沼津シオン・キリスト教会

沼津駅北口から東へ徒歩5分!キラメッセぬまづのすぐそばの教会です。

今週の御言葉 2017年1月29日

2017-01-30 11:23:25 | 今週の御言葉

そこでペテロは、口を開いてこう言った。
「これで私は、はっきりわかりました。神はかたよったことをなさらず、どの国の人であっても、神を恐れかしこみ、正義を行なう人なら、神に受け入れられるのです。神はイエス・キリストによって、平和を宣べ伝え、イスラエルの子孫にみことばをお送りになりました。このイエス・キリストはすべての人の主です。」
                                                 使徒の働き10章34~36節

 私もひとりの人間です…ペテロを出迎えたコルネリオは、神の御告げ通りにペテロがやって来たとき、彼の足もとにひれ伏します(25節)。
 そのときペテロはコルネリオを制して、「お立ちなさい。私もひとりの人間です。」と語りました。復活の主イエスと出会い、ペンテコステの日に聖霊を受けたペテロは、ひたすら主イエスの御名が崇められるのを求めたのです(使徒3・12~16)。

 これで私は、はっきりわかりました…ペテロは、コルネリオが見た幻について詳細に聞くことで、神が全ての人を主イエス・キリストを信じて救われるよう、導いていることを納得しました。このことから宣教の働きにおいて主導権を握っておられるのは、創造主である神様ご自身であることがわかります。
 「権力によらず、能力によらず、わたしの霊によって」(ゼカリヤ4・6)と仰せられる主に信頼しましょう。自分の生きざまを通して主の御名が崇められることを願い、主の御前に真実に生きる者に対して、主もまた確かな信仰の納得を与えてくださいます。

 この人たちは、私たちと同じように、聖霊を受けたのですから…ペテロが主イエスこそが救い主であることを語っているとき、コルネリオたちに聖霊が下りました。異邦人に聖霊が注がれたことをユダヤ人のクリスチャンたちは驚きます。
 しかし、ペテロはこの神のしるしを見て、ためらうことなくバプテスマ(洗礼)を受けるよう命じました。主イエスが命じられたことを守り行う者、それがクリスチャンです(マタイ28・19~20、マルコ16・15、16)。

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カイザリヤ その2

2017-01-30 11:14:17 | 説教ノート余話

【カイザリヤ 後篇】

 現在のカイザリヤは、イスラエルの国立公園に指定されています。そこは十字軍時代の城壁が巡らされていますが、ローマ時代のカイザリヤの面積は、城壁の内側の五倍はあったとのこと。
 ここまで規模が違うのは、ローマ時代は現代の横浜や神戸のような港湾都市として地中海貿易の重要な拠点でした。しかし、十字軍時代にはエルサレムを目指すヨーロッパ諸侯の軍事要塞だったからです。
 ちなみに、カイザリヤの要塞は十字軍時代後期の13世紀(1218年)に築かれ、城壁はさらに後年の 1251年にフランスのルイ9世(聖王と称され、米国の都市セント・ルイスの名の由来となった)に造られました。しかし、城壁を巡らしてからわずか十数年後の1265年、イスラム勢力の猛攻を受けて落城したのです。

 ローマ時代、クリスチャンは少なく迫害もありましたが、現代と同じ活発な物資や人々の往来のなか、福音も広く伝わり多くの人が信仰へ導かれました。それは証し人達が権力や能力でなく聖霊を信じ祈りを第一としたからです。それに対し、中世のキリスト教国が武力でパレスチナの地へ攻め込んだ十字軍は、現代も中近東での宣教に大きな障壁です。
 それは現代のキリスト教会に対する警告かもしれません。すなわち、数と力へ誤った憧憬や過信を持つのではなく、ひたすらに全能の主を信じて祈り、自らの行動において聖さを追い求めるようにと、カイザリヤの遺跡は今も警告を発しているのではないでしょうか。    

▽カイザリヤ国立公園案内図…図の上が西で地中海。遺跡を囲むように、十字軍時代の城壁が囲んでいます。 

    

 

▽カイザリヤを囲む城壁…城壁前面には堀を巡らし、日本のお城のようです。

                          

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今週の御言葉 2017年1月22日

2017-01-23 14:43:04 | 今週の御言葉

ペテロが幻について思い巡らしているとき、御霊が彼にこう言われた。「見なさい。三人の人があなたをたずねて来ています。さあ、下に降りて行って、ためらわずに、彼らといっしょに行きなさい。彼らを遣わしたのはわたしです。」
                                                     使徒の働き10章19、20節

 神は福音が人々に伝えられることを願っている…カイザリヤにいた百人隊長コルネリオは、御使いからヨッパにいるシモン・ペテロを招くよう命じられます(使徒10・5)。カイザリヤは、主イエスの降誕の頃にヘロデ王が築いた港町で、ペテロやパウロなど主の証し人たちが足跡を残しました。それに対しヨッパは、旧約聖書の時代からの港町(ヨナ1・3)です。
 ペテロが旧約の町ヨッパから新約の町カイザリヤへ移ったのは、神がユダヤ人と異邦人の隔てなく福音を伝える宣教の門を開かれたからです。

 創造主である聖書の神を求めている人がいる…すでにコルネリオは全家族とともに神をおそれかしこみ、施しをはじめ善行に励み、いつも神に祈る人でした(使徒10・2)。百人隊長はローマ軍の中核を担い責任も重く、周囲から尊敬される立場でした。
 しかし、周囲からみれば何不自由ない人物に見えたとしても、コルネリオの心は深く渇いていました。主イエスにしもべの癒しを願ったカペナウムに駐屯していた百人隊長(ルカ7・1~10)と同じく、誠実で勤勉な人ほど、実は深い心の渇きをおぼえるのです。誰にでも、福音は必要であり、主の救いが求められています。

 神はキリスト者を福音の証しのため用いてくださる…神がペテロを招くようコルネリオに語られたことが、使徒10章では繰り返し言及されています(5~6、18、22、32節)。神は人を救いに導くため、キリスト者を証し人として用います。
 キリスト者が体験する大きな喜びが二つある、といわれます。一つは自分が救われた喜びであり、もう一つは祈りと存在を通し福音の証し人として他の人の救いのため神に用いられる喜びです。

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カイザリヤ

2017-01-23 14:22:50 | 説教ノート余話

【カイザリヤ 前篇】

 古くは紀元前2世紀、フェニキヤ人により 港を中心とした要塞都市が築かれました。 その後、主イエスが降誕された頃にユダヤを支配した、ヘロデ大王によって 町全体が大改修されたのです。しかも、地 中海全域を支配したローマ帝国の皇帝アウグスティヌスの歓心を得るため、ヘロデはこの町の名をローマ皇帝(代々「カイサル」 と呼ばれました)にちなみカイザリヤと名づけました。
 カイザリヤは新約聖書の時代、地中海沿岸 各地と結ばれた港湾都市であり、ローマ帝 国の総督府がおかれ、軍隊が駐屯する、重要拠点でした。当時の人口は約5万人で、上水道をはじめ円形劇場や競技場等の文化設備が、完備されていました。

 街路…道の両側は商店が建ち並んでいました。コルネリオやピリポ、パウロたちも行き交ったのでしょうか。

 

総督官邸の遺跡…最初はヘロデの離宮として建造。三方を海に囲まれた景勝地ですが、現在は一部が海に沈んでいます。

 

 円形劇場…当時の収容人数は五千人程で、現在も、コンサートなどに用いられています。客席が西側の海(地中海)に面し、浜風による音響効果や日没時の演出効果が計算されています。

 

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今週の御言葉 2017年1月15日

2017-01-16 13:13:34 | 今週の御言葉

 ペテロは彼にこう言った。「アイネヤ。イエス・キリストがあなたをいやしてくださるのです。立ち上がりなさい。そして自分で床を整えなさい。」すると彼はただちに立ち上がった。
                                                 使徒の働き 9章34節

 中風の人アイネヤの癒し(32~35節)…使徒の働き9章32節から12章17節には、ペテロの働きが記されています。より厳密に言えば、ペテロを通しいきいきと働かれた復活の主イエス・キリストの働き、と言うべきでしょう。使徒の働きは、聖霊の働き、とも呼ばれます。主の弟子が町々で福音を語るとき、癒しのわざがなされ、御言葉を聴く人が救われたのは、御聖霊というかたちで復活の主が働かれたからです。
 ルダの町で行なわれたアイネヤの癒しは、主イエスの中風の人の癒しを再現するかのようです(マルコ2・3~12)。そして、このような御わざが行われるのは、人々が罪を赦され主に立ち返るためです(使徒9・35)。

 タビタ(ドルカス)のよみがえり(36~42節)…港町ヨッパに住むタビタが死からよみがえった奇蹟もまた、会堂管理者ヤイロの娘のよみがえりの奇蹟とよく似ています(マルコ5・40~42)。しかし決定的に違うのは、主イエスはご自分のことばだけで御わざをなさいましたが、ペテロは「ひざまずいて祈」り(40節)、主の力により頼んだことです。
 伝道も日々の生活での証しも、主ご自身が働きかけてくださるとき、私たちは大いなる御わざを体験します。御聖霊の大いなるわざを期待して祈りましょう。そのとき、主は多くの人々に働かれます(42節)。

 皮なめしのシモンの家に滞在するシモン・ペテロ(43節)…皮なめしという職業は死んだ動物に触れるため、ユダヤ人には汚れているとされました。しかし、そのような偏見からペテロはすでに解放されていました。これは彼が主イエスの心を心としていたからです(マルコ2・15~17)。
 御聖霊による変革は、まず信じる者の心のうちから始まります。

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