沼津シオン・キリスト教会

沼津駅北口から東へ徒歩5分!キラメッセぬまづのすぐそばの教会です。

礼拝説教  2021年10月31日

2021-10-31 14:07:01 | 礼拝説教

礼拝説教  2021年10月31日

聖書箇所 詩篇69篇1~36節
説教題  しかし私は 主よ あなたに祈ります
説教者  荻野倍弘牧師

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今週の御言葉 2021年10月31日 詩篇69篇1~36節

2021-10-30 14:04:20 | 今週の御言葉

【しかし私は 主よ あなたに祈ります】
 
 しかし私は 主よ あなたに祈ります。  
 神よ みこころの時に
 あなたの豊かな恵みにより
 御救いのまことをもって 私に答えてください。
               詩篇69篇13節
 
 詩篇69篇は、詩篇のなかに九つある救い主イエス・キリストを預言するメシア詩篇の一つです(他は、詩篇2、16、22、40、45、72、89、110篇)。
 そしてこの詩篇はまた、祈りの真髄を今も私たちに教えます。

 耐え難い苦悩のなかでの叫び(1~12節)…クリスチャンでも苦しみに直面します。それも周囲の人々からの誹謗中傷、信頼していた者からの侮辱を(4、7~12節)。そのような耐え難い苦しみの中で、ありのままを神へ祈るという特権が私たちにはあります。

 主への祈りは全てを救いへと転換する鍵(13~28節)…「しかし私は…祈ります」(13節)という「しかし」こそが、全てを変える鍵です。救いも恵みも祈りを通して全てを神に打ち明けることから始まります。何も遠慮することはありません。神は御子を与えるほどにあなたを愛しています(ヨハネ3・16)。祈りましょう。

 祈る者は主への賛美と感謝を得る(29~34節)…祈りとはまた、聖さと愛に満ちた神を見上げることです。神を見上げるとき、私たちの心は信仰と平安が満ち、感謝と賛美が溢れてきます。そして不安や恐れから解放され、生きる力と希望を見出すのです。

 祈る者は主からの繁栄を見る(35~36節)…生きておられる神は、素直な心で主の救いを信じ祈る者を祝福してくださいます。神は私たちが思い描く以上の祝福を注ぎ、主を愛する者を守って下さいます。人にとっての最善は絶えず祈り、神と共にいることです。

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礼拝式次第 2021年10月31日

2021-10-30 14:02:11 | 礼拝式次第

10月31日  礼拝

黙 祷

賛 美 576 十字架のうえに

主の祈り

交 読 詩篇2篇1~12節

祈 祷 

使徒信条

説 教
 詩篇69篇1~36節
   しかし私は 主よ あなたに祈ります

賛 美 668 夕べ雲やくる

献 金

感 謝

頌 栄 376 父 御子 御霊の

祝 祷

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礼拝説教 2021年10月24日

2021-10-24 14:05:03 | 礼拝説教

礼拝説教 2021年10月24日

聖書箇所 創世記50章15~26節
説教題  神はすべてを祝福へと変える
説教者  荻野倍弘牧師

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今週の御言葉 2021年10月24日 創世記50章15~26節

2021-10-23 10:52:34 | 今週の御言葉

【神は全てを祝福へと変えてくださる】

 あなたがたは私に悪を謀りましたが、神はそれを、良いことのための計らいとしてくださいました。それは今日のように、多くの人が生かされるためだったのです。
                                 創世記50章20節

 あなたがたは私に悪を謀りましたが…父ヤコブが死んだとき、兄たちは今さらながらにヨセフの報復を恐れます(創50・15)。しかし、ヨセフは兄たちがあらためて赦しを請うたとき、自分がヨセフであることを明かしたときのように泣きました(創50・17、45・2)。
 と同時に、彼は兄たちが行ったことは悪であることを認めています。悪はどこまで行っても悪です。クリスチャンとは、聖なる創造主である神を信じるがゆえに、自分にも他人に対しても、善と悪の違いをしっかりと見極めることができる人です。

 神はそれを、良いことのための計らいとしてくださいました…と同時に、神を信じる者は、周囲の人からの悪意ある嫌がらせやイジメさえも、神は祝福へと変えて下さることを知っています。そして実際にそのことを体験することができるのです(ローマ8・28)。神は生きておられます。神は素直な心で信じ従う者に対して、最善以上をなさるお方です。
 そのような主に在っていきいきとした信仰は、私たちが日ごとに聖書の御言葉に親しみ、祈りを通して神と交わることによって養われるのです(詩119・65~72)。

 それは今日のように、多くの人が生かされるためだったのです…神が与えてくださる祝福とは、クリスチャン個人やその家族の守りと繁栄だけにとどまるものではありません。その神に愛される人が接する人々や地域、社会全体に祝福が注がれていきます。
 だからこそ、救い主イエスの御名により祈る者は、自分の町や国のため世界のため祈る務めがあります(エレミヤ29・7、詩126)。

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