阪神大震災から、はや14年。
この時期、この日になると嫌でも思い出すのが震災の思い出。
私は神戸の長田って場所に住んでいて、震災の火災被害がもっとも大きかった場所でした
自宅は鉄筋コンクリート
でしたので、被災は免れたものの、周りの木造の家屋は
半壊はまず免れませんでした
特に火災が起こった場所は酷かった。
消防しようにも水がなかったんです
貯水層が割れてしまったり、もとからの震災への準備不足を感じました。
自宅から火災現場は少なくとも2キロ(数キロの範囲で東西南北何箇所も)はありましたが、
地震の後2晩は、夜になっても空が明るいくらい凄い炎でした。
・・・空はヘリコプターが一晩中回っていて凄く騒々しかった。
窓を開けると熱ささえ感じるくらい・・・
ものすごーく大きな両手で抱えられるくらいの灰が何日も舞続けました。
消火までに3日はかかったと思います。
(まるで江戸時代ですよね^^;)
もちろんすべてのライフラインは使えませんでした。
電気はほぼ10日で復旧したものの、水道は1ヶ月強、ガスともなると2カ月は
復旧に時間がかかりました。
一番ショックだったのは、勤めていた会社の工場が全壊したこと
(工場併設の別棟の事務所で勤務していました)
前の日にさようならって挨拶した現場の20歳前後の女の子、
じゃりんこちえに似た彼女が震災で亡くなりました
会社の工場は復旧したものの、私がしていた仕事は完全撤退となり、携わっていた
仲間はてんでばらばらに地方へ転勤していきました。
私も加古川へ転勤になりました。
1からの工場立ち上げに携わり、力仕事もしました。
その立ち上げに携わった同じ部署の人10人中1人が40代にして死亡。
製造長を含む男性3人が途中でリタイア退職・・・
仕事や人生について考えが変わった大きなきっかけにもなりました
今になって、震災当時のアスベスト被害が、国が発表しているより深刻だったかも
しれないというデータが14年目の今年、NPO法人から発表されています。
(震災でのアスベスト労災認定患者が出た事から)
その当時は『アスベスト』というものの健康被害は一部の人しか知りませんでした。
当時出された発表も非常に曖昧で軽い数値(健康被害は少ない)となっていました。
しかし、その当時から私は大気がすごく汚染されているってずっと訴えていました。
友人や仕事仲間たちは神経過敏すぎるって言っていましたが、ずっと屋外へ出るときは
マスクをしていました。
あの時解体現場を含め、出たアスベストの量はすごかったことと思います。
住民への健康被害の実態がつかめるかどうかは謎ですが、今後さらなる健康被害者
が出る恐れがあるかもしれませんね。
(パンフレットでは、被災当時の行政対応や、環境省によるアスベスト検知方法の
不備を指摘。
子供たちへのアスベスト教育の重要性や、災害時における対策の大切さを訴えている。)
久々に暗い内容でしたが、決して消える事のない思い出です
この時期、この日になると嫌でも思い出すのが震災の思い出。
私は神戸の長田って場所に住んでいて、震災の火災被害がもっとも大きかった場所でした

自宅は鉄筋コンクリート

半壊はまず免れませんでした

特に火災が起こった場所は酷かった。
消防しようにも水がなかったんです

貯水層が割れてしまったり、もとからの震災への準備不足を感じました。
自宅から火災現場は少なくとも2キロ(数キロの範囲で東西南北何箇所も)はありましたが、
地震の後2晩は、夜になっても空が明るいくらい凄い炎でした。
・・・空はヘリコプターが一晩中回っていて凄く騒々しかった。
窓を開けると熱ささえ感じるくらい・・・
ものすごーく大きな両手で抱えられるくらいの灰が何日も舞続けました。
消火までに3日はかかったと思います。
(まるで江戸時代ですよね^^;)
もちろんすべてのライフラインは使えませんでした。
電気はほぼ10日で復旧したものの、水道は1ヶ月強、ガスともなると2カ月は
復旧に時間がかかりました。
一番ショックだったのは、勤めていた会社の工場が全壊したこと

(工場併設の別棟の事務所で勤務していました)
前の日にさようならって挨拶した現場の20歳前後の女の子、
じゃりんこちえに似た彼女が震災で亡くなりました

会社の工場は復旧したものの、私がしていた仕事は完全撤退となり、携わっていた
仲間はてんでばらばらに地方へ転勤していきました。
私も加古川へ転勤になりました。
1からの工場立ち上げに携わり、力仕事もしました。
その立ち上げに携わった同じ部署の人10人中1人が40代にして死亡。
製造長を含む男性3人が途中でリタイア退職・・・
仕事や人生について考えが変わった大きなきっかけにもなりました

今になって、震災当時のアスベスト被害が、国が発表しているより深刻だったかも
しれないというデータが14年目の今年、NPO法人から発表されています。
(震災でのアスベスト労災認定患者が出た事から)
その当時は『アスベスト』というものの健康被害は一部の人しか知りませんでした。
当時出された発表も非常に曖昧で軽い数値(健康被害は少ない)となっていました。
しかし、その当時から私は大気がすごく汚染されているってずっと訴えていました。
友人や仕事仲間たちは神経過敏すぎるって言っていましたが、ずっと屋外へ出るときは
マスクをしていました。
あの時解体現場を含め、出たアスベストの量はすごかったことと思います。
住民への健康被害の実態がつかめるかどうかは謎ですが、今後さらなる健康被害者
が出る恐れがあるかもしれませんね。
(パンフレットでは、被災当時の行政対応や、環境省によるアスベスト検知方法の
不備を指摘。
子供たちへのアスベスト教育の重要性や、災害時における対策の大切さを訴えている。)
久々に暗い内容でしたが、決して消える事のない思い出です
