沼津シオン・キリスト教会

沼津駅北口から東へ徒歩5分!キラメッセぬまづのすぐそばの教会です。

早朝礼拝説教 2024年7月28日

2024-07-28 16:22:06 | 礼拝説教

早朝礼拝 2024年7月28日

聖書箇所 ヨハネの福音書10章1~18節
説教題  主は良き羊飼い
説教者  荻野倍弘牧師

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今週の御言葉 2024年7月28日 ヨハネの福音書10章3~18節

2024-07-27 10:48:43 | 今週の御言葉

 わたしは良い牧者です。良い牧者は羊たちのためにいのちを捨てます。
                    ヨハネの福音書10章11節

 羊の幸せ、それはどのような羊飼い(牧者)に飼われるかによって決まる、と言っても過言ではありません。身を護る角や早い脚を持たず、決して頭脳優秀で俊敏な生き物ではない羊は、はるか昔から人と共に生きることによって今日まで生きてきたのです。
 そして聖書は、しばしば神と人との関係を羊飼いと羊にたとえており、主イエスもまた自分自身を「わたしは良い牧者です」と語ります。ヨハネの福音書10章3~18節で主は、具体的に次の四つの事柄を示して、ご自身が良い牧者であることを示しています。

  名を呼ぶ(3節)…良い羊飼いは羊が何百、何千といようと一匹づつ名を呼びます。名を呼ぶとはすなわち、相手の存在を認めることです。主は私たち一人ひとりの存在を認めてくださいます。

 先頭に立つ(4節)…主は常に私たちの前を進みます。私たちは御言葉を通して示される主の道を歩むことで幸せと平安を見つけることができるのです。

 いのちを捨てる(11、15、17、18節)…良い羊飼いは羊を守るためにいのちをかけます。主イエスもまた私たちの罪を赦し神の子どもとするため、十字架でいのちを捨てました。そして三日目に死と悪魔に勝利して復活することで、信じる者に永遠のいのちを与えてくださるのです。誰でも主イエスを信じるとき、罪に汚れた古い人は死に、主にある新しいいのちを得るのです。

 群れの外にいる羊をも導く(16節)…主は御許に憩う人々を愛し守るだけでなく、主の愛を知らず、悲しみやむなしさの中にある人々にも手を差し伸べます。主の心を我が心として祈りましょう。

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礼拝式次第 2024年7月28日

2024-07-27 10:46:34 | 礼拝式次第

 7月28日 礼拝

黙 祷

賛 美 465 罪ふかきこの身を

主の祈り

交 読 ヨハネの福音書10章7~18節

祈 祷

使徒信条

賛 美 471 すみよりも黒き心なれど
説 教
 詩篇23篇1~6節
 主は私の羊飼い

賛 美 478 よびとのとがのために

献 金

感 謝

頌 栄 376 父 御子 御霊の

祝 祷

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早朝礼拝説教 2024年7月21日

2024-07-22 11:21:00 | 礼拝説教

早朝礼拝240721

聖書箇所 コリント人への手紙第二1章3~12節
説教題  苦難と慰め
説教者  荻野倍弘牧師

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今週の御言葉 2024年7月21日  コリント人への手紙第二1章1~11節

2024-07-20 07:34:57 | 今週の御言葉

 【苦しみの時に】

 神は、どのような苦しみのときにも、私たちを慰めてくださいます。それで私たちも、自分たちが神から受ける慰めによって、あらゆる苦しみの中にある人たちを慰めることができます。
                                      コリント人への手紙第二1章4節

 人生を歩むうえで、苦しみを味わうことは避けられません。苦しみとは人によって受け止め方や感じ方が違うもので、人と比べるものではありません。他人から見たら、そんな小さなことで悩んでいるかと思うこともあれば、あんな大変な目にあっているのによく耐えられるものだ、と思うこともあるでしょう。
 パウロが伝道旅行で味わった苦難は、彼自身も語るように「非常に激しい、耐えられないほど」(Ⅱコリ1・8、11・23~28)でした。パウロは幾多の苦難に遭いながらも、主より受けた宣教の使命に力を注ぎ続けたのです。そのパウロの姿勢から、私たちが苦しみに遭うときにどうすればいいのかを学びましょう。

  一人ひとりに苦難がある…一口に苦難と言っても様々なものがあって、互いに違う苦難を味わい、全く同じ苦難はありません。パウロにパウロの、私には私の苦難があるのです。しかも、主を信じる者は耐えられない試練にはあわないと神は約束します(Ⅰコリ10・13)。逆に苦難を通して神の栄光を現す者となるのです。

 苦難があっても…苦難の中で人は主から三つの恵みを得ます。
①神の慰めを体験して、苦しみの中にある人を慰められる(4節)。
②神の慰めを受けることで苦難に耐える力を得る(Ⅱコリ1・6)。
③主にある仲間と苦難や神の慰めを分かち合える(Ⅱコリ1・7)。

 希望を神に置く…祈りは神の御手を動かし、信仰者を苦難から救い出します(Ⅱコリ1・11)。しかも、神に感謝をささげて主の恵みを証しする者とされるのです(Ⅱコリ1・11)。

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