沼津シオン・キリスト教会

沼津駅北口から東へ徒歩5分!キラメッセぬまづのすぐそばの教会です。

今週の御言葉 2015年5月24日

2015-05-25 15:54:01 | 今週の御言葉

   なんと幸いなことでしょう。
   あなたの家に住む人たちは。
   彼らは、いつも、あなたをほめたたえています。
                      詩篇84篇4節

 明治から昭和にかけて活躍し、日本の宣教に大きな足跡を残さ
れたB・F・バックストン師は、詩篇84篇に3回繰り返されてい
る「幸いなことでしょう」(4、5、12節)について、こう語って
います。『この三つの幸福はいずれもペンテコステに関わるもので
ある。ペンテコステの恵みを受けてこういう幸福を経験するので
ある。』(詩篇の霊的思想)と。具体的には、それぞれの「幸いなこ
とでしょう」に続くことばに、その祝福が示されています。


 主の家に住む人たち(4節)…主の家に住むとは、教会で礼拝を
捧げ諸集会に出席することはもちろんのこと、日々の歩みの中で
も絶えず主を意識し、主との交わりの中で生きることです。「わた
しは、あなたがたを捨てて孤児にはしません。わたしは、あなた
がたのところに戻って来る」(ヨハネ14・18)と主イエスは語りま
した。実に主は、御聖霊として私のうちに住まわれるのです。

 その力が主にある人(5節)…「神が私たちに与えてくださった
ものは、おくびょうの霊ではなく、力と愛と慎みの霊です」(Ⅱテ
モテ1・7)とあるごとく、御聖霊がのぞむとき誰もが新しく変え
られます。イースターの夕方まではユダヤ人を恐れて家に閉じこ
もっていた弟子たちが(ヨハネ20・19)、ペンテコステ直後からは
ユダヤ人や諸国の人々へ大胆に福音を語ったのです(使徒2・14)

 主に信頼する人(12節)…「聖霊を受けなさい」(ヨハネ20・22)
と、主イエスは今も語られます。私たちが御聖霊を受けることは
神のみこころであり(Ⅰテサロニケ4・3~8)、御聖霊の満たし
を信じて祈るなら、必ず主は与えて下さいます(ルカ11・9~13)。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

今週の御言葉 2015年5月17日

2015-05-19 19:11:24 | 今週の御言葉

天の御国は、王子のために結婚の披露宴を設けた王にたとえる
ことができます。          マタイの福音書 22章2節

 神の招きを軽んじる人たち(マタイ22・3~6)…結婚披露宴に
は宛名が記された招待状を受け取った人たちが出席します。同じ
ように、神様は私たち一人ひとりの名を呼んで救いへと導いてく
ださり、(ヨハネ10・3)、それぞれに使命を授けてくだるのです
(ヨハネ15・16)。しかも、王にたとえられている神は、ご自分の
ほうから私たちのもとへと「しもべたちを遣わし」(4節)、さら
には「しもべたちは、通りに出て行って」(10節)、私たちに呼び
かけています。しかも現実には、私のような者をも天の御国へと
招くために、神の御子が世へ下ってきました(ヨハネの福音書3・
16)。信仰とは、この神の招きに対して真実に応答することです。
 ところが、招かれた人々は「気にもかけず」(5節)に神の招き
を無視し、「しもべを殺してしまった」(6節)と記されています。
神様の招きよりも自分の都合を優先することは、神よりも自分を
愛しており、そこに信仰はないのです(Ⅱテモテ3・1~5)。

 神の報いの厳粛さ(マタイ22・7)…神は生きておられ創造主で
あり愛と義に満ちておられるお方であるがゆえに、主に従う者に
は救いがあり、主に背を向ける者には滅びがあります。実際、主
がこのたとえを語られた三十数年後の紀元70年、エルサレムの街
は攻め滅ぼされ、神殿をはじめ全てが焼き尽くされました。神を
あなどってはいけません。

 神は必要の全てを備えたうえで招かれる(マタイ22・8~14)…
「どうして礼服を着ないで」(12節)とありますが、地位や富を持
つ者は宴席に招く人々のため礼服を用意するのが習わしでした。
私たちが天の御国へ入るために、神は主イエスの十字架と復活に
よる救いという礼服を備えています。信仰とはまた、主の救いと
いう礼服を日々に着ることです(イザヤ61・10、ガラテヤ3・27)。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

創立56周年記念集会 

2015-05-11 17:45:34 | 特別行事・集会

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

今週の御言葉 2015年5月10日

2015-05-11 17:36:07 | 今週の御言葉

 イエスは彼らに言われた。「あなたがたは、次の聖書のことばを
読んだことがないのですか。『家を建てる者たちの見捨てた石。そ
れが礎になった。これは主のなさったことだ。私たちの目には、
不思議なことである。』」     マタイの福音書 21章42節

 捨てられた石(Ⅰペテロ2・4~10)…「主のもとに来なさい。
主は、人には捨てられたが、神の目には、選ばれた、尊い、生け
る石です。」(Ⅰペテロ2・4)とあるように、主イエスは私たちの
救いのため、十字架にかかりました。そしてペテロ自身、十字架
を目前にした主を捨てたのです(ルカ2・31~34、54~62)。主の
十字架の尊さを知るために、まず私たちは自分自身の罪深さや汚
れを見つめることが必要です。そして愛に満ちた神は裁くためで
はなく救うために、私たちに罪を示されるのです。

 礎の石(使徒4・10~12)…「『あなたがた家を建てる者たちに捨
てられた石が、礎の石となった』というのはこの方のことです。
この方以外には、だれによっても救いはありません。天の下でこ
の御名のほかに、私たちが救われるべき名は人に与えられていな
いからです。」(使徒4・11~12)とあるように、私たちの罪のため
十字架にかかり復活された主イエスを信じるとき、誰もが救われ
ます。そして救いとは、永遠のいのちを得ることです(ヨハネの福
音書3・16)。死に勝利する救いは主だけが与えて下さるのです。

 主のなさることは不思議(エペソ2・20~22)…主の為さること
は人の想像をはるかに超えます。実際、第二次世界大戦後に宣教
師が国外退去した国でも、いま多くのキリスト者がいます。祈る
とき、主は不思議をなされます。そして何より不思議で感謝なこ
とは、祈るとき御聖霊は私にも注がれ、「このキリストにあって、
あなたがたもともに建てられ、御霊によって神の御住まいとなる
のです」(エペソ2・22)。御聖霊に満ちると、主に似た者と変え
られます(ガラテヤ5・22~26)。御霊の満たしを祈りましょう。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

今週の御言葉 2015年5月3日

2015-05-05 13:31:25 | 今週の御言葉

 イエスは三度ペテロに言われた。「ヨハネの子シモン。あなたは
わたしを愛しますか。」ペテロは、イエスが三度「あなたはわたし
を愛しますか」と言われたので、心を痛めてイエスに言った。「主
よ。あなたはいっさいのことをご存じです。あなたは、私があな
たを愛することを知っておいでになります。」イエスは彼に言われ
た。「わたしの羊を飼いなさい。」  ヨハネの福音書 21章17節

 わたし(主イエス)の羊と関わること(15~17節)…「この人たち
以上に」(15節)という主のことばは、「ほかの何ものよりも」と
訳すこともできます。少なくとも、他人との比較や競争ではあり
ません。その証拠に、主は「わたしを愛しますか」と三回語るのに
に続けて必ず、「わたしの小羊を飼いなさい。」(15節)、「わたしの
羊を牧しなさい。」(16節)、「わたしの羊を飼いなさい。」(17節)
と、主が愛する人々と向き合い関わることを勧めています。
 わたし(主イエス)に従うこと(18~19節)…主に在って人と向き
合い関わるために大切なことは、主に従うことです。主の導きが
たとえ自分にとっては都合の悪いことや嫌なことであっても、主
がお望みならばその通りに生きることです。そうするときに、全
てのことを最善以上にしてくださる主は、どんな試練やマイナス
の出来事であっても、救われた罪人に過ぎない私をも「神の栄光
を現す」(19節)者としてくださるのです。
 わたし(主イエス)との個人的関係(20~23節)…主に従うために
必要不可欠なものは、主との個人的な親しい関係です。それは、
人から聞いた信仰や頭で理解するものではありません。ましてや
感情的な昂ぶりや興奮でもないのです。心の奥深いたましい(霊
性)において、私は主と出会ったという体験、本当にみじめで罪
深い自分の姿を思い知らされ、その私が主の十字架と復活によっ
て罪赦され救われた喜びを経験することです。「あなたは、わた
しに従いなさい」(22節)と語りかける主の声を聴きましょう。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする