【理不尽な仕打ちさえも】
サウルはダビデを恐れた。それは、主がダビデとともにおられ、サウルを離れ去られたからである。
サムエル記第一 18章12節
神は悪意を持った人のたくらみも『祝福』に変えてくださる…「サウルはダビデを恐れた。」と繰り返して記されていますが(Ⅰサム18・12、15、29)、サウルはダビデへの嫉妬と恐れから、ダビデを殺そうとします。まずは激しいいらだちを制することができずに槍を投げつけます(Ⅰサム18・10~11)。これは衝動的な行為ですが、次には策をめぐらして戦場でペリシテ人の手で殺されるように仕組みます(Ⅰサム18・13、17、21)。しかし、その企てもまたダビデを祝福する結果となりました。それは、全能の神である主がダビデとともにいたからです(Ⅰサム18・12、14、28)。
神のご計画を『知らされていない』恵み…ダビデは繰り返して命を狙われたのにもかかわらずサウルの命令に従い、忠実に仕えています。サウル王の婿になるようにとの話が重ねて持ち込まれた際には、自分は身分が低い者であることを謙虚に語っています(Ⅰサム18・18、23)。ダビデはすでに次の王として油注がれた者ですが(Ⅰサム16・1~13)、実は彼自身はまだ油注ぎが王位継承を表すことを知りませんでした。逆に知らないからこそ、純粋な心でサウルと向き合えたのです。神様は、将来をはじめ全てのご計画をすぐに明かすお方ではありません。それもまた私たちを守る恵みなのです。
神は『現場』に身を置くものとともにおられる…ダビデには主がともにいれば戦いに勝利する確信がありました(Ⅰサム17・37)。それゆえに彼は戦いの際には常に先頭に立ち、戦場の真只中に身を置いたのです(Ⅰサム18・13、16)。全能の神は今も、現場に立つ者とともにいて勝利を授けるのです(Ⅰサム18・14、27、30)。