沼津シオン・キリスト教会

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今週の御言葉 2024年9月22日 コリント人への手紙第二5章20節~6章10節

2024-09-21 10:58:01 | 今週の御言葉

 【おススメの存在】    

 また、ほめられたりそしられたり、悪評を受けたり好評を博したりすることによって、自分を神のしもべとして推薦しているのです。
                                   コリント人への手紙第二6章8節

 キリストに代わる使節…「私たちはキリストに変わる使節なのです」(5・20)とありますが、大使と言えば国と国の関係性にも重大な影響を与える大切な存在です。私たちがキリストを信じて新しく造られた者となったのはすべて、神から出たことです(5・17~18)。その目的は、クリスチャンはみなイエスさまの十字架の贖いのメッセージが託されるためでした。「和解のことばを私たちに委ねられました」(5・19)とも記されていますが、そこには主の信任が込められているのです。

 神のしもべという務め…主イエスの十字架により神の大使とされた私たちはまた、「神のしもべ」という務めを任されていることを忘れてはいけません(6・4、8)。神のしもべであるからには、この世の罪と汚れの中で人々を支配する悪魔からの、様々な苦難や困難が伴います。しかし、主イエスによって救われた者には苦しみだけでなく、かえって御聖霊が心のうちに満ちてくださることで偽りのない愛からくる、純潔と知識、寛容と親切、さらには真理のことばと神の力という義の武器を持ち、世にあっても自分を聖い神のしもべとして推薦できるのです(6・6~8)。

 推薦状である私たち…主イエスも弟子たちに「世にあっては苦難があります。しかし、勇気を出しなさい。わたしはすでに世に勝ちました」(ヨハネ16・33)と語りました。クリスチャンが苦難にあうときの態度は主を知らない人々とは違います(6・9、10)。主の救いをまだ知らない人々への見本、お手本として読まれる「推薦状」(6・8)となって主をお知らせできる存在として頂きましょう。

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礼拝式次第 2024年9月22日

2024-09-21 10:55:48 | 礼拝式次第

 9月22日  礼拝

黙 祷

賛 美 404 イエスはなれをよびたもう

主の祈り

交 読 詩篇32篇1~11節

祈 祷

使徒信条

賛 美 319 かいぬしなる主よ

霊修会の証し

説 教
 コリント人への手紙第二5章20節~6章10節
 おススメの存在

賛 美 460 心にもだえあらば

献 金

感 謝

頌 栄 376 父 御子 御霊の

祝 祷

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礼拝説教 2024年9月15日

2024-09-17 17:49:57 | 礼拝説教

礼拝 2024年9月15日

聖書箇所 イザヤ書61章1~11節
説教題  恥に代えて二倍のものを受ける
説教者  荻野倍弘牧師


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今週の御言葉 2024年9月15日 イザヤ書61章1~11節

2024-09-14 15:39:07 | 今週の御言葉

 【恥に代えて二倍のものを受ける】 

 あなたがたは恥に代えて、二倍のものを受け、
 人々は侮辱に代えて、その分け前に喜び歌う。
                     イザヤ書61章7節

 イザヤ書61章は、イエス・キリストが再び地上に来るとき(「再臨」と言います)、キリストを神と信じる者たちに注がれる恵みが記されています。キリストの再臨の時には、全ての人がその行いによって主の御前で裁かれます。
 そこで愛である神は、私たちが滅びることを望まず救いの道を開くために、まず神のひとり子である主イエスを人と同じ姿でこの世に遣わしました。それは、主イエスを救い主として信じる者が一人として滅びることなく、永遠のいのちを持つためなのです。

 神は救い主であり、嘆きに代えて慰めを与え、心の傷を癒される(1~3節)…イザヤ書61章の預言は、イエス・キリストが地上に来る七五〇年ほど前に語られました。それゆえ、主イエスご自身が、イザヤ書61章1~3節はご自分を指して語られたものだと宣言しています(ルカの福音書4章16~21節)。
 神は私たちが救いを求めるはるか以前から、救いを備えてくださっているのです。

 神を信じる者は、神の癒しと祝福を得る(4~9節)…罪と汚れによって荒廃した心であっても、主は立て直すことができます。
なぜなら、主イエスを救い主として信じる者は神の子どもとなり、主の祭司と呼ばれ、主の栄光の光で輝くからです(ペテロの手紙第一2章9~10節)。 

 主に救われた者は、主にあって大いに楽しみ喜ぶ(10~11節)…主イエスの救いは、私たちの心を恐れや不安から解放し、主にあって生きる楽しみと喜びで満たします。なぜなら、神の御こころは私たちがいつも喜び、絶えず祈り(祈りとは神との交流)、全てを感謝することだからです(テサロニケ人への手紙第一5章16~18節)。

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礼拝式次第 2024年9月15日

2024-09-14 15:36:26 | 礼拝式次第

 9月15日  礼拝

黙 祷

賛 美 516 主にすがるわれに

主の祈り

交 読 詩篇48篇1~14節

祈 祷

使徒信条

賛 美 518 みことばなる

説 教
 イザヤ書61章1~11節
 恥に代えて二倍のものを受ける

賛 美 526 うきよのかぜと

献 金

感 謝

頌 栄 376 父 御子 御霊の

祝 祷

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