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観察 Observation

研究室メンバーによる自然についてのエッセー

誰がわるもの?

2014-05-04 11:13:10 | 14
3年 土屋若葉

 去年、大学のケヤキの木から三羽のハシブトカラスが巣立っていきました。先々月のバレンタインの日、その巣が何者かに壊され、木の下には巣の残骸が散らばり、降ったばかりの大雪を黒く汚しました。しかし、その次の日のことです。場所を変え違うケヤキの上に立派な巣が完成していたのです。
「今年もカラスたちの繁殖を見守ることができる!」
私はとても嬉しくなりました。
 巣を壊したのはきっと親カラスでしょう。古くなった巣から、ちょうどいい枝を再利用して新居を建てたのです。しばらくすると、新居の下に、
『カラス営巣中 頭上にご注意ください』
と看板が立ちました。私はまた嬉しくなりました。
 実は去年巣立った子カラス達は最初うまく飛べず、学生がたくさん利用する駐輪場で動かなくなってしまったのです。何も知らず、自転車を置きに来る学生は親カラスから見たら、我が子に不用意に近づく大きな敵です。当然、子供を守ろうと大騒ぎ。しかし、子カラスが自転車のあいだで休んでいることを知らない私達から見たら、カラスが急に襲ってくるように感じます。大学の職員さんから見たら、親カラスは学生を襲うやっかい者です。このため、親カラスは長い棒で追い払われてしまいました。去年の事件を知っていた私は、
「今年は看板ができたくらいだから、私達人間がカラスに歩み寄り、みんなで見守れる」
と思いました。大学の職員さんたちがカラスの目線にたち、私たちが不用意にカラスを刺激しないよう注意してくれているのだ、と。
 しかし、それは私の勝手な思い込みでした。3月下旬、カラスの巣は大学の職員さんの手によって撤去されてしまったのです。巣には四つのまだ温かい卵がありました。それから、今日まで学内にカラスの巣が再建されていません。
 私は悲しい気持ちになりました。悲しいのは、もちろんカラスがかわいそうだということもありますが、同時に自分がどうすればよいかに明快な答を見いだせないからでもあります。大学の職員さんは学生の安全を確保するのがお仕事ですから、責任上粛々と仕事をしたということでしょう。その立場からすれば「人の住む空間からは危険な動物は排除する」というものでしょう。でも、カラスやスズメは長い日本の歴史の中でつねに人と仲良く共存してきたはずです。鳥が共存してきたのではなく、人が鳥を許容してきたということだと思います。
 麻布大学は環境や動物との共生をかかげています。カラスの危険な面を理解した上で、動物学の知見を活かして排除以外の共存を模索できなかったのでしょうか。この大学がそれをしないで、どこの大学がそれをするのだろうと感じました。


意外な一面

2014-05-03 17:33:58 | 14
4年 岩田 翠


 5月にはいり、暖かい日が増えてきました。植物や鳥たちの活動も活発になり、なんだか家の周りが賑やかになった気がします。
鳥たちはこの時期からヒナ育てが始まります。私の家の周りでも毎年ある鳥が子育てを始めます。黒くてちょっと不気味なイメージ…。そう、カラスです。家の近くにある鉄塔や竹藪に巣を作り、ヒナ育てをします。このカラスたち、困ったことに人にちょっかいを出してきます。毎年、けが人まででる大騒ぎです。ヒナを守るのに必死なようです。
 そんな中でも、私はカラスに襲われたことは今まで一度もなかったのですが、一昨年ついにカラスに襲われました。いつも通り道を歩いていると、カラスが後ろから近づいてきて、私の頭を足で叩いていきました。その後もカラスはしばらく鳴き続け、追いかけてきたので私は必死になって逃げました。それ以来、怖くなってしばらくの間その道を通ることができませんでした。
 それから少しして、本屋さんをぶらぶらしていると、カラスに関するおもしろそうな本を見つけました。さっそく購入して読んでみることに。そこにはなんと「カラスは人が怖いから、人を襲うことは滅多にない」と書かれていました。むしろ人が近づくと逃げるようです。さらに「カラスに襲われたと思うのは人の勘違いであり、カラスとしては人の頭を意図的に叩いたわけではなく、威嚇のため低空飛行したらたまたま足が当たってしまったのだ」ということ。怪我をさせられることはほとんどないそうです。ヒナ育て中のカラスの親は子を守るのに必死なようで、人を襲うこともあるようですが、今まで私が持っていたカラスの怖いイメージとはかけ離れた可愛らしいカラスのようすが書かれていました。
 このことを知った私はつい最近、ちょっとした実験をしてみました。まだ、ヒナ育ての始まってないカラスが群れでいるところを見つけました。今までだったら避けて歩くところを、カラスの群れに向かってどんどん近づいてみました。すると本に書いてあるとおり、カラスはどんどん逃げていくではありませんか!意外な一面があることにびっくりしたのと同時に、可愛らしさを感じました。身近にいる動物たちもまだまだ知らないことがたくさんあってもっといろいろ知りたいと思うような出来事でした。

またの春

2014-04-15 06:51:18 | 14
 小平にすんでいて、大学に行くのは西武新宿線といって新宿と拝島をつなぐ私鉄にのります。ほぼそれと並行して玉川上水が走っています。江戸時代に作られた運河ですが、今は散歩道として親しまれています。上水沿いに細い林がつづきますが、ところどころでは幅の広い林もあります。その電車が西に向かうとき、途中に「玉川上水」という名の駅があり、そこを降りると上水にすぐ行けます。春らしくなったので途中下車してのぞいてみました。
 光が溢れていて、春がきたなとわくわくしましたが、そのときふと今まで感じたことのない思いが心にふっと湧きました。

「この春をあと何度眺められるだろう」

そういう思いは今までなかったことです。このところ、私は大学があと1年で退官なので、いろいろなことが「これで最後だ」と思うようになり、そういう心の動きが春のことを思わせたようです。「野生動物学」という講義は何度もあり、最後のときは「これが最後だ」と思うのでしょうが、「4月の講義」と考えれば、それが最後なのだと、感慨めいたものがあります。




大きな問題への小さな貢献 ― カモシカを調査して ―

2014-03-09 23:07:32 | 14
4年 朝倉 源希

 大学入学当初、私は野生動物の農業被害に興味を抱いていた。農業被害に関するニュースを見て、動物が暮らしていた森を人間が切り開いて利用しているのに、そこに暮らしていた動物が被害を出す害獣として駆除されることに違和感を感じていたためである。一方でこの問題は農家の方々の生活だけでなく、我々の食への影響も絡んでおり、簡単には解決することが出来ないことも理解していた。それでも、この問題に対して自分の出来る範囲で少しでも役立ちたいという思いから、研究室は野生動物学研究室を志望した。
 そこで私は卒業研究のテーマをキャベツで有名な群馬県の嬬恋村の耕作地付近に住むニホンカモシカについて調べることになった。ここではアンケート調査の結果、被害の原因は主にカモシカによるものといわれ、過去5年で70頭ものカモシカが駆除されている。それで被害がなくなっているのなら、かわいそうだがしかたがないと思うが、被害面積は依然として高いままなのである。私は天然記念物であるカモシカが駆除されているのを知って驚くと当時に、本当に駆除しないといけないのか、駆除しないでも解決する方法はないのだろうかと考えた。私はカモシカが耕作地に出るのは林内の食物が少ないからではないかと考え、耕作地付近に暮らしているカモシカが森林よりも耕作地を好んで利用しているかどうかと、そのことと食物供給量は関係しているのかどうかをあきらかにしたいと考えた。そして、2個体のカモシカを対象に、耕作期間(5~11月)の昼夜連続した追跡調査と生息地の食物供給量の測定を行なった。
 食物供給量は予想通り林内が少なく、耕作地のほうが4倍以上も多かった。だが、カモシカは、1個体は春は耕作地を利用せず、夏も秋も利用度は低かった。もう1個体は耕作地を一切利用せず、耕作放棄地は夏には選択的に利用したが、秋はあまり利用しなかった。林内には植物が少なかったとはいえ、飼育カモシカの最大食物摂取量の16.5倍もの食物があり、カモシカにとって食物は十分あることもわかった。
 また2個体とも耕作地への侵入時間は夜間に多かったことから、人との接触を好まないと考えられた。また、耕作期間の耕作地には電気柵が張られていたことから、これによって侵入が阻まれた可能性が大きい。
 今回の研究によって林内には十分な食物供給量があり、耕作地付近に生息するカモシカでも耕作地を選択的に利用しない個体がいることがあきらかとなった。こういうカモシカに対しては、人がいることや電気柵があることが有効な防除対策になる可能性が高い。
 カモシカの群落利用や行動を知らずに、ただ耕作地付近に生息しているという理由でカモシカを駆除したら、本調査で調べたような個体は駆除されてしまったかもしれない。電気柵などで防除効果が得られる可能性の高い個体をむやみに駆除することは避けるべきだと思う。
 このように入学当初から興味を持っていた問題に対して、ささやかではあるが卒業研究で携わることができた。私自身はこれで卒業してしまうが、今回の自分の研究がこれからの農作物被害問題の解決に少しでも貢献できれば幸いである。 


星をみつけた

2014-03-09 17:23:47 | 14
4年 笹尾美友紀

 大学生活を振り返ってみると、いろいろな思い出が溢れだしてきた。私が麻布大学に入学したのは、「動物が好き」「野生動物の保全に携わりたい」と思ったからであった。しかし大学に入って周りを見回してみると、イヌの種類をペラペラ喋る人、動物園の動物の展示の順番をほぼ正確に覚えている人、大好きな動物を見るために全国飛び回っている人など、並外れた動物好きがわんさかいた。そんな人たちの中では、私の「動物が好き」という気持ちはミドリムシぐらい小さなもので、いつしか自分が本当に動物を好きなのか分からなくなってしまっていた。
 そんな私が大学生活の中で一番熱くなれたのは、野生動物学研究室に入って出会った、テンナンショウという奇妙な植物だった。動物応用科学科なのに植物、しかも聞いたこともない変な植物。研究室に入室して研究テーマについて話しあっていたとき、高槻先生が発した「アイデアがあります。」の一言で、私の世界はがらっと景色を変えた。テンナンショウという植物について紹介された文を読み進めるうちに、鳥肌がたち、胸が高鳴り、今までにないくらいわくわくした。すごい面白そうな植物だ、やってみたい、でもこんな凄そうなの自分がやっていいんだろうか?自分にできるんだろうか?・・・でもやりたい!!!
 それからというもの、テンナンショウを見たいがためにいろいろな場所に出かけた。調査地であるアファンの森でも、どんな変化も見逃すまいとテンナンショウを見つめ続けた。テンナンショウの隣に座りこんで「休憩」という名のサボりもたくさんした。苦手な英語の論文も頑張って読んで、それでも分からない不思議な現象をたくさん見た。知りたいことが多すぎて、軸とはぶれたデータもたくさんとった。
 気づけば、私の頭の中も隣にも、いつもテンナンショウがいた。テンナンショウのことを考えるとわくわくが止まらないし、あれも知りたい、これも知りたいと欲張りになった。そして「いつかテンナンショウの生活史の謎を暴いてやる」というこれからもずっと追いかけたい夢も生まれた。もうきっとテンナンショウに出会う前の私には戻ることはできないし、戻るつもりもない。
 この二年間を振り返って、私は学問的にも人間的にも少し成長できたように感じている。それには頼れる先輩といつも自分のことを思ってくれる友人たちの存在が大きいと思う。わくわくする楽しさ、周りを見ることの大切さ、人を思いやる難しさ、人に感謝してそれを伝えることの大切さ。先輩たちからは自然に対する考え方だけでなく、たくさんのことを教えていただいた。友人たちとは厳しいことを言い合ったりもしたけれど、「相手のため」という気持ちが大前提にあった。野生動物学研究室では、素晴らしい研究対象に出会えただけでなく、素敵な人たちに囲まれることができた。本当に濃くて、幸せで、わくわくした二年間だった。



「テンナンショウに引き合わせたのはよかったのか?」
 送別会のときにいただいた、色紙に書かれている高槻先生の言葉はその一言だけだった。この文章が、先生からの問いへの返事になるでしょうか。
 この文章を書いている今、あっという間に就職先の研修が始まって、卒業という気分を味わう間もなく、次に向かって歩み出してしまった。学生時代の思い出も、テンナンショウへの想いも、まだうまくまとまっていない。将来もうまく思い描けないけれど、天南星(テンナンショウ)は漢字の通り、天に浮かぶ星として、私の夢へと続く道をしっかりと示してくれているように思う。
 研究室で過ごした二年間のように、いつかみんなでまた集まってわいわいと語り合いたい。そして相手の考えに厳しく意見をするけれど、互いを尊重して、終わったらまたすぐに笑いあえるような関係をこれからもずっと続けていきたい。この二年間に私と出会い、暖かく見守ってくださり、たくさんのお言葉をくださったすべてのみなさまに。ありがとうでは足りないありがとうを。