沼津シオン・キリスト教会

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今週の御言葉 2017年9月24日

2017-09-24 15:34:45 | 今週の御言葉

 【アレオバゴスの説教】

 神は、そのような無知の時代を見過ごしておられましたが、今は、どこででもすべての人に悔い改めを命じておられます。
                                                       使徒の働き 17章30節

 アレオパゴス(16~21節)…使徒の働きの時代にアテネは、自由都市としてアレオバゴスの評議員により自治が認められていました。アレオバゴスとは、アクロポリス(ギリシャの都市を象徴する丘)の西にある小高い丘で、そこに評議会が所在したところから、評議会はアレオパゴスと呼ばれました。パウロが連れて行かれたのは、そこで語っている内容がギリシャ人に有益か否かを評議員たちが審査するためだったのです。そこでパウロは臆することなく、福音の真理について、次の三つのことを語りました。

 パウロによるアレオパゴスの説教(22~31節)…
 ①創造主なる真の神(22~26節)…「この世界とその中にあるすべてのものをお造りになった神は、天地の主です」(24節)とあるように、神は創造主ですからこのお方を信じるのは当然です。もし私たちが神を信じなくても、創造主である神は存在します。人は神を無視することができると、思い上がってはいけません。
 ②主権者である真の神(27~30節)…創造主は全てを支配されるお方です。そして私たち一人ひとりの人生にも祝福に満ちた計画を用意しています(エペソ2・10)。大切なことは、主イエスの救いを信じて、神のもとに立ち返る(悔い改める)ことです。
 ③究極の裁きを行う真の神(31節)…厳粛な事実として、地上での人生はもちろん、この世にも必ず終わりがあります。しかし、信じる者は永遠のいのちを得るのです(黙示20・7~21・8)。

 アテネの人々の反応とその後(32~34節)…パウロの説教の直後には少なかった入信者も、その後にはアテネから有力な弁証家や護教家が輩出されたそうです。そして、3世紀には、アテネの教会は平和と純潔の教会と呼ばれたとのこと。。創造主は生きておられます。

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2017年9月30日(土)14時~ ゴスペルコンサート HOSANNA

2017-09-18 14:24:55 | 特別行事・集会

 

 

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今週の御言葉 2017年9月17日

2017-09-18 14:17:06 | 今週の御言葉

 【キリストを証しする生き方】

 どうか、主があなたがたの心を導いて、神の愛とキリストの忍耐とを持たせてくださいますように。
                                    テサロニケ人への手紙第二 3章5節

 テサロニケ人への手紙は第一と第二も、パウロが紀元51年か52年頃、コリントで記しました(使徒18・1~11)。それはテサロニケでの伝道から間もなくです(使徒17・1~4)。テサロニケのクリスチャンは熱心に主を信じ、伝道する一方(Ⅰテサロニケ1章)、信仰理解が混乱していたのです。
 すなわちキリストの再臨について、すでに主は再臨したとか(Ⅱテサロニケ2・2)、主はすぐに来るから働かなくてもよい(Ⅱテサロニケ3・6~13)、という極端な考えをする人がいました。それに対しパウロは、キリストの再臨に対する健全な理解と生活面での証しの大切さについて教えるため、聖霊の導きにより、二つの手紙を記したのでした。

 祈る人(1~5節)…キリストを証しする人に共通することは、祈りを大切にします。忙しい毎日でも、創造主である神様と親しく交わる時間を大事にする人は、どのような状況に置かれても、創造的でいきいきとした生きざまを失うことはありません。

 締りのある生活(6~15節)…「勤勉で怠らず、霊に燃え、主に仕えなさい。」(ローマ12章11節)や「飲食のためなら、自分の家があるでしょう。それとも、あなたがたは、神の教会を軽んじ」(Ⅰコリント11章22節)とも書いています。パウロは決して食事を共にする交わりを否定してはいませんが、「地の塩、世の光」としてのわきまえと主にあるモラルや倫理を忘れてはいけません。

 キリストの平和を宿す人柄(16節)…「平和の主ご自身が」という挨拶はパウロの手紙によく記されています(ローマ15・33、Ⅱコリント13・11、ピリピ4・9)。家庭でも地域でもどこでも、主の平和を存在を通してあらわす人こそが証し人です。

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今週の御言葉 2017年9月10日

2017-09-11 10:10:20 | 今週の御言葉

  私たちの息子らが、若いときに、
  よく育った若木のようになりますように。
  私たちの娘らが、宮殿の建物にふさわしく刻まれた
  隅の柱のようになりますように。
                        詩篇144篇12節

 詩篇144篇の前半1~11節は「私」と一人称で語られ、後半12~15節では「私たち」と複数で語られています。
 また、前半部分の1~11節では、創造主であり全能の神の圧倒的な力とその救いの素晴らしさを、高らかに賛美しています。それに対して、後半の12~15節では、神の守りと祝福を謙虚な心で求めています。

 主よ。人とは何者なのでしょう(4節)…「天は神の栄光を語り告げ、大空は御手のわざを告げ知らせる」(詩19・1)とあるように、誰もが創造主を意識するとき自分の小ささを自覚せずにはいられません。
 「初めに、神が天と地を創造した」(創世記1・1)との御言葉に触れたとき、新島襄(同志社創立者)はクリスチャンとなりました。人をはるかに越える創造主の存在を意識するときにも人の心は謙虚になり、イエス・キリストの救いを素直に受け入れて、人として人らしく生きるようになるのです。

 救い出してください…詩篇144篇には「救い」という言葉が、4回繰り返されています(2、7、10、11節)。人の心を罪の恐れや束縛から解放して自由へと救い出すことができるのは、いのちと光、恵みに満ちておられる救い主イエス・キリストだけなのです(ヨハネの福音書1・1~16)。

 祝福を求める祈り…自分の無力さを知る人は、神に祈ります。そして神は今もより頼む者を助け、力で満たしてくださるのです。なぜなら、祈りとは創造主である神との交流であり、祈る者の内に神は聖霊を注いで、いきいきと働き出してくださるからです。

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今週の御言葉 2017年9月3日

2017-09-03 14:31:02 | 今週の御言葉

 【イエスこそキリスト】

 パウロはいつもしているように、会堂にはいって行って、三つの安息日にわたり、聖書に基づいて彼らと論じた。
 そして、キリストは苦しみを受け、死者の中からよみがえらなければならないことを説明し、また論証して、「私があなたがたに伝えているこのイエスこそ、キリストなのです。」と言った。
                                                           使徒の働き17章2、3節

 聖書に基づいて…テサロニケの町でパウロとシラスはユダヤ会堂に入り、安息日の礼拝に集う人たちに「聖書に基づいて」(使徒17章2節)、主イエスの救いを語りました。次に訪れたベレヤの町においてもユダヤ会堂でパウロたちが語る「みことば」を、ベレヤの人々は「聖書を調べ」て確認したと記されています(使徒17章11節)。
 聖書の御言葉には、天地万物の創造主である神様の真理とみこころが示されています。聖書の御言葉を通して、今も語りかける創造主に従って生きることこそが、人の幸せです。

 イエスこそキリスト…その聖書に示されている真理とは、二千年前に地上に来臨され、私たちの罪の赦しのため十字架で神の裁きを受けて死に、三日目に復活されたイエスこそがキリスト(旧約聖書のメシヤ)すなわち救い主であることです。
 主イエスこそが旧約聖書に預言されている救い主なのです。「この方以外には、だれによっても救いはありません。」(使徒4章10~12節)

 ヤソン…パウロの御言葉からの明確な説教と聖霊の働きによって救われる人々が起きました(使徒4章4、12節)。と同時に、テサロニケでもベレヤでも、激しい迫害もまた起きたのです(使徒4章5~9、13~15節)。
 その迫害の中で身を挺してパウロたちを守ったのが、ヤソンを筆頭にしたテサロニケの救われたばかりのクリスチャンでした。彼らは、迫害の中で信仰を持ったからこそ、主イエスのために犠牲を払うことを当然としたのです。

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