沼津シオン・キリスト教会

沼津駅北口から東へ徒歩5分!キラメッセぬまづのすぐそばの教会です。

子どもクリスマス会 2015年12月6日

2015-11-30 18:36:23 | 特別行事・集会

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今週の御言葉 2015年11月29日

2015-11-30 18:13:57 | 今週の御言葉

  やみの中を歩んでいた民は、大きな光を見た。
  死の陰の地に住んでいた者たちの上に
  光が照った。           イザヤ書9章2節

 苦しみのあった所に、やみがなくなる(1節)…イザヤ書9章1
切に出で来る地名、「ゼプルンの地」と「ナフタリの地」、そして
「ガリラヤ」は現在のシリヤ国と国境を接するイスラエル北部を
指し、「ヨルダン川のかなた」とはギルアデ地方すなわちヨルダン
川の東側の地方を指します。すなわち、いずれも預言者イザヤの
時代(そして今も)、サマリヤ(北王国イスラエル)やエルサレム
(南王国ユダの首都)といった中心都市から見れば辺境の地でした。
そして、敵国からの侵略を真っ先に受けて苦難を味わう地だった
のです。しかし、そのような苦しみの多い所にこそ、主の救いの
御手は十全に伸ばされることを、預言者イザヤは見ました。私た
ちも目に見える状況だけでなく、イザヤと同じ主を信じる者とし
て苦難の現実の背後にある神の恵みの事実を見る、信仰の目を養
うことが大切です(Ⅱ列王6・8~17、2・5~14)。

 大きな光を見た…人の心や世の中を覆う闇を消し去るのが、ま
ことの光である救い主イエス・キリストです(ヨハネの福音書1 ・
1 ~5、9)。実際、イザヤ書9章1~2節の預言は、主イエス
の降誕と宣教によって成就したのです(マタイ4・12~17)。しか
も、主イエスを信じる者は、光である主イエスをうちに宿すこと
によって光を放つ存在となります(イザヤ書60・1~3)。

 その喜びを増し加えられた…主イエスの光のうちに生きている
者であることの証し、それは喜びの上に喜びで満たされてること
です。イザヤ書9章3節には、「喜び」が3回繰り返されます。
主は救いの喜びで私を満たし、そしてその喜びは言葉や行いを通
して周囲に証しされ、人々を救いの喜びへと招きます。このクリ
スマス、まず私たち自身が救い主を喜びましょう。

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今週の御言葉 2015年11月22日

2015-11-25 20:08:36 | 今週の御言葉

そこで、弟子たちはイエスに言いつけられたとおりにして、過
越の食事の用意をした。    
                  マタイの福音書 26章19節

 旧約の預言の成就…「過越の食事」(17、19節)とは、イスラエ
ルの人々が創造主である神のあわれみにより、モーセに率いられ
て奴隷生活を送っていたエジプトを脱出したことを記念する、過
越の祭での食事のことです。出エジプト前夜の緊迫した様子、そ
して最初の過越の食事のことは、出エジプト記12章に詳細に記さ
れています。なかでも、エジプトに災いをもたらす天の使いが、
イスラエルの民の家を過ぎ越して行くように、羊を過越のいけに
えとして屠りその血を家の門柱に塗ることは(出エジプト12・7、
12~14、21~28)、主イエスの十字架の血を預言するものです。
このように、創造主である全能の神は、主イエスが世に来られる
はるか前から、その救いを備えて予告しておられました。

 主イエスの降誕の目的…弟子たちが過越の食事の場所を尋ねた
のに対し、まず主イエスは『先生が「わたしの時が近づいた。」』
(18節)と語っています。この「わたしの時」とは十字架につく時
を指しています。そして、主イエスは人々を教え導き癒す多忙な
公生涯のなかでも、絶えずその十字架にかかる時を意識して歩ま
れていました(ヨハネの福音書2・4、7・6、8、30、8・20、
12・23、13・1)。まさに、私たちの罪を赦し永遠のいのちの希望
を与えるため、主イエスは十字架にかかり復活して死に勝利する
ため、地上に来られたのです。クリスマスを待望するアドベント
を前に、そのことを心に刻みましょう。

 再臨の主イエスと出会う備え…そして、復活されて40日後に昇
天された主イエスが再び地上に来られるのが、再臨です(マタイ
16・27、使徒1・11)。主イエスの再臨は、全ての人の行いが裁か
れる厳粛なときです(マタイ25・31~46)。誰も、再臨の主とお会
いする心備えをして生きることが大切です(Ⅰコリ4・4~5)。

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今週の御言葉 2015年11月15日

2015-11-16 11:34:42 | 今週の御言葉

 ひとりの女がたいへん高価な香油の入った石膏のつぼを持って
みもとに来て、食卓に着いておられたイエスの頭に香油を注いだ。
                      マタイの福音書 26章7節

 惜しみなく…ある女性が主イエスの頭に注いだ香油は三百デナ
リ以上(労働者の約一年分の賃金)もする高価なものでした(マル
コ14・5)。この女性がどのように主イエスと出会い、関わりを
もってきたかについて、マタイの福音書は沈黙をしています。そ
の名前すら記されていません。しかし、わざわざ「たいへん高価
な香油の入った石膏のつぼを持ってみもとに来て、…イエスの頭
に香油を注いだ」のです。主イエスの深い感謝と純粋な愛が、こ
の惜しみない行動にあらわれています。

 時をとらえて…この女性は、弟子たちや家の者たちが周囲にい
るにも関わらず、大胆にも人目もはばからず主イエスの頭に香油
を注いだのでしょうか。人目を気にするならば別の機会を待った
でしょう。また、主から称賛されたり人々の羨望を得たいという
打算があっても、あまりにも目立ちすぎてやはり気が引けること
といえます。彼女を駆り立てた理由、それは主イエスが語った十
字架の予告にあります(マタイ26・2)。「今は恵みの時、今は救
いの日です。」(Ⅱコリント6・2)とありますが、キリスト者は
御言葉に親しみ御言葉を通して主と親しく接することを通し、行
動する時、待つ時を見極める洞察力を養うことが大切です。

 キリスト・イエスの心を心とする…何よりこの女性の行いは、
主イエスを喜ばせました(マタイ26・10~13)。「キリスト・イエス
の心を心とせよ」(ピリピ2・5文語訳)とありますが、刻一刻と
移り変わる日々の歩みの中で、私たちは絶えずいま主イエスが喜
ばれることは何かを思い巡らし行動する心が大切です。その心は、
御言葉と祈りを通して主と接して御心を知り、社会生活で様々な
人々と接して祈りの必要性や謙遜を学びながら養われるのです。

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今週の御言葉 2015年11月8日

2015-11-10 06:22:48 | 今週の御言葉

 私たちはみな、顔のおおいを取りのけられて、鏡のように主の
栄光を反映させながら、栄光から栄光へと主と同じかたちに姿を
変えられて行きます。これはまさに、御霊なる主の働きによるの
です。
                コリント人への手紙第二 3章18節

 おごそかな渇き…ペンテコステの日に聖霊に満たされるまでの
弟子たちは、ひたすら祈りに打ち込んでいました(使徒の働き1・
13~14)。なぜなら弟子たちは、主イエスの十字架の前後に自分
たちの弱さや醜さを思い知らされたからです。最後の晩餐で「だ
れが一番偉いだろうかという論議」(ルカ22・24)をしたり、ゲッ
セマネの園では祈りの最中に眠りこけ(マルコ14・32~42)、主の
復活後もなかなか信じようとしない(ルカ24・11)など、ありのま
まが率直に聖書には記されています。しかし、だからこそ彼らは
切実に主の約束を信じ、聖霊の注ぎを求めたのでした。

 主イエスの確かな約束…信仰とは、主の約束を信じることです。
そして聖霊の満たしを主に求める者には、主が聖霊を豊かに注が
れることを、主イエスが繰り返し約束しています(ルカ11・9~
13、ヨハネ7・37~39、20・22)。ここで注意すべきことは、聖霊
が働きかけてくださることと、聖霊に満たされることは違うので
す。誰に対しても聖霊は働きかけてくださり、主を信じて救われ
ること自体が聖霊の助けによります(Ⅰコリント12・3)。しかし
聖霊に満たされるとは、さらに進んで、主に自分の心と存在を明
け渡すことです(ガラテヤ2・20)。心の欲や自己中心を主ととも
に十字架につけるとき、聖霊は私たちの心と全存在を満たし、主
ご自身で私たちを満たします。なぜなら、聖霊とは主イエスを証
し主の栄光で私たちを満たすお方です(ヨハネ15・26、16・14)。

 実を結ぶ生涯…主を信じて罪の赦しを得るだけでなく、聖霊の
満たしを受けたキリスト者は主と同じ姿へと日々の祈りと静聴を
土台とした歩みで、豊かな実を結びます(ガラテヤ5・22~26)。

 

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