イスラエル人の全会衆に告げて言え。
あなたがたの神、主であるわたしが聖であるから、
あなたがたも聖なる者とならなければならない。
(レビ記 19章2節)
レビ記は、前後の出エジプト記や民数記では、歴史的な出来
事の合間に「律法」について記されているのに対し、10章や24
章という例外を除いて、大部分が律法に関する教えで占められ
ている、という特色があります(それゆえ、なかなか礼拝や祈
祷会などの説教で触れられることが少ないということも)。
しかし、レビ記は杓子定規な律法の細かい教えで、人々の生
活や心を縛ろうとしている、と捉えることは間違いです。レビ
記の主題は、「聖さ(きよさ)」の一言に尽きます。聖という言
葉そのものがレビ記全体で80回以上用いられ、特に後半の17~
26章は「聖潔(きよめ)の法典」と言われるほど、聖なる神の前
に、私たちもまた聖く(きよく)あることが強調されています。
神のみこころは、私たちも聖くあること…神は聖いお方で
あるがゆえに私たちにも聖さを求める、それが聖書の真理です
(Ⅰペテロ1章15、16節。ガラテヤ5章13~26節)。
聖さの源は、主イエスの十字架…私たちを聖くすることがで
きるのは、主イエスの十字架の血潮のみです(へブル9章14~
28節)。レビ記に詳細に記されているいけにえや儀式の定めは
、主イエスの十字架のひな型(プロトタイプ)です。
聖さを継続する力はみことばにあり…御言葉は信じて受け入
れるとき大きな力となります(へブル4章2、12節)。そして、
御言葉を生きることこそが証しと伝道です(Ⅰテサ4章1~8節)