沼津シオン・キリスト教会

沼津駅北口から東へ徒歩5分!キラメッセぬまづのすぐそばの教会です。

交流フェスティバル 2015年11月1日(日)12:30~14:30

2015-10-25 08:41:09 | 特別行事・集会

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今週の御言葉 2015年10月25日

2015-10-25 08:32:47 | 今週の御言葉

「ああ、主よ。私がまだ国にいたときに、このことを申し上げ
たではありませんか。それで、私は、あなたが情け深くあわれみ
深い神であり、怒るのにおそく、恵み豊かであり、わざわいを思
い直されることを知っていたからです。」
                            ヨナ書4章2節

 さばきと救い…イスラエル民族が北王国イスラエルと南王国ユ
ダに分裂していた時代、ヨナは北王国イスラエルで預言者として
活躍します。ヨナは神から、イスラエルを侵略するアッシリヤ帝
国の首都ニネベへ行き、神の裁きと悔い改めを語るよう命じられ
たとき、東方のニネベとは逆に、地中海の西にあるタルシシュへ
向かいます(ヨナ書1章)。しかし、彼の逃避行は神の御手により
失敗、大きな魚の中で三日三晩過ごし悔い改めます(2章)。そし
てニネベへと向かいましたが、罪の報いとしての滅びを強調した
ようです(3章4節)。ところが、ニネベの人々は腹を立てるどこ
ろか、神の前に悔い改めました(3章6~9節)。このように、み
ことばが語られるとき、人知を超えた神のわざがなされるのです。

 思い直される神…神は、ニネベの王も人々も心から神の許に立
ち返ろうとする姿をみて、災いを思い直します(3章10節)。そも
そも、ヨナが再びニネベに行くチャンスが与えられたのも、ヨナ
の悔い改めの祈りを主が受け入れたからです(2章)。神は、「わた
しは決して悪者の死を喜ばない。かえって、悪者がその態度を悔
い改めて、生きることを喜ぶ」(エゼキエル33章11節)のです。

 惜しむ神…ところが、ヨナはニネベの人々が滅ぼされないこと
に激しい怒りを燃やします(4章1~4節)。それは彼がメンツを
つぶされたと感じたからでした。しかし主は、彼の自己中心な心
を変えるため、とうごまや一匹の虫、東風を備えます(4章6~8
節)。これも、神がヨナを見捨てず主の心を教えるためでした(4
章9~11節)。ヨナ書が神からの語りかけで閉じられていること
が、ヨナが悔い改めて主の心を受け入れた何よりの証しでしょう。

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今週の御言葉 2015年10月18日

2015-10-19 16:40:58 | 今週の御言葉

 その主人は彼に言った。「よくやった。良い忠実なしもべだ。あ
なたは、わずかな物に忠実だったから、私はあなたにたくさんの
物を任せよう。主人の喜びをともに喜んでくれ。」
                マタイの福音書 25章21節、23節

 おのおのその能力に応じて(15節)…「その能力に応じて」とは、
決して互いの優劣ではなく、互いの持ち味や委ねられた働きの違
いを指しています。すなわち、他人と比較して自分を評価するの
ではなく、いま自分が委ねられた立場や能力、期待されている働
きに対し、どれだけ誠実に力を尽くしているかを問うべきです。
そもそも「しもべたちを呼んで、自分の財産を預け、旅に出て行
く人のよう」(14節)とあります。時間や健康、環境や才能も神か
ら預けられたものであることを忘れてはいけません。

 その主人は彼に言った。「よくやった。良い忠実なしもべだ。」
(21節、23節)…さて、主イエスの時代は労働者の一日分の賃金は
1デナリであり、実に6千デナリがやっと1タラント(ちなみに
タラントは英語のタレント・才能の語源)です。すなわち、1タ
ラントしかないと言っても、少なくとも数千万円の価値がありま
す。しかも、2タラント、5タラントを任せた者に対し、「わず
かな物に」とは、主人に例えられる神様の恵みの大きさは無限大
です。しかし21節と23節で主人は、もうけた額は倍違うのに全く
同じ言葉でほめ、特に「忠実」ということばを繰り返しています。
信仰や証しにおいて大切であり、神が喜ばれることは忠実です。

 あなたにたくさんの物を任せよう(21節、23節)…逆に、悪いし
もべは「なまけ者」(26節)でした。それは主から託されたタラン
トを活用しようとはしなかったからです。その理由として、悪い
しもべは主人に対して偏見を持っていました(24~28節)。神様や
信仰、聖書、教会に対し思い込みで裁くのではなく、素直な心で
忠実に励むとき、主は喜び、私たちもまた恵みで覆われます。

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今週の御言葉 2015年10月11日

2015-10-12 13:53:55 | 今週の御言葉

 ですから、あなたがたは、今しているとおり、互いに励まし合
い、互いに徳を高め合いなさい。
             テサロニケ人への手紙第一 5章11節

 互いに(5章11~15節)…パウロの記した手紙には、「互いに」
ということばがしばしば登場します。テサロニケ人への手紙第一
でも5章11、13、15節のほか、3章12節にもあり、4章18節には
「こういうわけですから、このことばをもって互いに慰め合いな
さい。」と記されています。信仰生活とは、主の十字架の赦しに
より神との関係が修復されて神の子どもとされるとともに、教会
をはじめ家庭や地域そして職場、学校などでの対人関係もまた癒
され愛と平安で包んでいきます。そのためには、主イエス・キリ
ストを心の中心におく信仰の自立が必要です。

 キリスト・イエスにあって神が望んでおられること(5章16~
18節)…「いつも喜んで」(16節)、「絶えず祈り」(17節)、「すべ
ての事について、感謝」(18節)とは、人間の頑張りだけでは難し
いことです。しかし、「キリスト・イエスにあって」(18節)、す
なわち主イエスを信じ、心のうちにキリストを迎えて絶えず主を
意識して生きるとき、私たちは内側から変えられます。すなわち、
愚痴が多く否定的なものの見方から、逆境や試練のときにも、主
をしんじるがゆえに感謝と喜びを見いだし、自分の事だけでなく
他人のために祈るあたたかな心と生きる活力に満ちた者へと変え
られます。これこそが神の私たちに望んでいるみこころです。

 御霊を消してはなりません(5章19~22節)…いま主イエスは、
御霊(御聖霊)として私たちのうちに住んでくださいます。御霊に
満たされ続けるため、まず「預言」(20節)すなわち聖書のみこと
ばを丁寧に読み続け心とたましいをよく養うことが大切です。そ
して「悪はどんな悪でも避け」(22節)るためにも、絶えず十字架
の主イエスを仰いで救いの感謝を日々あらたにしましょう。

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今週の御言葉 2015年10月4日

2015-10-05 09:19:34 | 今週の御言葉

そこで、天の御国は、たとえて言えば、それぞれがともしびを
持って、花婿を出迎える十人の娘のようです。
                    マタイの福音書25章1節

 「たとえて言えば」(1節)と主イエスは語ります。主は人々を
裁くためではなく、聞く者が救いと神の恵みにあずかるため、神
の国の奥義をたとえで語ったのです。ですから、主のたとえに接
するときは、尊大さや自己卑下、他者を見下す心ではなく、謙虚
に我が身を律し、主の恵みを深め感謝の心で受けとめるべきです。

 花婿が遅れる(5節)…マタイ25章1~13節の十人の娘のたとえ
で、花婿は主イエス・キリスト、花嫁は教会、十人の娘はキリス
ト者、ともしびは信仰、油は御聖霊、婚礼の祝宴は主の再臨をあ
らわします。「花婿が来るのが遅れ」(5節)なかったら、愚かな
娘たちも婚礼の祝宴に入れたのです。しかし、花婿が遅れたので、
娘たちの実質が明らかにされました。主の再臨は思いがけず(マ
タイ24・44、50)、それでなくとも人生の思わぬ出来事を通して
信仰や実質が明らかにされます。それゆえに、信仰においても地
道に賢く歩む者は幸いです(マタイ24・45~57)。

 分けてあげるにはとうてい足りません(9節)…厳粛な事実と
して、信仰とは他者の分まで持つことはできません。『誰も、自
分のために十分なホーリネス(きよめ)以上のものを持っていない』
(ジョン・ウェスレー)のです。だからこそ、互いに御聖霊を失う
ことのないよう祈り励ましあいましょう(エペソ5・15~21)。

 目をさましていなさい(13節)…花婿を待ちくたびれ寝てしまっ
たのは賢い娘も同じですが、彼女たちは予備の油を準備していま
した(4節)。人は誰もが「うとうとして眠り始め」(5節)てしま
う弱さがあります。だからこそ、礼拝や諸集会に出席し、日々の
の静聴(ディボーション)を通し絶えず聖霊の満たしを得て、信仰
のともしびを整えることが大切なのです。

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