【神に立ち返る幸せ】
イスラエルの聖なる方、神である主は
こう言われた。
「立ち返って落ち着いていれば、
あなたがたは救われ、
静かにして信頼すれば、
あなたがたは力を得る。」
イザヤ書30章15節
立ち返って(イザヤ30・15)…人が神のもとに「立ち返る」ことを、聖書は「悔い改め」とも表現します。そもそも「悔い改め」とは、方向転換を意味します。すなわち、今までは創造主である全能の神に背を向けて、自己中心に生きてきた者が、まことの神に立ち返ることが、悔い改めなのです。
すなわち罪とは、まことの神を認めない人間が持つ傲慢さのことなのです。創造主を受け入れない人間はどんなにうわべを取り繕っても、わがままな本性を隠せません。その姿を赤裸々に描くのが、主イエスが語った放蕩息子のたとえ(ルカ15章11~24節)です。
恵みを与えようと待っておられる主(イザヤ30・18)…創造主は、人をご自身のかたちに似せて造られました。やはり神が造られた他の動植物と違い、人間だけには神と同じ自由意志が与えられていることを示します。
それゆえ、人は神に従うか否定するかを決断する自由と責任があるのです。神を否定する生き方は、罪の束縛と悲しみに捕らわれます。しかし、主イエスの救いを信じる者は罪から解放され、神の子どもとなるのです。
主は信じて従う者を導く(イザヤ30・20、21)…主イエスを信じて救われた者は、罪の赦しと永遠のいのちの希望を得ることはもちろんのこと、日々の歩みを主ご自身が導いてくださいます。
具体的には、求める者のうちに御聖霊がくださり、自己中心な心をきよめて愛の実を豊かに結ぶのです。具体的には、人との関わりで、憎しみや怒り、高慢や自己卑下から解放され、人を生かし世のために生きる、キリストの心を自分の心とするのです。