沼津シオン・キリスト教会

沼津駅北口から東へ徒歩5分!キラメッセぬまづのすぐそばの教会です。

礼拝説教 2024年6月30日

2024-06-30 15:22:10 | 礼拝説教

礼拝 2024年6月30日

聖書箇所 ヨハネの黙示録2章1~7節
説教題  初めの愛に戻る
説教者  荻野倍弘牧師

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今週の御言葉 2024年6月30日 ヨハネの黙示録2章1~7節

2024-06-29 20:00:56 | 今週の御言葉

 【初めの愛に戻る】      

 あなたはよく忍耐をして、わたしの名のために耐え忍び、疲れ果てなかった。
 けれども、あなたには責めるべきことがある。あなたは初めの愛から離れてしまった。
 だから、どこから落ちたのか思い起こし、悔い改めて初めの行いをしなさい。そうせず、悔い改めないなら、わたしはあなたのところに行って、あなたの燭台をその場所から取り除く。
                                        ヨハネの黙示録2章3~5節

  信仰とは忍耐(3節)…黙示録2~3章に記された七つの教会は、二千年前のローマ帝国アジア州(今のトルコ)に実在しました。特にエペソの教会は、パウロの3年にわたる伝道によって生み出されました(使徒19章)。そこには聖霊によるリバイバルの御わざと共に激しい迫害があったことも記されています。伝道や牧会が祝されるとき、サタンも激しく妨害してきます。けれども、主を待ち望む者は新しく力を得て忍耐をし、疲れ果てずにかえって恵みの高嶺へと高く昇るのです(イザヤ40・31)。

 罪とは初めの愛から離れること(4節)…もしアダムとエバが、創造主である神へのみずみずしい愛を保っていたら、サタンの誘いに惑わされなかったでしょう。愛とは、神に対してであれ人であれ、一途に相手を思い、見つめ続けることです。神の私たちに対する愛は今もキリストの十字架に示されています。私たちの神へのおもいは、どうでしょう。

 悔い改めとは神の許へ立ち返ること(5節)…神は今も、自分の罪を認め、キリストの十字架が私の罪の赦しのためであることを信じる者を喜んで受け入れます。そして、パラダイスにあるいのちの木の実を食べることを許し、永遠のいのちを与えるのです(黙示録2・7、22・14、創世記3・22~24)。

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礼拝式次第 2024年6月30日

2024-06-29 19:57:57 | 礼拝式次第

6月30日   礼拝

黙 祷

賛 美 459 すくいぬしの愛と

主の祈り 

交 読 詩篇11篇1~7節

祈 祷

使徒信条

賛 美 211 わが身をみちびく

証 し チャペルコンサート
    東北支援ボランティア

説 教         
 ヨハネの黙示録2章1~7節
 初めの愛に戻る

賛 美 392 神はひとり子を

献 金

感 謝

頌 栄 376 父 御子 御霊の

祝 祷

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早朝礼拝 2024年6月23日

2024-06-25 14:49:27 | 礼拝説教

早朝礼拝 2024年6月23日

聖書箇所 詩篇84篇1~12節
説教題  神のもとに居場所がある
説教者  荻野倍弘牧師

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今週の御言葉 2024年6月23日 詩篇84篇1~12節

2024-06-22 14:29:27 | 今週の御言葉

 万軍の主よ あなたの住まいは なんと慕わしいことでしょう。
 私のたましいは 主の大庭を恋い慕って 絶え入るばかりです。
 私の心も身も 生ける神に喜びの歌を歌います。
                     詩篇84篇1、2節

 沼津シオン・キリスト教会は1959年5月に創立され、今年で65周年を迎えました。1940年に沼津市大手町で宣教を開始した前身の教会(1945年7月の空襲で焼失)や終戦直後の家庭集会の頃から数えるならば、80年を越える時を数えます。
 その日々には苦難もあれば、3回の会堂建築や2019年春のインマヌエル沼津教会との合併など、主のくすしい御わざがありました。何より今日に至るまで、キリストを救い主と信じて救いの恵みを得る方々やともに礼拝を捧げるために集う方々、そして地上での生涯を全うされて天へと凱旋された方々が間断なくおこされています。
 そしてこれからも、主の御住まいでありキリストのからだである教会は、ともにおられる主の恵みに満たされて導かれるのです。その主の恵みは具体的に次の三つの点にあらわされます。

 神のもとに居場所のある幸い(詩84篇1~4節)…「祭壇」(3節)は、キリストの十字架を予表します。小鳥のような小さき存在であっても、キリストを信じるとき神の子とされ、神の家である教会の交わりの中に自分の居場所をみいだすのです。

 神のもとで力を得る幸い(詩84篇5~7節)…「シオン」(5、7節)とは、神がともにおられること(臨在)の象徴です。全能の神がともにいるとき、涙さえもが祝福や力へと変えられます。

 神のもとで憩う幸い(詩84篇8~12節)…キリストを信じて永遠の神に立ち返るとき、罪の束縛や死の恐れから解放されます。神のもとにある喜びと平安、何より永遠のいのちの希望を持つのです。

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