沼津シオン・キリスト教会

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今週の御言葉(2012年2月19日)

2012-02-21 10:53:22 | 今週の御言葉

 イスラエル人の全会衆に告げて言え。
 あなたがたの神、主であるわたしが聖であるから、
 あなたがたも聖なる者とならなければならない。
                 (レビ記 19章2節)

 レビ記は、前後の出エジプト記や民数記では、歴史的な出来
事の合間に「律法」について記されているのに対し、10章や24
章という例外を除いて、大部分が律法に関する教えで占められ
ている、という特色があります(それゆえ、なかなか礼拝や祈
祷会などの説教で触れられることが少ないということも)。
 しかし、レビ記は杓子定規な律法の細かい教えで、人々の生
活や心を縛ろうとしている、と捉えることは間違いです。レビ
記の主題は、「聖さ(きよさ)」の一言に尽きます。聖という言
葉そのものがレビ記全体で80回以上用いられ、特に後半の17~
26章は「聖潔(きよめ)の法典」と言われるほど、聖なる神の前
に、私たちもまた聖く(きよく)あることが強調されています。
 神のみこころは、私たちも聖くあること…神は聖いお方で
あるがゆえに私たちにも聖さを求める、それが聖書の真理です
(Ⅰペテロ1章15、16節。ガラテヤ5章13~26節)。
 聖さの源は、主イエスの十字架…私たちを聖くすることがで
きるのは、主イエスの十字架の血潮のみです(へブル9章14~
28節)。レビ記に詳細に記されているいけにえや儀式の定めは
、主イエスの十字架のひな型(プロトタイプ)です。
 聖さを継続する力はみことばにあり…御言葉は信じて受け入
れるとき大きな力となります(へブル4章2、12節)。そして、
御言葉を生きることこそが証しと伝道です(Ⅰテサ4章1~8節)

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今週の御言葉(2012年2月12日)

2012-02-13 19:15:20 | 今週の御言葉

  それゆえ、私の心は喜び、
  私のたましいは楽しんでいる。
  私の身もまた安らかに住まおう。   (詩篇 16篇9節)

 私の心は喜び…聖書は、主イエス・キリストをまことの神で
あり救い主であると示しています。そして、主イエスを信じる
とき、まことに私たちの心に大きな喜びが満ちるのです。それ
は過去の罪や責めからの解放であり、今を生きる力であり、永
遠のいのちに通じる明日への希望です。主イエス・キリストを
信じる者は心の闇から解放され、主の喜びに輝くのです。
 私のたましいは楽しんでいる…主イエスを信じるとき、主に
在って不思議な、そして素敵な出会いがあります。友との出会
い、天職との出会い、そして教会との出会いなど、確かに主は
私と共に生きておられ、人生を導いておられることを出会いを
通し実感します。そして主イエスに導かれる出会いは、順境の
時も逆境の時にも、私たちのたましいを楽しみで満たしてくれ
るのです。
 私の身もまた安らかに住まおう…喜びと楽しみを得る大前提
として、心の平安が不可欠です。主イエスは、十字架にかかる
直前に「わたしは、あなたがたに平安を残します。わたしは、
あなたがたにわたしの平安を与えます。わたしがあなたがたに
与えるのは、世が与えるのとは違います。」(ヨハネの福音書14
章27節)と語りました。確かに、主イエスは十字架で死んだ後、
三日目によみがえり、信じる者に罪の赦しと永遠のいのちの希
望を与えます。この主イエスを救い主として心に迎え入れると
き、私たちの心は平安に満たされるのです。

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今週の御言葉(2012年2月5日)

2012-02-13 19:13:58 | 今週の御言葉

イスラエルは主がエジプトに行われたこの大いなる御力を見
たので、民は主を恐れ、主とそのしもべモーセを信じた。
                                出エジプト記 14章31節

 恐れのあるときに…エジプトでの長い奴隷生活から解放され、
モーセを指導者として神の約束の地カナンを目指して出発した
イスラエルの民に、さっそく試練が襲いかかります。なんと、
エジプト軍が追跡してきたのです。そのとき、イスラエルの民
が恐れたのは、ある意味で自然です。今まで数百年もの間、奴
隷としてしいたげられ、屈従することに馴れていたのですから。
しかし、いつまでも恐れに囚われていては、成長や変化はあり
ません。注目すべきことに、イスラエルの民はただ恐れるので
はなく、「主に向かって叫んだ」(出エジ14・10)のです。私た
ちも救われる前に囚われていた悪習慣や心の悪しき傾向性から
解放されるため、恐れのあるときこそ主に祈るべきです。
 救いは、しっかり立って受け取るもの…エジプトの軍勢から
救われるためにイスラエルの民がするべきことは、「しっかり
立って、きょう、あなたがたのために行われる主の救いを見
なさい」(出エジ14・13)ということでした。救いは、主のわざ
です。私たちの成すべきことは、どんなときにも主を信じて、
主を賛美することです(Ⅱ歴代20・14~23)。
 主の救いを体験することこそ、信仰…「イスラエルは主がエ
ジプトに行われたこの大いなる御力を見た」(出エジ14・31)と
あるように、主を信じて歩む者は日々の歩みの中で主の御わざ
を体験します。すなわち、主イエスが約束された通り、信じる
者は主の栄光を見るのです(ヨハネ11・40)。

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