沼津シオン・キリスト教会

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今週の御言葉 2019年5月26日  ヨハネの福音書20章19~23節

2019-05-27 19:32:22 | 今週の御言葉

【平安があなたがたにあるように】

 その日、すなわち週の初めの日の夕方、弟子たちがいたところでは、ユダヤ人を恐れて戸に鍵がかけられていた。すると、イエスが来て彼らの真ん中に立ち、こう言われた。「平安があなたがたにあるように。」
                                                 ヨハネの福音書 20章19節

 主イエスの十字架と復活は、罪を赦し恐れから解放する…「平安があなたがたにあるように」(19節)と語った後、主イエスは「その手とわき腹を彼らに示された。」(20節)とあります。これは、私たちの平安や喜びの源が主イエスの十字架と復活であることを示しています。   
 主イエスは、十字架にかかる前も弟子たちに、平安を与えると語っています(ヨハネの福音書14章27節、16章33節)。しかし、弟子たちは主イエスの言葉を耳で聞いても、復活の主と会うまでは、平安がありませんでした。
 私たちも、主イエスの十字架と復活を頭で理解するだけでなく、心で信じ体験するとき、罪と恐れから解放されて、真の平安と喜びを得るのです。

 主イエスは、生きる希望と使命を与える…主イエスが二度目に「平安があなたがたにあるように」(21節)と語った後に「父がわたしを遣わしたように、わたしもあなたがたを遣わします。」とも語っています。
 主イエスの十字架と復活を信じる者はみな、この主を信じる喜びを伝える使命を授かっています。すなわち、一人ひとりに、主イエスに在って生きる意味と目的があるのです。

 主イエスは、求める者に御聖霊を注いでくださる…『こう言ってから、彼らに息を吹きかけて言われた。「聖霊を受けなさい。」』とあります。人間は神のいのちの息を受けて造られた存在であり(創世記2章7節)、誰もが聖霊を受けることで新しくされるのです。
 そして、誰でも祈り求めるなら、御聖霊を受けることができます(ルカの福音書11章9~13節、ヨハネの福音書7章37~39節)。

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今週の御言葉 2019年5月19日  イザヤ書42章1~13節

2019-05-19 08:56:36 | 今週の御言葉

 【しもべとなる誇り】

 見よ。わたしが支えるわたしのしもべ。
 わたしの心が喜ぶ、私の選んだ者。
 わたしは彼の上にわたしの霊を授け、
 彼は国々にさばきを行う。
                                 イザヤ書42章1節

 しもべとなる光栄(イザヤ42・1~4)…旧約聖書にて全能の神が「わたしのしもべ」と呼んだ人は、アブラハム(創26・24)、モーセ(民数12・7、8)、カレブ(民数14・24)、ダビデ(Ⅱサムエル3・18)、ヨブ(ヨブ1・8)さらにはイザヤ(イザヤ20・3)と、闇夜に輝く星の如き信仰の器たちでした。
 そして、しもべの中のしもべともいうべきお方は、イザヤ書42章1~4節で預言されている救い主イエス・キリストであると、マタイ12章17~21節には宣言されています。
 すなわち、クリスチャン(キリストの心を自分の心とする人)とは、主のしもべとなることなのです。

 しもべに注がれる御聖霊(イザヤ42・5~9)…キリストは神の御子ですが地上においては、聖霊に満たされることで力ある働きをすることがイザヤ書で預言されています(イザヤ11・1~5)。
 そしてキリストを信じた者また、神のしもべとなることを求め、十字架の恵みで自我を砕かれて心を明け渡すとき、主のしもべとなった心へ聖霊は満ちてくださるのです(使徒2・16~28)。

 聖霊に満たされたしもべは喜び歌い力に満ちる(イザヤ42・10~13)…「新しい歌」(イザヤ42・10)とは主の救いを喜び感謝する歌です。主の救いとは、愚痴や不満から解放され、聖霊に満たされて主に在る感謝と喜びに満たされた心と生きざまになることです。
 そのように生きる人に主は力を与え、力強く働いてくださるのです(イザヤ30・15、40・31)。

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今週の御言葉 2019年5月12日 イザヤ書41章14~16節

2019-05-12 09:36:43 | 説教ノート余話

  恐れるな。虫けらのヤコブ、
  イスラエルの人々。  わたしがあなたを助ける。
   ー主のことばー
  あなたを贖う者はイスラエルの聖なる者。
  見よ。わたしはあなたを
  鋭く新しい両刃の打穀機とする。
  あなたは山々を踏みつけて粉々に砕き、
  丘を籾殻のようにする。  
                      イザヤ書41章14、15節

 恐れるな、虫けらのヤコブ…私たちは自分の弱さや愚かさを思い知らされたとき、自分が虫けらのように小さな存在だと感じます。それは確かに辛く痛い経験です。
 しかし、その痛みを知ったときに初めて、私のような愚かな人間はキリストの心を知ることができるのです。詩篇22篇はキリストの十字架を預言しますが、6節には「しかし 私は虫けらです。人間ではありません。人のそしりの的 民の蔑みの的です。」とあります。心を砕かれた時に、人はキリストを身近に体験して主の慰めと力を得るのです。

 あなたを贖(あがな)う者はイスラエルの聖なる者…キリストは聖なるお方であり、人となって私たちの罪の身代わりとなって十字架で神の裁きを受けた贖い主です。
 贖いとは、私たちを罪の泥沼から救い、神の子どもとしての立場を回復することです。それは「このキリストにあって、私たちはその血による贖い、背きの罪の赦しを受けています。これは神の豊かな恵みによることです。」(エペソ1・7)とあるように、創造主である神の恵みです。

 わたしはあなたを鋭く新しい両刃の打穀機とする…キリストを信じ、しかも心を主に明け渡して聖霊に満たされた者は、肉の思いが聖霊の火で焼き尽くされてきよめられるとともに、神の大いなる力を得ます。
 神の力とはすなわち、救い主イエス・キリストの御名により祈ることです(ヨハネの福音書14・14、15・16、16・23~26)。信じる者の祈りは自分の心を変え、世の中を変えます。

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今週の御言葉 2019年5月5日

2019-05-05 08:37:48 | 今週の御言葉

しかし、主を待ち望む者は新しく力を得、  鷲のように、翼を広げて上ることができる。  走っても力衰えず、歩いても疲れない。                   
                                                         イザヤ書40章31節

 しかし、主を待ち望む者は新しく力を得…復活したキリストは弟子たちに向かい、「エルサレムを離れないで、わたしから聞いた父の約束を待ちなさい。ヨハネは水でバプテスマを授けましたが、あなたがたは間もなく、聖霊によるバプテスマを授けられるからです。」(使徒1・4、5)と語りました。
 キリストのことばを守って聖霊を祈り待望していた弟子たちは、キリストの約束通りにペンテコステの日に聖霊を受けたのです。キリスト者にとって待つことこそが、主の圧倒的な勝利への扉を開く鍵です。

 鷲のように、翼を広げて上ることができる…沼津市の中心に位置する香貫山(標高200m)には、鷲や鷹の仲間であるトビが生息しています。昼間は香貫山や狩野川周辺はもとより、街中にある沼津シオン教会の周辺でも、空を見上げるとトビが飛んでいます。鷲もトビも翼をはばたかせずとも、翼を広げることで気流を上手にとらえて悠々と大空を舞うことができるのです。
 クリスチャンもまた、自分の力でジタバタせずとも、信仰の翼を広げて救い主キリストに我が身を委ねるとき、聖霊の気流に乗って自分の力をはるかに越える神の恵みの世界を飛翔するのです。

 走っても力衰えず、歩いても疲れない…心も身体もそして霊性において力が衰えたり疲れをおぼえるのは、そもそも自分の力で何とかしようと気負っているからではないでしょうか。しかし、自分の罪を認めて悔い改め、主の十字架の許に自分を置く者には聖霊が注がれます。
 聖霊はどのような人でも内面から変え、愛と喜びと平安に満たします。そして何より、人を裁かずに感謝して祈ることで、生活の中でも神の力を発揮するのです。

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