【主のみことばを守る者への祝福】
わたしはあなたの行いを知っている。見よ。わたしは、だれも閉じることができない門を、あなたの前に開いておいた。あなたには少しばかりの力があって、わたしのことばを守り、わたしの名を否まなかったからである。
ヨハネの黙示録3章8節
フィラデルフィアには新約聖書の時代、ギリシャ神話のディオニクス(酒の神)を祀る神殿がありました。またヨハネが主の啓示により黙示録を記した紀元90年よりしばらく前の紀元17年には大きな地震がありました。また、後の紀元150年には迫害により、十名を超える殉教者がこの街の教会から出ます。このようにうち続く試練の中でも、フィラデルフィアの教会は「勝利を得る者」(12節)と主の称賛を得ました。それは、主のみことばを守ったからであり(8、12節)、みことばを守るとは次の三つの特徴があります。
主イエスの救いを信じる(8節)…「少しばかりの力が」を新共同訳は「力が弱かったが」と訳します。人の力は神の前には無に等しいです。しかし、誰であれ主の名を否定せずに、みことばを通して主イエスを救いの門(ヨハネの福音書10・9)として信じるとき、その人は救われて永遠のいのちを得るのです。
主イエスの愛のうちに耐え忍ぶ(10節)…主は私たちを救うために、十字架を耐え忍びました(へブル12・1~3)。主に心を明け渡すとき、聖霊が満ちてくださいます。聖霊を得たことの証しは、主に在って忍耐の心を持つことです(Ⅰコリント13・4~7)。
キリストとともにいる(11~12節)…11節の「しっかり保ちなさい」を新共同訳では「固く守りなさい」と訳しますが、保つにしても固く守るにしても、常にみことばから主を想い、その愛に触れ続けるとき、主は地上でも天の御国でもともにいてくださいます。