【初心にかえって】
イエスは彼らに言われた。「舟の右側に網を打ちなさい。そうすれば捕れます。そこで、彼らは網を打った。すると、おびただしい数の魚のために、もはや彼らには網を引き上げることが出来なかった。」
ヨハネの福音書20章6節
主イエスが復活した日の朝、空になった墓の前で御使いは女性たちにこう告げます。「そして、急いで行って弟子たちに伝えなさい。『イエスは死人の中からよみがえられました。そこでお会いできます』と」(マタイ28章7節)。御使いは弟子たちにガリラヤへ行くよう指示します。それは、ガリラヤこそが主イエスと弟子たちが最初に出会った場所だからでした(ルカ5章1~11節)。
弟子たちは、主イエスの十字架と復活を体験し、ペンテコステの聖霊体験を経て力強く証し人として歩み出すために、信仰の原点ガリラヤで復活の主イエスを再体験する必要があったのです。
自分の無力さを痛感する…久しぶりにガリラヤ湖の漁へ出た弟子たちに待っていたのは、「その夜は何も捕れなかった。」(3節)という現実です。主イエス抜きでは何もできない、という現実を思い知らされることほど辛く、そして幸いなことはありません。
主イエスに圧倒される…主イエスは救い主であり真の神です。このお方の御言葉を素直に受け入れて実行するとき、その人は神の力を体験します(6、11節)。そして、神の御業をまのあたりにしたものは主を畏れ謙虚になるのです(7節。ルカ5章8節)
主イエスの備え…主イエス夜通し働いて戻ってきた弟子達に、朝食を備えていました(9、12節)。「パンを取り、彼らにお与えになった」(13節)とは聖餐を示しています(マタイ26章26節)。今も主は疲れた者を癒し、豊かに満たしてくださいます。主の許に立ち返るとき、安らぎと力を得るのです。