沼津シオン・キリスト教会

沼津駅北口から東へ徒歩5分!キラメッセぬまづのすぐそばの教会です。

礼拝式次第 2021年8月29日

2021-08-28 05:43:47 | 礼拝式次第

8月29日  礼拝

黙 祷

賛 美 446 われにきかしめよ


主の祈り


交 読 イザヤ書55章1~13節


祈 祷        


説 教        

 ヨハネの福音書12章20~36節
 人の子の栄光

賛 美 494 いざみなきたりて


献 金

感 謝

頌 栄 376 父 御子 御霊の


祝 祷

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今週の御言葉 2021年8月29日 ヨハネの福音書12章20~36節

2021-08-28 05:39:18 | 今週の御言葉

【人の子の栄光】     

 すると、イエスは彼らに答えられた。「人の子が栄光を受ける時が来ました。」
                               ヨハネの福音書12章23節

 約束されたもの…主イエスはご自分が世に来られたのは、人間の罪の身代わりとして十字架で神の裁きを受けて死ぬためであり、三日目に復活して罪と死に勝利することを知っていました(マタイ20・17~19)。そして、ヨハネの福音書12章23節では十字架の時が来たことを宣言します。ヨハネの福音書で「時」とは十字架を表します(2・4、7・30他)。
 ここで、主が十字架の時が来たことを悟ったのは異邦人である「ギリシャ人」(20節)が主の許に来たからでした。イザヤ書9章1~3節には、主がガリラヤ地方で成長することが預言されると同時に「異邦の民」(イザヤ9・2)とあるように、主の十字架と復活の救いが全ての民族へ開かれることも示します。私たちも生活の中で、主が語りかけ用いる瞬間があります。その時をとらえるため日々に御言葉に親しみましょう。

 失って得られるもの…御言葉を通して示される主の御心を知るために大切なのは、心の中で握りしめているものを手放して神様に素直な心で向き合うことです。「一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままです。しかし、死ぬなら、豊かな実を結びます。」(24節)とあるように、主の十字架を仰いで心の欲を手放すからこそ得られる神の豊かな恵みがあるのです。

 闇から光へ…興味深いことに、ヨハネの福音書にはゲッセマネの園での主の祈りの言葉が詳述されていません。その代わりに、12章27~28節に主イエスから父なる神への切なる祈りがあります。主の栄光を表すとは自分の思い通りになることではなく、父なる神の御心が成就することです。そのために、主の救いを信じ「光の子ども」(36節)となりましょう。主が栄光を表して下さいます。

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礼拝説教  2021年8月22日

2021-08-22 12:54:47 | 礼拝説教

礼拝 2021年8月22日

聖書箇所 創世記43章16~34節
説教題  この人たちは私と昼食をともにするから
説教者  荻野倍弘牧師

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礼拝式次第 2021年8月22日

2021-08-21 14:46:19 | 礼拝式次第

8月22日  礼拝

黙 祷

賛 美 712 神のお子のイエスさま

主の祈り

交 読 詩篇28篇1~9節

祈 祷

説 教
 創世記43章16~34節
 この人たちは私と昼食をともにするから

賛 美 748 まもなくかなたの

献 金

感 謝

頌 栄 376 父 御子 御霊の

祝 祷

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今週の御言葉 2021年8月22日 創世記43章16~34節

2021-08-21 14:41:49 | 今週の御言葉

【この人たちは私と昼食をともにするから】

 ヨセフは、ベニヤミンが彼らと一緒にいるのを見るや、彼の家を管理するものに言った。「この人たちを家に連れて行き、家畜を屠って料理しなさい。この人たちは私と昼食をともにするから。」
                                                創世記43章16節

 宰相ヨセフの苦労…牢獄につながれていたヨセフはファラオの夢を解き一躍、エジプトの支配者となります(創41・41~45)。だからといって、その後のヨセフに苦労が無かったわけではありません。それどころか、ヨセフと兄たちが食事をするとき、エジプト人も同席しましたが、それぞれ別々に食事が供されました。それは「エジプト人は、へブル人とはともに食事ができなかったからである。それは、エジプト人が忌み嫌うことであった」(創43・32)からです。
 へブル人の奴隷であり投獄されていた(創39・17~20)という過去は、どれだけ彼をその後も苦しめたことでしょうか。そして、そのような苦労を負っていたからこそ、ヨセフは絶えず神と人との前に誠実さを失わない、信仰による緊張感を保ったのです。

 神は苦難の中で恵みの器を作られる…美しい真珠がアコヤ貝の痛みによって作られるように、神はクリスチャン一人ひとりを愛するがゆえに、様々な苦難の中を通すことで、練られた品性とキリストにある希望と愛に満ちた恵みの器へと作り変えてくださいます(ローマ5・1~5)。
 どのような試練も、人にはつらいものです。しかし主は試練の中でもともにいてくださるのです。

 神を信じる者は純粋さを失わない…困難な日々が続くと、人の心は傷つき、恨みや劣等感に支配されてしまいます。
 しかし、神に愛されて救われたことを体験した者は、どのような状況の中でも神の恵みを見つけて純粋に喜び、感謝をささげます。その神への感謝がその人の心に潤いと力を与え、全てが益となるのです。

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