あなたがたは、地の塩です。もし塩が塩けをなくしたら、何
によって塩けをつけるのでしょう。もう何の役にも立たず、外
に捨てられて、人々に踏みつけられるだけです。
あなたがたは、世界の光です。山の上にある町は隠れる事が
できません。
マタイの福音書 5章13、14節
クリスチャンはみな、神の子どもとしてこの世に在って、
期待される存在です…塩は身体のために必要不可欠なもので
あるとともに、食材に元々備わっている持ち味を生かし、腐敗を
防ぐ働きもあります。そして、14節の「あなたがたは、世界の光」
の「あなたがた」ということばは、原語のギリシャ語では「あな
たがたこそ」や「あなたがただけが」という強い表現が用いられ
ています。すなわち、クリスチャンはきよい生き方を通し社会の
塩として、また内に在るキリストの輝きを通して社会だけでなく
人々の心を照らす役割が神と人から期待されています。
期待に応えるために…塩は塩けを保つからこそ意味があります。
11~12節に記されている迫害や攻撃にあうときにこそかえって、
地の塩としての存在意義を発揮することができるのです。塩は料
理ではたいていの場合、その姿を無くし溶け込むことでかえって
味を際立たせています。クリスチャンも、厳しさのある社会生活
でこそ埋没や隔絶することなく、キリストの心で積極的に関わる
ことでかえって輝く存在となりましょう。そのためにも、ランプ
のあかりが輝き続けるために油が必要なように、礼拝や静聴を守
ることで、間断なく主と交わることが大切です。
期待以上に…主に信頼する者を、主は真昼の光のように誰もが
認めるかたちで輝かされ(詩篇37・5~6)、なすべき良い行ない
を備えています(エペソ2・10)。何より、迫害されたとしても天
の御国があります(マタイ5・10)。それは彼らの心に、「義の太
陽」(マラキ4・2)とたとえられる主の救いがあるからです。