【教会はキリストのからだ】
教会はキリストのからだであり、すべてのものをすべてのもので満たす方が満ちておられるところです。
エペソ人への手紙 1章23節
キリスト教会は、まず、人が神に礼拝を捧げるために集まる場です。そして、主イエス・キリストを中心とした祈りと交流の場でもあります。さらに、集う一人ひとりが、ご聖霊として生きて働いておられる主イエス・キリストのいのちに触れ、その豊かな恵みと愛を受けて潤される場でもあります。
そのキリスト教会について、パウロもまたそれぞれの教会へ御聖霊に導かれて記した手紙の中で何回か触れています。エペソ人への手紙1章23節からは、次の三つのことが告げられています。
キリストが教会のかしら…「御子はそのからだである教会のかしらです。」(コロサイ1章18節。18~22節も参照)とあります。まさに、頭につながってこそ身体が生きるように、教会の土台はキリストであり、キリストが中心であることが教会のいのちです。これは当たり前のことですが、いつの時代も問われることです。
キリストのからだの各部分である私たち…「あなたがたはキリストのからだであって、一人ひとりはその部分です。」(Ⅰコリント12章27節。12~27節も参照)とあるように、一人ひとりが大切な「部分」(器官)です。それは、大人も子どもも、礼拝に集う人も諸事情で集えない方々も、教会に関わる全ての人が含まれます。
キリストの力に満ちているのが教会…教会はキリストのからだであるので「人知をはるかに超えたキリストの愛を知る」(エペソ3章19節)のです。そして、キリストの愛は「受けるよりも与えるほうが幸いである」(使徒20章35節)を実践するときに体験でき、しかも、キリストの愛はさらに深められ広げられていくのです。