そうすれば、大牧者が現れるときに、あなたがたは、しぼむこ
とのない栄光の冠を受けるのです。
ペテロの手紙第一 5章4節
栄光…神さまが信じる者に授けてくださる「栄光」とは、何で
しょうか。第一ペテロ5章では、次の三つの点が挙げられます。
いまだ見ぬ(まだ得られていない)もの(1節)ー主イエスを信じ
る者が永遠のいのちに与るとき、罪の汚れが一つもない、主の復
活の姿と同じに変えられる希望です(ピリピ3章1~14、21節)。
永遠に朽ちることのないもの(4節)ー永遠のいのちは、「銀や
金のような朽ちる物」(Ⅰペテロ1章18節)ではなく、「キリスト
の尊い血」(19節)によって与えられます。主の十字架は神の栄光
の表れであり(ヨハネ12章23~28節)、その救いは永遠に不変です。
キリストにあって得られるもの(10節)ー第一ペテロの手紙は、
厳しい迫害の中にあるクリスチャンを励ます目的で記されました。
それゆえ、主イエスも苦難を体験したことが強調され、と同時に、
主にあって苦難を耐え忍ぶ者こそキリストの栄光が与えられるこ
とが語られています(1章4~21節、4章12~14節)。
冠…4節の「冠」は元々は古代オリンピックの勝者に与えられ
た月桂冠を指しましたが、次の三つの意味があります。
永遠の勝利ー使徒の働き7章で最初の殉教者となったステパノ、
その名の意味は「冠」(ギリシャ語でステファノス)です。死に至
るまで忠実な者には天でいのちの冠があります(黙示録2章10節)。
喜びの冠ー主を信じる者に、この冠は分け隔てなく与えられま
す。全ての主を信じる者に喜びがあるのです(イザヤ35章10節)。
冠を投げ出すときー私たちが戴冠するのは、救って下さった神
の栄光が表れるためです。それゆえ、神様を礼拝する際には、ひ
れ伏してしもべの姿となるのは当然です(黙示録4章10~11節)。