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観察 Observation

研究室メンバーによる自然についてのエッセー

スギ林の色

2014-07-23 21:25:11 | 14
4年 望月亜佑子

 スギの林は、茶色い ― そんなイメージがある。まっすぐに伸びたスギの幹、下層植生が少なく、むき出しの土壌、落ちた枯れ枝やスギの葉。虫もいないし、なんだか、全体的に暗く、茶色く、さみしい。
 私の調査地であるアファンの森にそんなスギ林である国有林があった。そこが3年前に間伐が行われた。するとどうだろう。みるみる草本や低木が生えて地面を覆いつくしてしまった。茶色いスギ林は緑色になった。林が生き生きしているように見えた。あの何も生き物がいないようにみえたスギ林の土の中に種子が眠っていたに違いない。これだけでもすごい変化だが、植物が生えたのだから花が咲くかもしれないと期待した。だが、春にみた限りではたくさんの葉は出たものの、花はあまり咲かなかった。明るくなって、昆虫も飛ぶようになったが、花がないので、止まるところを探しているように見えた。
 それが今年の7月末のことである。間伐林に行くと、ところどころが白くなっているように見えた。「もしかしたら」と思って、林内に分け入っていくと、なんと花が咲いていた。白くみえたのは大きいトリアシショウマやヒヨドリバナだったようで、そのほかにもやはり白い花のヒメジョオンも、オカトラノオも、うすい茶色のようなイタドリも、ピンクのヌスビトハギも咲いていた。明るいところを好む夏の花が人工林に咲いたのだ。それも一つ二つではなく、たくさん。花たちは太陽の光に照らされてとてもきらきらしている。
 さらに、その花を一つ一つ見ていくと、ハエやハチが来ていた。それだけではない、なんと、チョウもきているではないか。


ヒヨドリバナと双翅目


ヒヨドリバナとガ


ヌスビトハギとカメムシ

 他にも甲虫が交尾していたり、ハナグモが虫を捕食していたり、虫たちの営みが始まっているのを見ることができた。春に花がなくて止まるところを探していた虫たちもよろこんでいるようにみえた。見違えるように命でにぎやかになったスギ林をみて、私はとても嬉しくなった。同時に、茶色いイメージのスギ林にこんな大きな潜在力があることを実感できた。

 このスギ林はこれからどんな色に変化するだろう。草本や低木の葉が色づき赤や黄色になるだろうか、結実して紺や紫になるのだろうか。もしかしたら、晩夏や秋には違う色の花が咲くかもしれない。来年はどうだろうか。
 林の中はいろいろな色になる。刻一刻と変化していく林を見逃さないように観察にしていきたい。と同時に林が元気な色になっていけばいいと思う。

調査に同行して

2014-07-23 16:20:24 | 14
3年 野々村遥

 野生動物研究室に入室してから初めて野外調査に同行したのは乙女高原でした。5月の上旬で、私の住んでいる所ではもう春は終わりかけていましたが、乙女高原ではまだ早春という感じでした。高槻先生の運転する車で、乙女高原まで行きました。車で高原まで上がるときに、先生は去年来た時よりも下層植生がシカに食べられていると説明してくれました。説明の中で印象に残っているのがハシリドコロという植物で、茎が太く、下を向いた変わった花をつけている植物で、先生によると、有毒でシカが食べないためにふつうの場所よりも多く、影響の強い場所ではこういう植物しか生育していないということでした。


ハシリドコロ(中央の緑)とシカに樹皮をはがれたウラジロモミ


ハシリドコロの花

 乙女高原はその日、新しいシーズンのための遊歩道づくりとスミレの観察会がありました。私たちが乙女高原に到着したときには、遊歩道づくりの作業がほぼ終わっていました。スミレの観察会では、ミヤマスミレ、タチスボスミレ、シコクスミレなどのスミレを見ることが出来ました。どの花もとてもかわいかったです。


ミヤマスミレ


アケボノスミレ


シコクスミレ

 乙女高原の帰りに琴川ダムによりました。ダムの上からみる山は私にとっては、豊かに見えましたが、実はそこは針葉樹が植林されていた人工林の山でした。人工林として植えられる木は比較的成長が早く、建築用途に適した、スギ、ヒノキ、カラマツなどだそうです。私は今までこういう林床が暗い人工林を見ても、豊かな森だと感じていました。でも、同じ林でも、落葉樹林は明るいので下にいろいろな低木や草本が生えており、その結果、動物も豊富なのだそうです。
 私は自分は自然が好きだと思っていたつもりですが、林に違いがあることや、その意味を知りませんでした。ダムでの話は私にとって印象深いものになりました。
 そういう体験もあって、帰ってから、自分がこの研究室に所属してこれから何を学び、どのように自然と関わることが出来るのだろうかとあれこれ考えました。そしてもっと知って、考えなければならないと感じました。乙女高原の調査に参加して、知らないと見えない、知るということが、自分の見える世界を拡げ、自分を変えるのだと思いました。


富士山をバックに記念撮影:高槻先生、大竹さん、私、富永君

かくれんぼ

2014-06-25 15:35:54 | 14
4年 中川知己

 私は今年の2月から真剣に「かくれんぼ」をしている。私が鬼役で、ずっと惨敗し続けている。かくれんぼの相手はトウキョウサンショウウオだ。
 私のかくれんぼは1日に6時間ほどおこなっている。鬼役から代わることはなく、ひたすらサンショウウオを探し続ける。発見例の多いといわれる落ち葉や倒木、大きな石をどかし、小動物が利用した穴の中を探すのだが、まったく見つからない。サンショウウオの気持ちにならなきゃダメだよとアドバイスをいただいたこともあったが、それでも見つからない。どうやら私はサンショウウオの気持ちになりきれていないようだ。
 逆の立場のトウキョウサンショウウオのことを考えてみる。サンショウウオはかくれんぼを24時間365日おこなっている。これは自然界で生き残るための命がけ戦略である。天敵に見つかることは死を意味しているからだ。多くの両生類は天敵に見つかったときのために何らかの対策を備えている。身体からくさいにおいを出すツチガエルや、神経毒を出すアカハライモリなどが例である。しかし、トウキョウサンショウウオの場合、身体をよじることくらいしかできない。身体からべたつく液体を出しているようだが、これが天敵となる動物に効果があるのかは明らかになってはいない。
 このように他の両生類のような天敵への対策を持たないサンショウウオがこれまで生き残ってきたのは、見つからないことに特化した戦略をとっているからだと私は思う。ある研究によると天敵となりうるヘビと活動時期をずらし、林床の地下深くで生活しているという。地上で生活し天敵がいない私たち人間からすれば、かくれんぼのプロといっても過言ではないだろう。4か月かくれんぼをし、負け続けて、サンショウウオの生存戦略が洗練されたものだということを身を持って経験した。


谷戸沢処分場の池で繁殖期(2月)に見られたオス…彼はこの後「かくれんぼ」をしたままだ。

「ぼくもうシャベルしない」

2014-06-25 06:49:04 | 14
教授 高槻成紀

 6月22日にアファンの森にいた。前日から調査に来て、ある作業をしていた。自然界で動物が死んだ場合、その死体はどう分解されるのだろう。どういう動物が死体を食べに来て、何日くらいで骨になるのだろう。ヨーロッパの文献によると、ヨーロッパバイソンの死体にはまずワタリガラスが来て、独特の鳴き方をすると、オオカミが来て厚い皮を裂き、それからタヌキなどが食べにくるという。こうした動物が重要な分解者としての役割を果たしているわけだ。私はこれをアファンの森で調べてみたいと思い、21日の夕方にアナグマの死体を森に設置した。それを翌朝の早い時間に確認に来たのである。死体の設置や観察は緊張をともなう作業なので独特の心理的ストレスがある。
 そのとき携帯電話が鳴った。「だれかな?」とみると画面に次女の名前がある。あまり私に電話をしてこない子なので、「どうしたのだろう?」と、死体を扱っていた私は、少し不穏な思いを持ちながら、電話に出た。すると、娘の声よりも3歳の男の子の声のほうが大きく、何かさかんに話しているが、わからない。それでも一生懸命になにか伝えようとしているのはわかったので、ひととおり聞いてから「お母さんに代わって」と言った。母親によれば、飼っていたカブトムシの幼虫が蛹になったのだが、葵という名のその子が、好奇心もあって、シャベルで触ったら角が折れたらしい。どうなるかと聞くので、そのまま脱皮して羽化すれば、角のない成虫が出て来るが、その傷がもとで死ぬこともあるだろうと答えた。

 あとで聞いたら、葵は自分がシャベルでさわったために角が折れたことにただならぬことをしたと感じたらしい。そのようすから、娘は日曜日の早朝だが、おじいちゃんに聞かないとまずいと思って電話したようだ。
 葵はいま幼稚園に通いはじめたところだが、2年生のいとこがいて、二人とも昆虫が大好きなので、週末に我が家に来ると私の昆虫標本を眺めたり、図鑑をみたりして、昆虫の話をする。話というより、標本を指差して「これはなあに?」と聞き、私が「カミキリムシ」などと答えるだけのことが多いのだが、それが楽しいようだ。
 4月に近所の雑木林で、そのいとこがダンゴムシをとろうと枯葉をかきわけていたとき、「カブトムシの幼虫ってどういうところにいるの」と聞くので、いないとは思いながら低木の下に枯葉がつもっているところを指差して「こういうところかな」というと、土を掘り始めた。ビギナーズラックというのだろうか、なんとそこに巨大な幼虫が姿を見せた。しかも何匹もいた。それを持ち帰って飼育していたのだ。
 水槽に土を入れて幼虫を飼育し、ときどきようすを見て羽化するのを楽しみにしていたようだ。私の電話のあと、娘はおじいちゃんが話した内容をゆっくり息子に説明したらしい。彼にしてみればそれは大きなショックだったようだ。自分がシャベルでさわったことで蛹の角が折れた。そして悪くすれば死んでしまうかもしれない。小さな胸は張り裂けるようだったのだろう、そのあと大泣きに泣いたという。そして言った

「ぼくもうシャベルしない」

 その気持ちを思って母親もいっしょに抱き合って泣いたと話していた。幸い、もう一匹飼っており、翌日に立派な蛹になったのだそうだ。



 3歳の少年はこのことをどうとらえたのだろう。まだ気持ちをうまく言葉で表現できないが、少なくともカブトムシが自動車のおもちゃなどとは違うことは感じただろう。じっと土の中にいる幼虫の体の中で変化が起きて、育つのだということはわかったはずだ。傷ついたカブトムシには悪かったが、生き物を飼えば、死ぬのを見ることもある。そうした体験を通じて生き物が生きるということをなんとなく感じるのだと思う。娘は娘で、自分が出産したときに、自分もがんばったが、赤ちゃんががんばっていると感じたらしいが、今回、カブトムシの体の変化を知ってそのときの感覚を思い出したらしい。生き物が一生懸命生きていることを実感するとき、私たちはそういう感慨に胸打たれる思いがする。

 3歳の少年はもちろん、その母親も、じいさんもドキドキした日曜日の朝であった。

馬搬を垣間見る

2014-06-01 23:06:23 | 14
教授 高槻成紀

 2014年5月28日にアファンの森で馬搬をみせてもらった。馬搬とは馬で材木を運び出すことで、重機を使う以前は日本中でおこなわれていた伝統的な林業技術のひとつである。
 私は小学生のころ、母の実家が農家なので、夏休みに行ってウシに餌をやるなどの体験があるが、家畜をほとんど知らない現代日本人といえる。モンゴルに行くようになって、家畜のすべてについての知識や技術、それに日常生活における意味の大きさなどを知るにつけ、「自分たちはそういう伝統から切り離されてしまっているのだ」という、さみしいような、これでいいのだろうかというような思いをもつことがあった。あるとき、モンゴルの女性の大学院生に、学生がひとりで調査に行くのに自動車を出すというのも経済的にたいへんだろうと思い、バイクでも使うのかと思ってきいたところ、
「ウマで行きます。」
と聞いて、とっさに返事ができなかった。その返事は「なんでそんな当たり前のことを聞くのか」というふうだった。
 さて、アファンの森での馬搬だが、黒くたくましい輓馬がスギの材を引出していた。



 一息入れたところで、馬をあつかう岩間さんが話をしてくださった。まだ三十歳代半ばの若い人で、話が合理的なことにおどろいた。
 自分の家は農家だから、草はほぼ値段がかからず、少しヌカとかダイズを与えるがほとんどただのようなものだという。灯油代がかかる機械とはくらべものにならないし、なにより石油エネルギーではなく太陽エネルギーを使うのだから、値段が安くなくてもそのほうが未来的であるという。
 馬使いの伝統をていねいにマスターしながら、つねにもっとよいものはないかと問い続けて、よいと思うものは積極的に取り入れる。馬そのものにすぐれた道具を組み合わせると思いがけないような力を発揮できるという。
 ウマの体調や気持ちも手に取るようにわかるようでその話もずっときいていたいほどおもしろかった。
 私が一番感銘を受けたのは山持ちとのやりとりについての話だった。本当に山を大事にしている人は、機械による搬出を好まず、馬搬を希望するという。馬搬は昔から山に無理のない形でつけられた道を使い、地面や木をいためることを最小にするように作業する。だから馬の動きが不適切で小さな木を傷つけてもきびしく叱られるのだという。このことを自分の財産を失うことを嫌う吝嗇とみることもできなくはないが、話を聞いてそういう感じを受けなかった。
 代々受け継がれて来た山の膚やそこに生える木は傷つけてはいけないという、アニミズムを交えた、命を大切にし、それによって自分たちが生かされているという思いから出ていると思われる。
 馬を使う人も動物の命をあずかり、馬の体調や気分をみきわめながら、ときにはきびしく、ときには高ぶる気持ちを抑制したりしながら馬を使う。使うといっても家族のようにいっしょに生きている。
 そういう両者の深い理解と信頼に支えられて「山仕事」がおこなわれてきたのだということがよくわかった。
 今は日本中でも数人になってしまった馬搬師は意気軒昂で、岩間さんが自分の仕事に誇りをもっているのを聞いて実に楽しみだった。話をうかがったのは短い時間だったが、馬搬の世界の奥深さを垣間見るようだった。