【ハンナの祈り】
ハンナの心は痛んでいた。彼女は激しく泣いて、主に祈った。
サムエル記第一1章10節
今年もいよいよ次週からアドベント(待降節)に入ります。今朝は、救い主の地上の母として選ばれたマリアの祈りの源泉ともいわれるハンナの祈りがどのようにして生み出されたのかを、ともに学びましよう。
痛みといら立ちの中から生み出された…旧約聖書の時代、「ハンナには子がいなかった」(2節)という現実ほど辛いことはありませんでした。しかも、もう一人の妻ペニンナはそのことをネタに「彼女をひどく苛立たせ、その怒りをかき立てた」(6節)のでした。自分の力ではどうすることもできない心の痛みを通して、ハンナの心は砕かれ、全能の神へと霊の眼は向けられたのでした。
心とたましいを神の前に注ぎ出す中で生み出された…痛切な心の痛みをおぼえるとき、全能の神の御前に出て、注ぎ出して祈ることができるのは、信仰者の特権です。ハンナはいわゆる優等生のように、決して物わかりよく上品に祈ったわけではありません。「彼女は激しく泣いて、主に祈った」(10節)とあるように、つのる思いを隠すこともせず、感情を赤裸々に現したうえで、率直な思いを神に祈りました。それは、祈りと言うよりもたましいの叫びだったことでしょう。その率直さを神は受け止めて下さいます。
神への信仰から生み出された…信仰とは、神に対して本音をぶつけることです。と同時に、「私を心に留め、このはしためを忘れず、男の子を下さるなら、私はその子を一生の間、主にお渡しします」(11節)と、神の御手に全てを明け渡して委ね切る、しもべ(はしため)としての献身の心を含んでいます。そこには、神は最善以上をなしてくださる、という絶対的な信頼があるのです。