沼津シオン・キリスト教会

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今週の御言葉 2016年2月28日

2016-02-29 13:57:29 | 今週の御言葉

 それから、いばらで冠を編み、頭にかぶらせ、右手に葦を持たせた。そして、彼らはイエスの前でひざまずいて、からかって言った。「ユダヤ人の王さま。ばんざい。」 
                                                                        マタイの福音書27章29節

 からかって…主イエスが「緋色の上着」(マタイ27章28節)を着せられ(緋色は高貴な者を表わす)、いばらの冠をかぶり、葦の杖(マタイ27章29節)を持たされたのは、兵士たちが主イエスを王に似せて嘲笑するためでした。兵士たちは普段、上官や支配者から見下され蔑視されて鬱屈していたからこそ、民衆の人気と支持を得ていた主をからかったのです。
 周囲の人々からからかわれる、それは大人でも子どもでも激しい苦痛を心に与えます。この「からかう」(マタイ27章29、31節)という言葉は、「あざける」という意味であり、主イエスは十字架への受難のはるか前から、覚悟していました(マタイ20章19節)。すなわち、十字架の受難に直面するはるか前から主イエスには十字架への覚悟があったのです。だからこそ、主イエスは兵士たちに対しても憐れみの心を持ち、耐えたのです。

 十字架につけるために連れ出した…主イエスは、ゲッセマネの園で捕えられてから一晩中、一睡もすることなく尋問や不当な裁判を受けました。しかも鞭で打たれています(26節)。この鞭には鋭利な石などが仕込まれており、すでに想像を絶する痛みを主の御からだは負っていました。
 しかしながら、主イエスは多くの人の病気を癒し、悪霊を追い出された御力を、ご自分の身体の癒しには用いませんでした。しかも、大能の力を人々の癒しや救いに用いこそすれ、決して復讐や反撃のためには用いなかったのです。それは三日目によみがえることを知っていたからであり(マタイ16章21節、20章19節)、私たちを救う喜びがあったからです(へブル12章2節)。

 無理やりに背負わされた十字架…クレネ人シモンは、たまたま「通りかかった」(マルコ15章21節)ことで、主の十字架を「むりやりに背負わされ」(マタイ27章32節)、ゴルゴダまで運ばされました。
 しかし、彼はまた、主イエスの十字架を担った男として、聖書に名を残す恵みもまた得ます。主の光栄はまず、十字架を担うことから始まるのです。

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説教ノート余話 2016年2月28日

2016-02-29 13:48:46 | 説教ノート余話

【クレネ人シモン】

▽ヴィア・ドロローサ(悲しみの道)
☆エルサレムの旧市街の一画に、主イエスが 十字架を担ってピラトの官邸からゴルゴダ まで歩いた道として、ヴィア・ドロローサ(悲しみの道)が約1㎞あります。ゴルゴダとされる所に聖墳墓教会があり、そこまで 主イエスにまつわる出来事を伝承した14のステーション(留)が設けられています。
☆ヴィア・ドロローサの途中にエッケ・ホモ教会があります。この教会の地下には、主イエスの時代の石畳(下の写真)が残っています。この場所は、主イエスの時代はローマの兵士たちが駐屯し、総督が滞在したアントニウス要塞でした。

☆ヴィア・ドロローサの第5ステーションは、クレネ人シモンが主イエスの十字架を無理やり背負わされた場所とされています。下の写真、円形プレートがある場所が、それを記念した礼拝堂です。

▽居住地 
☆クレネ人シモンは、エルサレムから西へ約1,300㎞離れた、北アフリカのリビヤにある町クレネから、やって来ました。恐らく、離散ユダヤ人(ディアスボラ)の一人で、神殿へ巡礼のためにエルサレムを訪れていたのだろう、と言われます。
☆興味深いことに、主イエスが降誕された際には、エルサレムのはるか東のペルシャから博士たちが礼拝へとやって来ました(マタイ2・1~13)。主の降誕の際には北東の博士たちが、そして十字架の直前には南西のクレネ人シモンが、それぞれ主イエスと関わっていることに、福音が全世界へあまねく広がっていくことが示されているようです。

▽息子たち 
☆マルコ15章21節には「アレキサンデルとルポスの父で」とシモンは紹介されています。福音書が記された頃、息子たちは、教会で重責を担い有名な人物だったのかも知れません。
☆息子たちのうちルポスは、ローマ16章13節の登場人物と同一だと言われます。父であるシモンが十字架を担うことで、家族も救われたと考えられます。

▽オリーブ山から見たエルサレム旧市街(一部分)
 黄金のドーム(神殿跡)と聖墳墓教会(左上の灰色のドーム)

 

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今週の御言葉 2016年2月21日

2016-02-22 11:35:59 | 今週の御言葉

それで、彼らが集まったとき、ピラトが言った。「あなたがたは、だれを釈放してほしいのか。バラバか、それともキリストと呼ばれているイエスか。」
                                                          マタイの福音書 27章17節

 無責任なピラト…「あの人がどんな悪い事をしたというのか。」(23節)と、ピラトは主イエスについて群衆に問います。ピラトには、主が十字架にかけられるお方ではないことが、よく分かっていました。そして、彼は「総督」(11、14、15、21節)として、主に無罪を宣告する権限を持っていたのです。
 しかし、彼は結局、主イエスを十字架にかけました。それは、一つには彼が保身のために群衆の求めに屈したからです(ヨハネ19・12)。今一つは群衆を恐れたからでした(マルコ15・15)。
 このように彼が優柔不断で群衆の大きな声に呑み込まれたのは、彼が真理を掴んでいなかったからです(ヨハネ18・37~38)。真理とは、主イエスを信じること以外にありません(ヨハネ14・6)。

 激しい感情に流された群衆…ピラトの前に集まった群衆は『彼らはますます激しく「十字架につけろ」と叫び続けた』(23節)だけでなく、「暴動」(24節)まで起こす勢いとなりました。それは、祭司長や長老たちが裏で群衆を扇動したからですが(20節)、物事を冷静に洞察することや自分の頭で考えることをしないと、巧みな言葉や時の勢いにあやつられてしまいます。
 そのような危険から守られるためにも、聖書の御言葉と祈りにより主と交流して養われる、礼拝と静聴(ディボーション)は不可欠です。

 僥倖(ぎょうこう)を得たバラバ…「そこで、ピラトは彼らのためにバラバを釈放し、イエスをむち打ってから、十字架につけるために引き渡した。」(26節)とあるように、バラバは主が十字架につけられることで命拾いしました。
 私たちも、主イエス・キリストの十字架により救われた者です(ローマ5章6~11節)。それゆえ、主の救いを体験した者としてどのように生きるのか、その責任があるのです。

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説教ノート余話 2016年2月21日

2016-02-22 11:31:02 | 説教ノート余話

【ポンテオ・ピラト】


▽総督
☆主イエスの時代、ユダヤ州を治める総督の官邸は、エルサレムから北西へ120㎞のところにあるカイザリヤにありました。そのカイザリヤの遺跡では、ポンテオ・ピラトの名が記された石碑(下の写真)が発見されています。


☆総督とは、ローマ皇帝から派遣されて属州を支配します。なお、主イエスが降誕された頃、パレスチナ地方全域はヘロデ大王が治めるローマの保護国(属国)でした。彼の死後、息子たちに四分割されます。そしてユダヤは息子の一人であるヘロデ・アルケラスが治めますが失政を重ねて皇帝アウグスティヌスに解任され、ユダヤ地方は属州となって総督が派遣されるようになりました。
また、別の息子ヘロデ・アンティパスはガリラヤを治めています。主イエスの十字架の際に登場するヘロデは、このヘロデ・アンティパスです。

カイザリヤに残るローマ時代の水道橋

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今週の御言葉 2016年2月14日

2016-02-15 15:41:27 | 今週の御言葉

 そこでペテロは、「鶏が鳴く前に三度、あなたは、わたしを知らないと言います」とイエスの言われたあのことばを思い出した。そうして、彼は出て行って、激しく泣いた。
                                                          マタイの福音書 26章75節

 ペテロの裏切り…ペテロは、繰り返し言葉で主を裏切りました。 最後は「のろいをかけて誓い始め」るほどです(マタイ26・74)。ペテロをそこまで追い込んだのは、主と同じように捕えられるのでは、という恐れからです。そして、死に直面しても主を否定しない(マタイ26・35)と言いつつ、わずか数時間後に豹変したのは、復活の主と出会い聖霊に満たされる前のペテロは、肉の元気すなわち自己中心な信仰だったからです。自分の熱心さや感情に土台を置く信仰は、試練に直面すると崩れ落ちます。しかし、自分の弱さに打ちのめされたとき、主の前に泣ける者は幸いです(マタイ26・75)。主は、心砕かれた者を救われるからです(詩篇51・17)。

 イスカリオテ・ユダの裏切り…ユダにとって、金銭が偶像でした。主より金銭が大切だったのです(マタイ26・14~16)。金銭を多く持っても心が満たされるとは限りません。なぜなら、心の満たしを与えるのは救い主だけだからです(へブル13・5)。金銭や権力、ときに名声であっても、それが偶像になるとき、後悔しか残らないのです(マタイ27・3~4)。

 ペテロとユダの永遠を分けた違い…悔い改めと後悔は、全く違います。悔い改めは心を救い主イエスへと向け、後悔は自分のことばかりを見つめます。ペテロはただ泣いたのではありません。「イエスの言われたあのことばを思い出した」(マタイ26・75)からこそ、主のことばを通して自分の愚かさを思いらされ、悔い改めたのです。日頃から礼拝を通して主に結びつき、日々の静聴を通し御言葉と祈りにより主と親しむことで、いざというときに悔い改めへと導かれ、信仰の危機が飛躍の機会へと変えられます。

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