沼津シオン・キリスト教会

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今週の御言葉 2020年1月26日 サムエル記第一18章6~30節   

2020-01-30 08:08:32 | 今週の御言葉

【理不尽な仕打ちさえも】

 サウルはダビデを恐れた。それは、主がダビデとともにおられ、サウルを離れ去られたからである。
                        サムエル記第一 18章12節

 神は悪意を持った人のたくらみも『祝福』に変えてくださる…「サウルはダビデを恐れた。」と繰り返して記されていますが(Ⅰサム18・12、15、29)、サウルはダビデへの嫉妬と恐れから、ダビデを殺そうとします。まずは激しいいらだちを制することができずに槍を投げつけます(Ⅰサム18・10~11)。これは衝動的な行為ですが、次には策をめぐらして戦場でペリシテ人の手で殺されるように仕組みます(Ⅰサム18・13、17、21)。しかし、その企てもまたダビデを祝福する結果となりました。それは、全能の神である主がダビデとともにいたからです(Ⅰサム18・12、14、28)。

 神のご計画を『知らされていない』恵み…ダビデは繰り返して命を狙われたのにもかかわらずサウルの命令に従い、忠実に仕えています。サウル王の婿になるようにとの話が重ねて持ち込まれた際には、自分は身分が低い者であることを謙虚に語っています(Ⅰサム18・18、23)。ダビデはすでに次の王として油注がれた者ですが(Ⅰサム16・1~13)、実は彼自身はまだ油注ぎが王位継承を表すことを知りませんでした。逆に知らないからこそ、純粋な心でサウルと向き合えたのです。神様は、将来をはじめ全てのご計画をすぐに明かすお方ではありません。それもまた私たちを守る恵みなのです。

 神は『現場』に身を置くものとともにおられる…ダビデには主がともにいれば戦いに勝利する確信がありました(Ⅰサム17・37)。それゆえに彼は戦いの際には常に先頭に立ち、戦場の真只中に身を置いたのです(Ⅰサム18・13、16)。全能の神は今も、現場に立つ者とともにいて勝利を授けるのです(Ⅰサム18・14、27、30)。

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サウル ~イスラエル最初の王~

2020-01-30 08:05:29 | 説教ノート余話

【サウル ~イスラエル最初の王~】

▽聖書に初めて登場したときのサウルは、好感の持てる人物でした(Ⅰサムエル記9章)。裕福な有力者の息子であり、しかも「彼は美しい若者で、イスラエル人の中で彼より美しい者はいなかった。彼は民のだれよりも、肩から上だけ高かった」(Ⅰサムエル9章2節)とあります。
 それだけでなく、何より父親の命じた言葉や従者の助言に耳を傾けて従う素直さがあり(Ⅰサムエル9章3~10節)、しかも謙遜でした(Ⅰサムエル10章20~22節)。その素直さと謙遜さを忘れず神と人とに仕える人生を歩んだのならば、彼の人生は大きく違ったものになっていたのに、と彼の人生の結末を読むたびに思わずにはいられません(Ⅰサムエル31章1~7節)。


▽そして、サウルは創造主である神がイスラエルの最初の王として選んだ人物でした(Ⅰサムエル9章15~17節)。預言者サムエルもサウルの頭に油を注ぎ、民の前で彼こそが王であると宣言します(Ⅰサムエル10章)。そして、アンモン人との戦いで大勝利を得たサウルは見事に王権を確立しました(Ⅰサムエル11章)。


▽しかし、ペリシテ人との戦いにおいて、サウルは致命的な欠点をさらけ出します。それは神によって選ばれた器にも関わらず、神に伺い、み言葉に従う従順な信仰が欠落していたのです(Ⅰサムエル13章8~14節、15章1~35節)。
 サウルの失敗、それは神様のために、と言いつつも本音は、神様の御こころよりも私のお心(自分の願望)を優先したことでした。言い方を変えるならば、神に従う信仰ではなく、自分の願いをかなえるための信仰だったのです。


▽「主の霊はサウルから離れ去り」(Ⅰサムエル16章14節)とあるので、最初からサウルの心が傲慢だったわけではありません。それどころか、素直で謙遜な人物だったのです。
 ただ、サウルは「王位」に選ばれたとき、その心の本音が試されたのです。残念なことに、彼は人への謙虚さや素直な信仰を失って傲慢になり、「王位」に執着したのでした(Ⅰサムエル18章8節)。                           

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今週の御言葉 2020年1月19日 サムエル記第一17章55節~18章5節

2020-01-23 16:04:55 | 今週の御言葉

【出逢い】

 ダビデがサウルに語り終えたとき、ヨナタンの心はダビデの心に結びついた。ヨナタンは、自分自身のようにダビデを愛した。
                                  サムエル記第一 18章1節

 ダビデはまだ何者でも無かった(17章55~58節)…ゴリヤテとの戦いにみごと勝利したダビデについて、サウル王は軍司令官アブネルに向かい「あの若者はだれの息子か」と尋ねます。それに対するアブネルの返答は「私は存じません」という素気ないものでした。
 ところが、ダビデはすでにサウル王のそば近くで仕えていたことが、サムエル記第一16章14~23節には記されています。つまりサウルとアブネルの会話は、ダビデのことは知ってはいるがその親や家庭的な背景は知られていなかったことを示します。
 すなわち、ダビデは注目される存在では無かった、無名の存在だったのです。そのダビデを全能の神は実はすでに王として選んでいました(サムエル記第一16章1~13節)。私たちもまた主イエスによって選ばれた存在です(ヨハネの福音書15章12~17節)。主の選びの重みをわきまえる者、それがクリスチャンです。

 ダビデと心を結びつけたヨナタン(18章1~5節)…主イエスが弟子たちに「わたしがあなたがたを選び」(ヨハネ15章16節)と語ったとき、その前後で「わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合うこと」(ヨハネ15章12、17節)とも語っています。神は選びの器であるダビデのためにヨナタンとの出会いを備えていました。信仰の友との出会いは、神の恵みの中でも最高の祝福の一つです。
 ヨナタンという名前は、「主は与えたもう」という意味があります。ちなみに、英語での表記はJonathan(ジョナサン)となります。そのサウルの息子(長子)のヨナタンですが、サムエル記第一ではダビデよりも早く13~14章で登場しています。ペリシテ人との戦いにおいて父サウル王から一軍を委ねられていることから(サムエル記第一13章2節)からも、ダビデ よりも年上であっことは間違いありません。そしてダビデに勝るとも劣らない勇者であったことが記されています(サムエル記第一14章1~15節)。
 と同時に、ヨナタンは信仰の器でした。その点でもダビデと同じであったことが、敵を目前にした緊迫した状況の中で、どこまでも創造主である全能の主を意識した彼自身の言葉に表れています(サムエル記第一14章6、12節)。全能の神への信仰をヨナタンとダビデは共有していたからこそ、互いの心は「結びついた」(サムエル記第一18章1節)のです
 この「ヨナタンの心はダビデの心に結びついた」(サムエル記第一17章1節)という一節は、二人の絆の強さを示しています。
 まず「結びついた」という言葉は、ヘブル語でも普通は紐を結ぶときなどに使いますが、それだけでなく、人と人との深い絆(創世記44章30節)、そして「謀反」(サムエル記第一22章8、13節)という意味でも使われています。言うまでもなく、ダビデとヨナタンは信仰の絆で結びついたのですが、サウル王はそれを「謀反」(サムエル記第一22章8節)と感じました。この父の疑心暗鬼が後にヨナタンを壮絶な最期(サムエル記第一31章1~7節)へと向かわせます。
 しかし、ヨナタンの信仰とダビデへの深い友情は最期まで変わりませんでした(サムエル記第一23章15~18節)。それは「心」と訳されたヘブル語ネフェシュが、命や魂を意味する言葉であることにも示されています。

 ダビデの居場所が変わった(18章2節)…神に選ばれたダビデは父の家を離れて、神と民のために生きる生涯を始めます。クリスチャンとは主イエスの御許に自分の居場所を移して生きる者です。

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今週の御言葉 2020年1月12日 サムエル記第一 17章41~58節

2020-01-14 08:49:00 | 今週の御言葉

【この戦いは主の戦いだ】 

 ここに集まっているすべての者も、剣や槍がなくても、主が救いをもたらすことを知るだろう。この戦いは主の戦いだ。主は、おまえたちをわれわれの手に渡される。
                                サムエル記第一17章47節

 ダビデとは何者でしょうか。神をたたえ真っ直ぐな信仰とありのままの本心を記した詩篇を多く残した詩人であり、ゴリアテとの戦いはもちろんのこと常に戦いの先陣を切る勇者であり、周囲の異民族との戦いに勝利するだけでなく同胞であるイスラエル民族内部も十二部族ごとに独立性が高い中で一つにまとめていった政治手腕を持つ王であり、何より神から油注ぎを受けた選びの器であり、救い主を予告する姿(モデル)の一つとしても認められています。
 もちろん、ダビデもまた一人の人間であり、弱さも失敗もありました。失敗や挫折を幾度も経験しながら成長し、信仰の面でも王となってからほど醜い罪を犯しています。と同時に、生涯にわたって、罪を示されたときには素直に悔い改め、真摯に罪の赦しと神との関係の回復を求める柔らかな心の持ち主でもありました。ダビデは地位や立場がいかように変わろうとも、神の前に一人の人間として立ち続け、神もまた偕にいて恵みで行く道を祝しました。神に喜ばれ受け入れられる柔らかな心の信仰について、次の三つの点を心にとめましょう。

 時として周囲から嘲られたり誤解を招くほど純粋(41~44節)…ダビデはある人たちからは小生意気な奴でした(Ⅰサム17・28、43)。それはダビデが信仰によって大胆な行動をしたからです。

 自分のような者が神に愛されることへの感謝(45~47節)…詩篇8篇でダビデは神の御業の前で自分がいかに小さな者かを告白します。自分の小ささを知る者ほど神の愛への感謝は大きいのです。

 神が与える圧倒的な勝利を体験(48~51節)…ダビデは「石一つ」で勝利しました。神が御業をなさるときは「石一つ」で十分なのです。

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ペリシテ人

2020-01-14 08:47:05 | 説教ノート余話

【ペリシテ人】

▽ペリシテ人の名は、創世記10章14節や21章32節にすでに登場しています。しかし、イスラエル民族にとって強力なライバルとなったのは、イスラエルの民がヨシュアに率いられてヨルダン川を渡って定住してから少し遅れた時期からです(士師記13章1節)。

▽そもそもペリシテ人の出身はカフトル(ギリシャとエジプトの間の地中海東側にある島。現在のクレタ島)だと、アモス書9章7節には記されています。海洋民族であるペリシテ人は、紀元前13~12世紀に地中海東岸地域を荒らしまわりました(バイキングや倭寇のような存在と言えるでしょう)。当時の超大国エジプトもペリシテ人の略奪行為には手を焼き、ついに自国の安全を守るためカナンの地(すなわちユダヤ地方)への定着を許したのです。そこでペリシテ人は、ユダヤ地方の地中海沿岸部に、アシュドデ、ガテ、エクロン、アシュケロン、ガザという都市国家を築きます。Ⅰサムエル5章で、ペリシテ人に奪われた神の箱が災いをもたらしたのがこの町々であり、ペリシテ人はこの町の分だけ償いをします(Ⅰサム6章17~18節)。

▽ペリシテ人はイスラエル民族より先に鉄器文明に入っており、鉄の刀や槍で武装
した軍隊を持っていました。それに対してイスラエルはサウルが王に選ばれた時代になっても鍛冶屋すら無く、大変な苦戦を強いられたのです(Ⅰサムエル13章19~22節)。

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