礼拝説教 2021年12月26日
聖書箇所 マタイの福音書2章1~12節
説教題 礼拝をささげる
説教者 荻野倍弘牧師
礼拝説教 2021年12月26日
聖書箇所 マタイの福音書2章1~12節
説教題 礼拝をささげる
説教者 荻野倍弘牧師
クリスマス礼拝 2021年12月25日
聖書箇所 マタイの福音書1章18~25節
説教者 荻野倍弘牧師
クリスマスイヴ礼拝 2021年12月24日
聖書箇所 ヨハネの福音書1章1~17節
説教者 荻野倍弘牧師
【礼拝をするために生きている】
それから家に入り、母マリアとともにいる幼子を見、ひれ伏して礼拝した。そして宝の箱を開けて、黄金、乳香、没薬を贈り物として献げた。
マタイの福音書2章11節
人には礼拝への渇きがある…「ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、どこにおられますか。私たちはその方の星が昇るのを見たので、礼拝するために来ました。」(マタイ2・2)と東方の博士たちは告げました。彼らは祖国にあっては王へ直接に進言することができる高官です。しかし、いかなる権力や富を手にしていたとしても、神のかたちに創造され(創世1・27)、神のいのちの息を吹き込まれて生きるものとなった人間(創世2・7)は、創造主である神への礼拝を求める魂の渇きがあるのです。
礼拝に犠牲を払うことで心は充実する…「イエスがヘロデ王の時代に、ユダヤのベツレヘムでお生まれになったとき、見よ、東の方から博士たちがエルサレムにやって来て」(マタイ2・1)とありますが、「東の方」とはバビロニア地方です。バビロニアは、現代のイラク南部のティグリス川とユーフラテス川周辺ですから、本当にはるばると今から二千年前、過酷な旅路を経て彼らは救い主イエスを礼拝するために来ました。しかし、礼拝を真実に献げる者にとっては、犠牲が大きいほど心もまた充実するのです。
礼拝を捧げる者は喜びが溢れる…「その星を見て、彼らはこの上もなく、喜んだ。」(マタイ2・10)とあります。博士たちは星を見出すことで救い主がいる場所へ近づいていることを知って喜びました。そして、その喜びは惜しみなく贈り物を献げることで表されたのです。彼らが真心を込めて礼拝をした主イエスこそ、この世の全ての人の救い主です(ヨハネ3・16)。救い主を礼拝することそのものに喜びと光栄があることを知る者は幸いです。
12月26日 年末感謝礼拝
黙 祷
賛 美 273 きょうまでまもられ
主の祈り
交 読 詩篇150篇1~6節
祈 祷
使徒信条
賛 美 617 したいまつる主の
説 教
マタイの福音書2章1~12節
礼拝をするために生きている
賛 美 618 神のみ子にますイエス
献 金
感 謝
頌 栄 376 父 御子 御霊の
祝 祷