【私の主、私の神】
八日後、弟子たちは再び家の中におり、トマスも彼らと一緒にいた。戸には鍵がかけられていたが、イエスがやって来て、彼らの真ん中に立ち、「平安があなたがたにあるように」と言われた。
それから、トマスに言われた。「あなたの指をここに当てて、わたしの手を見なさい。手を伸ばして、わたしの脇腹に入れなさい。信じない者ではなく、信じる者になりなさい。」
ヨハネの福音書 20章26~27節
いなかったトマス…「八日後」とは、主イエスが復活したイースターから数えて8日目の週の初めの日(日曜日)です。八日前に復活の主が弟子たちの前に現れたとき、トマスはそこにおらず、主の復活を信じませんでした(ヨハネ20・24、25)。トマスは他の弟子たちが興奮して主の復活を語れば語るほど、心をかたくなにして「決して信じません」(25節)と断言したことでしょう。神の恵みの場に身を置き続けることは信仰生活に不可欠です。
彼らの真ん中に立つ主イエス…26節に記されている主イエスの行動は8日前(19節)と同じです(弟子たちが、戸に鍵をかけていたことも)。すなわち、復活の主イエスは恐れや不安、疑いを持つ人の真只中に主ご自身から歩み寄ってくださるのです。エマオへの道の途中の弟子たち(ルカ24・13~35)や墓の前で泣いていたマグダラのマリア(ヨハネ20・11~18)に対しても同じです。復活のは私たちにもご自分から近づき、励まし慰めてくださるのです。
私の主、私の神…復活の主イエスを見たトマスは、主の手と脇腹に触れることなく、「私の主、私の神よ。」(28節)と信仰を告白しています。そのトマスの信仰告白に対して主は「見ないで信じる人たちは幸いです。」(29節)と告げました。まさに、私たちも試練の中で、生きておられる復活の主の救いを体験します。復活の主が今この瞬間もともにいることをおぼえ、感謝しましょう。