沼津シオン・キリスト教会

沼津駅北口から東へ徒歩5分!キラメッセぬまづのすぐそばの教会です。

今週の御言葉 2016年12月25日

2016-12-27 06:35:42 | 今週の御言葉

 しかしマリヤは、これらのことをすべて心に納めて、思いを巡らしていた。
                           ルカの福音書2章19節

 これらのことをすべて…「これらのことすべて」とは、直接的には羊飼いたちの話したことです(ルカ2・17~18)。と同時に、主イエスの母として選ばれたマリヤ自身にとっては、御使いガブリエルから聖霊によってみごもったことを告げられてからの一連の出来事を指してもいるでしょう(ルカ1・26~56、2・1~7)。
 私たちの人生にも喜怒哀楽の様々な出来事があります。それら一つひとつを別々にとらえて対応するのではなく、全能の神様の御手の中にあってつながっていると受けとめるとき、人生の深みがまた一段と増すことでしょう。

 心に納めて…格言には、神が人間に耳は二つ与え口が一つだけなのは、自分のことを話すことよりも人のことばを聞く者となりなさい、と言われます。実はこれは、ユダヤ人たちに昔から伝えられてきた格言だとのこと。確かに箴言には、私のような者には耳が痛いことばが並んでいます(箴言10・19、12・18、15・28、17・27など)。
 人は感情が高ぶったり思いがけない体験をするとき、誰かに話さずにはいられませんし、話すことも大切です。と同時に、主イエスへの信仰に根ざして出来事に向き合い、心に受けとめることは、キリストの証し人として整えられるために大切です。

 思いを巡らしていた…心に納めたことを、自分だけで抱えていてはいけません。全能の創造主であり、導き手である主の前に持ち出して思い巡らすことが不可欠です。
 私たちを愛し、主イエスの十字架と復活により救い、御聖霊によって今も助けてくださる神の御手に委ねようではありませんか(Ⅰペテロ5・6~7)。

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クリスマスイヴ礼拝 2016年12月24日(土)夜7時半~9時

2016-12-18 18:05:04 | 特別行事・集会

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今週の御言葉 2016年12月18日

2016-12-18 17:42:31 | 今週の御言葉

 イエスが、ヘロデ王の時代に、ユダヤのベツレヘムでお生まれになったとき、見よ、東方の博士たちがエルサレムにやって来て、こう言った。「ユダヤ人の王としてお生まれになった方はどこにおいでになりますか。私たちは、東のほうでその方の星を見たので、拝みにまいりました。」
                                                   マタイの福音書2章1~2節

 東方の博士たち博士」(ギリシャ語のマゴス)は、占星術者や天文学者とも訳されます。旧約聖書では同じ意味の言葉が「呪法師」(ダニエル4・7、9など)と訳されていることからも、異教的な背景があることは間違いありません。
 しかし、そのような者だからこそ、より深い心の渇きやたましいの求めがあったのです。人の心は、真の救い主と出会うまでは満たされないのです。

 ユダヤ人の王…ユダヤ人の王としてお生まれになった方」という言葉ほど、猜疑心の強い王ヘロデの心を刺激するものはないでしょう。ヘロデは家族でさえ、自分の王位を狙う疑いを持つと殺害したのです。ヘロデはまた、博士たちが捜す幼子が救い主と認めていたのが4節で「キリスト」と語っていることから分かります。しかし、ヘロデは「私も行って拝むから」(8節)という言葉とは裏腹に、その幼子を殺そうとしてたのです(2・13~18)。
 聖書は、誰もが救い主と向き合うとき、信じ受け入れるか拒絶して罪の中にとどまるかの選択が迫られることを教えます。ヘロデの末路は寂しく悲惨でした。主イエスを救い主と素直に信じること以上の恵みと平安はありません。

 拝みにまいりました…博士たちが出発した「東方」(1節)とはバビロニヤ地方(現在のイラク)を指すと言われます。そこからユダヤ地方までの道のりは広大な砂漠に妨げられて千数百キロ離れており、旅路は困難なものだったことでしょう。
 それでも博士たちは、人となって地上に来られた救い主に会うため、やって来ました。救い主を切に慕い求める心こそが、礼拝の原点です。

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今週の御言葉 2016年12月11日

2016-12-12 10:34:11 | 今週の御言葉

 そのとき、エルサレムにシメオンという人がいた。この人は正しい、敬虔な人で、イスラエルの慰められることを待ち望んでいた。聖霊が彼の上にとどまっておられた。
                                                                             ルカの福音書2章25節

 イスラエルの慰められることを待ち望んでいた(25節)…シメオンという名には「彼は聞く」という意味があります。彼はその名の通り、神の御言葉に聴き従う生涯を歩みました。「イスラエルの慰められること」(イザヤ40・1参照)を待ち望んでいた彼には、聖霊が働いていたことが、三回重ねて語られています(ルカ2・25、26、27節)。
 先行きが不確実で不安ばかりが増すこの世においても、主イエス・キリストの救いを信じ、創造主である天の父なる神の愛に感謝して生きる者の内に、今も御聖霊は生きて働き、導いてくださるのです。

 私の目があなたの御救いを見た(30節)…神の救いを見る、とはルカ3章6節に引用されているイザヤ書52章10節に書いてあることを、シメオンが幼子イエスと出会い体験したことです。信仰による救いとはまさに、個人的に主イエス・キリストと出会うことに他ありません。
 ルカはこの後、主イエスと出会って劇的に人生が変わった人物たちを描いていきます(ルカ4・1~11、5・27~32、19・1~10、使徒9・1~20)。主イエスと出会った者の人生は一変します。自分自身はもとより、愛する人々がこのように主イエスと出会うことを祈ろうではありませんか。

 異邦人を照らす啓示の光(32節)…イザヤ書の救い主を預言する箇所には、「…あなたを民の契約とし、国々の光とする。」(42章6節)や「…わたしはあなたを諸国の民の光とし、…」(46章6節)と書いてあります。
 主イエスの救いの対象から漏れる人は誰でもいません。そして、全能の神はシメオンに救い主と出会う使命を与えたように、一人ひとりの人生にも主を証しする使命を与えているのです。

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子どもクリスマス会 12月11日(日)午後1:30~3:00

2016-12-05 06:33:16 | 特別行事・集会

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