沼津シオン・キリスト教会

沼津駅北口から東へ徒歩5分!キラメッセぬまづのすぐそばの教会です。

今週の御言葉 2015年9月27日

2015-09-27 14:56:21 | 今週の御言葉

 あなたがたは、地の塩です。もし塩が塩けをなくしたら、何
によって塩けをつけるのでしょう。もう何の役にも立たず、外
に捨てられて、人々に踏みつけられるだけです。
 あなたがたは、世界の光です。山の上にある町は隠れる事が
できません。       
                 マタイの福音書 5章13、14節

 クリスチャンはみな、神の子どもとしてこの世に在って、
 期待される存在です…塩は身体のために必要不可欠なもので
あるとともに、食材に元々備わっている持ち味を生かし、腐敗を
防ぐ働きもあります。そして、14節の「あなたがたは、世界の光」
の「あなたがた」ということばは、原語のギリシャ語では「あな
たがたこそ」や「あなたがただけが」という強い表現が用いられ
ています。すなわち、クリスチャンはきよい生き方を通し社会の
塩として、また内に在るキリストの輝きを通して社会だけでなく
人々の心を照らす役割が神と人から期待されています。

 期待に応えるために…塩は塩けを保つからこそ意味があります。
11~12節に記されている迫害や攻撃にあうときにこそかえって、
地の塩としての存在意義を発揮することができるのです。塩は料
理ではたいていの場合、その姿を無くし溶け込むことでかえって
味を際立たせています。クリスチャンも、厳しさのある社会生活
でこそ埋没や隔絶することなく、キリストの心で積極的に関わる
ことでかえって輝く存在となりましょう。そのためにも、ランプ
のあかりが輝き続けるために油が必要なように、礼拝や静聴を守
ることで、間断なく主と交わることが大切です。

 期待以上に…主に信頼する者を、主は真昼の光のように誰もが
認めるかたちで輝かされ(詩篇37・5~6)、なすべき良い行ない
を備えています(エペソ2・10)。何より、迫害されたとしても天
の御国があります(マタイ5・10)。それは彼らの心に、「義の太
陽」(マラキ4・2)とたとえられる主の救いがあるからです。

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今週の御言葉 2015年9月20日

2015-09-21 09:39:42 | 今週の御言葉

 この天地は滅び去ります。しかし、わたしのことばは決して
滅びることはありません。
                        マタイの福音書 24章35節

 いちじくの木から、たとえを学びなさい(32~35節)…主イエ
ス・キリストは、いちじくの木の成熟を用いて、すでに語った世
の終わりの前兆(マタイ24・4~14)があらわれたら、世の終わり
とキリストの再臨が近いことを悟るように教えます。と同時に、
「これらのことのすべてを見たら」(33節)、「これらのことが全
部起こってしまうまでは」(34節)とあるように、主の再臨を待望
するからこそキリスト者は、いまの時代の動きを冷徹に見つめる
洞察力と冷静かつ真実な行動が大切です。歴史を支配する全能の
創造主である神様の視点で物事や時代を見る目は、滅びることの
ない神のことば(35節)を通して養われます。

 目をさましていなさい(36~44節)…そもそもキリストの再臨の
ときがいつなのかは誰もわからず、。「ただ父だけが知っておられ
れます。」と主は語りました(36節)。ここで主イエスが全能の創
造主を「神」や「主」ではなく「父」と語られたことに注目しま
しょう。山上の説教でも主イエスは神を繰り返し「父」と語って
います(マタイ5・45、48。6・1、4、6、8、9、14、15、
18、26、32。7・11、21)。愛と義に満ちた父なる神が最善のとき
を備えておられるゆえに、いつキリストが再臨されても慌てるこ
とのないよう、心備えが大切です。

 忠実な賢いしもべとは(45~51節)…キリストの再臨への備え、
それはまじめに主を信じ生活することです。マタイ24章46節を、
ある翻訳は「主人が帰ってきたとき、言われた通りのことをまじ
めにやっているのを見られれば、幸いである。」(柳生直行訳)と
記しています。信仰でも日々の生活や働き、学びでも、地道にこ
つこつと丁寧に歩む者を、主は祝福と栄光へと導くのです。

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今週の御言葉 2015年9月13日

2015-09-14 16:38:57 | 今週の御言葉

 そのとき、人の子のしるしが天に現れます。すると、地上の
あらゆる種族は、悲しみながら、人の子が大能と輝かしい栄光
を帯びて天の雲に乗って来るのを見るのです。
                   マタイの福音書 24章30節

 No Cross,No Crown…教会に古くから伝わる格言に、十字架の
苦しみ無くして栄冠の誉れ無し、というものがあります。神の御
子である主イエスでさえ、私たちの救いのために十字架の苦しみ
を経ることでよみがえり栄光の御座に着きました(ピリピ2・6
~11)。私たちもまた、キリスト者だからこそ味わう試練艱難が
あります。具体的には、まことの神ではない『荒らす憎むべき
者』(15節)を崇拝するよう働く力であり(Ⅱテサロニケ3・4)、
にせキリストの出現です(24節)。混迷する時代は、真の知識とあ
らゆる識別力に裏打ちされた愛が必要です(ピリピ1・9、10)。

 人の子のしるし…主イエスはここでご自身を指して「人の子」
と称しています(27、30、31、33、37、39、44節)。この「人の子」
とはダニエル書7章13~14節を踏まえており、黙示録1章7節と
つながっています。このように聖書の事象、とくに主イエスに関
連する事柄は旧約と新約の両聖書が美しい調和を示しています。
すなわち、聖書の御言葉は一部分だけを切り取って解釈するので
はなく、主イエスの救いを示すという聖書全体の使命と調和から
ひも解いていくことが大切なのです。

 選びの民…「選ばれた者」ということばがこの箇所では繰り返
し主イエスから語られています(22、24、31節)。私たちの救いは
もちろん一方的な神の恵みです(エペソ2・8~9)。そして、私
たちがキリスト者として選ばれたことには、神の期待と私たちの
果たすべき責任が伴います。具体的には、キリスト者として実を
結ぶ責任があります(ルカ13・6~9)。その責任は、主イエスと
つながり続けることで豊かに実現します(ヨハネ15・1~5、16)。

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今週の御言葉 2015年9月6日

2015-09-06 15:49:52 | 今週の御言葉

  わたしは、良い牧者です。良い牧者は羊のためにいのちを
 捨てます。
                    ヨハネの福音書 10章11節

 導き手である主イエス…人は誰もが、人生の導き手を求めます。
そして主イエスこそが、私たちの人生を導くお方なのです。なぜ
なら、まず主イエスは私たちの存在と人格を認めるからです。「彼
は自分の羊をその名で呼んで連れ出します」(3節)とありますが、
名を呼ぶとは相手の尊厳を認める心の表れです。そして、「彼は、
自分の羊をみな引き出すと、その先頭に立って行きます。」(4節)
とあるように、率先して導いてくださるのです。今も主イエスは、
私たちが人生の荒海を渡るときも、聖書のみことばという海図を
通して導いてくださいます。

 養う方である主イエス…主イエスは指示をするだけのお方では
ありません。羊飼いは羊が緑豊かな牧草地で草をはむよう心がけ
(9節)、狼などの野獣から守るためときにいのちをかけるように、
私たちを養い守ってくださるのです。そしてときには、良い羊飼
いはわがままな羊や群れを離れて危険にさらされようとする羊に
対して、むちと杖をもって厳しく接するように、みことばの剣や
様々な試練を通して私たちを悔い改めへと導きます。しかしそれ
は、「あなたのむちとあなたの杖、それが私の慰めです」(詩篇23
篇4節)とあるように、私たちを裁くためではなく救うためです。

 救い主である主イエス…主イエスが救い主である証し、それは
主が私たちの救いのために十字架で私たちの罪のため身代わりと
して神の裁きを受けて死なれたことによって示されています。そ
のことを主ご自身が「わたしは羊のためにわたしのいのちを捨て
ます」と繰り返し語っています(11、15、17、18節)。私のような
者を救うため十字架でいのちを捨てられるほどに、主は私を愛し
てくださっていることを忘れてはいけません。

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