問や過去の気持ち、今、考えていても明日には忘れていそうなこと、ふいに思い出したときに、答えは意外とすぐ側にあったりする。急がなくていい答えなら、長い目で見た方がよいときもありそうである。

白の世界

2013-02-02 11:04:55 | 13.1
3年 千葉琴美

 一面がきらきらと輝いていて、真っ白だ。
 私は去年の12月26日に初雪を見た。一足先に雪が積もっていたその場所は、長野県にある浅間山である。前回足を踏み入れたときは、草木が繁茂していて緑も花の色もあり、色とりどりであったのだが、今回は白色で地面が埋め尽くされ、そこから茶色の木や枝が伸びているだけである。草木の揺れる音は聞こえない。あたり一面を埋めた白色の雪はきらきらと揺れている。触れることがもったいないくらいにきれいに整っていたが、思わず触れ、手にとってみた。すると融けずに手の上に残っていた。そして傾けるとさらさらと落ちていく。今度は雪玉を作ろうと、雪を取り、「ぎゅっ」と手を握り広げてみると…驚いた!さらさらすぎて固まらずに元に戻ってしまうのだ。自分が知っている握れば固まる雪とは全く違う雪だ。気温が低いのだなと改めて感じた。
 雪といえば雪だるまや雪合戦、かまくらなどを思いつくが、このような雪の状態では北海道などの寒くて雪が多く降る場所での雪合戦やかまくら作りは、雪が固まらないのでできないのではないかとふと思った。
 山を歩き景色を眺めると、標高の低いほうで雪雲がうっすらとかぶっていた。よく目を凝らしてみると、その雪雲の真下にある杉の群落の木に雪がかぶっていた。標高が高いところから眺めると、その境界線がはっきり見えた。
 歩いている途中で、「ばさ、がさがさ」と音が聞こえたので見渡したがなにも見当たらない。また少し歩くと再び同じような音が聞こえた。注意深く耳を澄まし音の方向へ目を凝らしてみると、鳥がいた。なんの鳥であるかは分からないが、どうやらずっと自分の周辺にいたようだ。なぜだろう。
 うっすらと積もった雪を木の棒で掻き分けながら歩くと、雪の下に笹が隠れていた。また、シカやカモシカの糞が雪の間に隠れていた。まだ新しいものだ。
 幻想的であり静寂な雪景色の中、見えないどこかでひっそりといきものたちは暖かい春を待っている。

ゾウのはな子

2013-01-30 00:08:15 | 13.1
4年 佐野朝実

 お正月になると従兄弟と祖母と食事をするのが我が家の恒例行事の一つである。今年は1月2日に吉祥寺でご飯を食べた。吉祥寺に来ると私はある場所に行きたくなる。幼少期から幾度となく足を運んだ「井の頭自然文化園」である。母の実家は三鷹にあったため、母に連れられて吉祥寺・三鷹方面に行くことが多かったのだが、帰りに寄ってモルモットの触れ合いコーナーにずっと居座るというのが私のお決まりであった。そのため私の中では「井の頭自然文化園=モルモット」という図式がとても強くあった。
 小学生になると夏休みに動物園が企画するサマースクールに参加した。私はゾウのはな子のグループに振り分けられ、花子の檻のバックヤードに入り飼育員のお話を聞いたりした。そして最後にはな子に触れながら写真撮影をさせてくれた。そんな貴重な体験から、ゾウのはな子には強い思い入れを今でも持っている。


サマースクールでゾウの花子と(筆者は右から2番目)

 そして今年の1月2日に吉祥寺に来た時もモルモットを抱っこし、ゾウのはな子に会いに行きたいと思った。新年早々であったが、動物園には子ども連れが多かった。ゾウのはな子は相変わらず人気で、檻の前にはお客さんが比較的多くいた。私は久々にはな子を目の前にして悲しい気持ちになった。今年で65歳になったはな子は両目の上の部分が大きく窪み、全身やせ細っていた。狭い檻の中で身体を揺すりながら行ったり来たりする姿を見て胸が苦しくなった。テレビなんかで見る生き生きとした野生のゾウの姿はどこにもない。本来なら森林に生息し、何十キロと移動を繰り返し群れで生活しているはずである。
はな子を見に来た子どもたちに「ゾウ」という生き物がどのように映ってしまうのか心配でならなかった。

トラップにかけられた!

2013-01-23 16:25:30 | 13.1
3年 笹尾美友紀

「テンナンショウ」という植物をご存知だろうか?マムシグサ、ウラシマソウ、ユキモチソウという名前なら聞いたことがある方もいるかもしれない。テンナンショウはこれらを含む、サトイモ科テンナンショウ属の植物の総称である。


テンナンショウ 2012.6/14 八ヶ岳 (撮影:安本)

 テンナンショウを山、森で見た人は気持ちが悪い、毒々しいなどのマイナスの言葉で表現することが多い。苦手な方からすると、
「うわ!出会っちゃった!」
という感じだろうか。しかし私にとっては群生するウバユリの方が気味が悪い。テンナンショウほど美しく、謎に満ちた素晴らしい植物は存在しないのではないかと思っている。そんな大好きな、大好きな研究対象である。


群生するウバユリのつぼみ 2012.7.15 アファンの森

私の研究テーマは、テンナンショウの受粉が誰によって為されているのかを明らかにすることである。一般的にはキノコバエ科、クロバネキノコバエ科だと言われている。この話をする前に少しテンナンショウの説明をしよう。
 テンナンショウの「花のようなもの」は仏炎苞といって葉が変形したものである。この中にとうもろこし状の肉穂花序と呼ばれる花がついている。テンナンショウは雌雄異株で、小さいときはオスであるが、大きくなるとメスへ性転換する。オスとメスの違いの1つに、仏炎苞の出口の有無がある。オスには仏炎苞の下の方に隙間があるが、メスにはない。出口の有無はポリネーター(受粉をする昆虫)にとって生死を分ける非常に重要なものである。


テンナンショウの仏炎苞 2012.5.19 アファンの森


入口と出口の位置

匂いに引き付けられて入口から仏炎苞に入った昆虫は、壁がツルツル滑るため上へ行くことはできない。つまり入口には戻ることはできないのである。しかしオスの仏炎苞は出口があるため、昆虫はそこから外に出ることができる。しかしメスには出口がないため一生外には出られず、そこで死んでいくしかない。このオスとメスの仏炎苞の構造の違いは、ピットホール(落とし穴)トラップとも呼ばれている。
 ここでキノコバエの話に戻ると、実はポリネーターが誰であるのかはこの死んでいる昆虫の数で判断されているようである。しかしただ単にトラップにかかっただけの可能性も捨てきれない。論文や文献を読んでも本当だろうか?という疑問がどんどん湧いてくる。そこで今年は、本当に昆虫はメスの仏炎苞から出られないのか?外に出るのに出口をきちんと使うのか?を調べてみるつもりである。


メスの肉穂花序と仏炎苞の中で死んでいたキノコバエ 2012.6.18

 11月の長野県アファンの森でテンナンショウの実にキノコバエが来ているのを見つけた。日によっては雪も降り、昆虫の姿はほとんど見かけなくなった11月のアファンの森で、生きているキノコバエが見られたのはとても不思議であった。しかも場所は受粉を手伝う植物の実の上である。一体何をしに来たのだろうか。
テンナンショウは観察すればするほど新しい発見がある。昨年の春から観察してきたテンナンショウは、いま雪の下にある。春になって再会するとき、どんな姿で、何を見せてくれるのだろう。これも知りたい、あれも知りたいとつい欲張りになってしまう。
花言葉は「壮大な美」。これが表すのはテンナンショウの仏炎苞だろうか、それとも赤い実だろうか。どちらの姿にしても美しいと私は思う。キノコバエと同じように、気が付くと私は、森の中で一際目を引く植物に魅せられ、すっかりトラップにかかってしまったようだ。トラップにかかったキノコバエと私を見て、作戦通りと彼女たちは笑っているのだろうか。きっとこのトラップからは逃げられない。


赤くなり始めたテンナンショウの実 2012.10.15 アファンの森