沼津シオン・キリスト教会

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今週の御言葉 2019年12月29日  創世記28章1~22節

2019-12-28 17:28:48 | 今週の御言葉

【神は見捨てず】   

 見よ。わたしはあなたとともにいて、あなたがどこへ行っても、あなたを守り、あなたをこの地に連れ帰る。わたしは、あなたに約束したことを成し遂げるまで、決してあなたを捨てない。 
                                                                 創世記 28章15節

 2019年も年末を迎えました。今年も様々な出来事があり喜びや悲しみもそれぞれに体験したことです。と同時に、どのような時にも変わることなく創造主であるまことの神様がともにいてくださり、主イエス・キリストの十字架に示された大きな愛で覆ってくださり、救いの恵みで満たしてくださいました。この大いなる神様がいかなるお方なのか、次の三つの点を心に留めましょう。

 全能のお方(28章3節)…神はまずアブラハムにご自身を全能の神(エル・シャダイ)と示されました(創17章1節)。そして、ヤコブの心にも神様は全能のお方として刻まれたのです(創35章11節、43章14節、48章3節)。神様をどのようなお方として心にとめているかは、その人の生涯を左右する大事なことです。

 ともにおられお方(28章15節)…ヤコブは、兄の祝福を奪ったことで家族から離れて旅立ちます(創27章41~45節)。その旅の途中で神と出会い、神がこんな私とともにおられることを体験しました(創28章12~17節)。この神経験が彼の心に献げる信仰を生みました(創28章22節)。神経験なしに真の信仰はあり得ません。

 祝福に満ちたお方(28章14節)…神様を信じて従うとき、その人は祝福されます。それは何でも思い通りになることではありません。かえってヤコブの生涯がそうであったように、ことごとく思い通りにはならず、しかし、ことごとく願った以上に神が豊かに祝福してくださるのが信仰の醍醐味なのです。様々な試練を体験しても、神は試練を通してそれ以上の祝福を注がれるのです。

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今週の御言葉 2019年12月22日  ヨハネの福音書1章9~18節

2019-12-21 22:02:03 | 今週の御言葉

【ひとり子としての栄光】

 ことばは人となって、私たちの間に住まわれた。私たちはこの方の栄光を見た。父のみもとから来られたひとり子としての栄光である。この方は恵みとまことに満ちておられた。               
                                            ヨハネの福音書 1章14節

 ヨハネの福音書の冒頭と末尾には、『証し』(1章7、8節。21章24節)と『信じる』(1章12節。20章31節)という言葉が記されています。
 そして『栄光』(1章14節。21章19節)もまた、最初と最後に記されています。実に『栄光』は、ヨハネの福音書の中で24回も記されています。ちなみに、マタイは4回、マルコは3回、ルカは10回なので、『キリストの栄光』は、ヨハネの福音書のテーマ(主題)の一つと言えるでしょう。その『キリストの栄光』について、今朝は次の三つの点を心に留めましょう。

 主イエスに満ちている全能の聖なる神の栄光…預言者イザヤが神殿で見た神の栄光は(イザヤ書6章1~4節)、主イエスのことです(ヨハネ12章41節)。そして、栄光に満ちた聖なる神としての主イエスを意識するとき、全ての人は自分の罪深さと汚れが示され、心が砕かれるのです(イザヤ書6章5節、黙示録1章12~17節)。

 主イエスの栄光は十字架に輝く…主イエスが世に来たのは、私たちを裁くためではなく救うためです(ヨハネの福音書3章16~17節)。そして主ご自身が十字架を「栄光を受ける時」と語りました。なぜなら、主は十字架で私たちの罪の裁きとしていのちを捧げ、三日目に復活して死への勝利を得たからです(ヨハネの福音書12章24~26節)。

 主イエスを信じて従う者は、主の栄光をいきる…主イエスを信じる者は神の栄光を見ます(ヨハネの福音書11章40節)。たとえ自分の思いが実現しなくとも、いついかなる時も主を信じて生きるなら、その生きざまを通して神の栄光が現されます(ヨハネの福音書21章17~19節)。

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Christmas2019  12月25日(水)朝10時半 沼津シオン・キリスト教会(沼津市杉崎町1-22)

2019-12-15 08:45:18 | 特別行事・集会

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子どもクリスマス会 12月25日(水)午後3時 インマヌエルチャペル(沼津市今沢34)

2019-12-15 08:41:59 | インマヌエルチャペル(沼津市今沢34)

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今週の御言葉 2019年12月15日   マタイの福音書1章18~25節

2019-12-14 19:01:10 | 今週の御言葉

【罪からお救いになる方】

 マリアは男の子を産みます。その名をイエスとつけなさい。この方がご自分の民をその罪からお救いになるのです。
                                                マタイの福音書 1章21節

 マタイの福音書の冒頭と末尾には、『神が信仰者と共におられる』(1章23節、28章20節)と『礼拝』(2章2、11節、28章17節)が記されています。人の罪とは、聖書に示されている創造主である父なる神に背を向けていることです。罪ある人間は、創造主と断絶しているがゆえに死への恐れをはじめ不安や悲しみに縛られているのです。  しかし、創造主である神は被造物である私たち人間への愛ゆえに御子イエスを世に遣わして、主イエスを信じる者に救いの道を与えて下さいます。その救いについて、次の三つの点を心に留めましょう。

 恐れからの解放(1章20節)…「恐れずに」(20節)とあるように、主イエスを救い主(キリスト)と信じる者は、罪を赦された確信から喜びと感謝そして祈りに生きることで(Ⅰテサロニケ5章16~18節)、心が恐れから解放されて、キリストにある神のいのちに満たされるのです。

 神は私たちと偕(とも)におられる(1章23節)…旧約聖書の時代には、神がともにおられることはモーセやダビデのような選ばれた器の特権でした。しかし、新約聖書から今日は、神に心を明け渡す全ての人に聖霊が注がれて絶えず主がともにいて、私たちの心をきよめ力ある御わざを行ってくださるのです(使徒1章8節)。

 礼拝の恵みが全ての人に開かれる(2章11節)…神は聖なるお方であり、罪ある人間は近づくことができません(Ⅰペテロ1章15~16節)。しかし、主イエスを信じる者は神の恵みの御座に近づき礼拝を捧げ、神との交わりをもつのです(へブル4章14~16節)

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