礼拝 2022年8月28日
聖書箇所 ダニエル書1章1~21節
説教題 神の圧倒的な主権
説教者 荻野倍弘牧師
【ダニエル書 その①】
▽神が義人と認めたダニエル
☆ダニエルという名前は、「神は審く」もしくは「神は正しさを証明した」という意味です。
聖書に登場する人物たちの中でも、人格の高潔さは創世記のヨセフと並び双璧と言えます。その理由としてまず、彼らの生涯の出来事に多くの紙面が割かれているにもかかわらず、ダニエルもヨセフも欠点や汚れに関する記述が一つもありません。
☆さらには、同時代を生きて神に預言者として用いられたエゼキエルの書にも、ダニエルはノアやヨブと並ぶ神が認めた三人の義人の一人としてその名が記されています(エゼキエル書14章14節)。
余談ながら、アブラハムやモーセ、ダビデという超有名人たちが選外(!?)となっているのは、私たちに対する慰めであり励ましとも言えます。なぜなら、誰でも神を信じることで義と認められる(代表例がアブラハム…創世記15章6節。そして私たち…ローマ4章3~25節)ことの何よりの証拠だからです。
▽最初の試練
☆ダニエルは、バビロンの王ネブカドネツァルがBC605年にエルサレムを攻め、エホヤキム王を連行した際(歴代誌第二36章5~7節)、他の王族や貴族の少年たちと共に連行されます(ダニエル書1章1~3節)。この時、ダニエルは16歳でした。ヨセフもエジプトに売られとき17歳(創世記37章)でしたが、思春期に異国(自分の民族とは隔絶した富と武力を誇る超大国)に移ることは、厳しい人生の試練です。
☆と同時に、ダニエルとヨセフは異国での生活のスタートラインが大きく違っていました。ヨセフは奴隷から始まったのに対し、ダニエルは大帝国バビロンの幹部候補生として受け入れられます。しかし、そこには神の民としての生き方と信仰そのものを否定しなければならない誘惑と迫害がありました(ダニエル書1章3~8節)。ここでダニエルが毅然と王の飲食する物(それはまた偶像に捧げられた物でもあった)を拒んだことで神の祝福を得ます。どんな立場にも試練があり、素直な心で神を信じる者には神の助けと祝福もあるのです。
【神の圧倒的な主権】
ダニエルは、王が食べるごちそうや王が飲むぶどう酒で身を汚すまいと心に定めた。そして、身を汚さないようにしてくれ、と宦官の長に願うことにした。
神は、ダニエルが宦官の長の前に恵みとあわれみを受けられるようにされた。
ダニエル書1章8~9節
神は厳しい苦難を用いてダニエルをバビロンへと導いた…苦難や悲しみはたとえ信仰深い人にとっても辛いものです。しかし、創造主であるまことの神の御手に人生を委ね、与えられた一日一日を誠実に生き、出会った人々に対して真実を尽くすことを心がけるとき、神は試練の中にも祝福へと通じる脱出の道を備え、すべてのことを働かせて益としてくださいます。ダニエルはバビロン帝国の都へと捕囚として連行されることで、神によって大いなる者と用いられる輝かしい人生のスタートラインに立ちました。
神は志の堅固な礼拝者を祝してくださる…私たちは創造主である全能の神様が生きておられることを、どれだけ真剣に受け止めているでしょうか。私たちが生きるために不可欠な酸素が空気中にあるように、神様は確かに存在します。そして、神様の喜ばれることを行い、礼拝の心で生きる決心をした者に(8節)、神は豊かな恵みを注いでくださいます。神はまずダニエルに対して、出会いを祝してくださいました(9~16節)。
神は従う者に知恵と力を与え世にあっても必要不可欠な存在としてくださる…神はダニエルと友人たちに豊かな知恵と力を与え、特にダニエルには夢を解く霊的な力を授けます。そして彼は、バビロン帝国とバビロンを滅ぼすペルシャ帝国で70年間(BC605~536)にわたり重要な地位にあり、ついには捕囚となったイスラエルの民が祖国へ帰還(第一回。BC538)することを見届けたのでした。
8月28日 礼拝
黙 祷
賛 美 642 のぞみも消えゆくまでに
主の祈り
交 読 詩篇64篇1~10節
祈 祷
使徒信条
賛 美 640 きのうもきょうもとわに
説 教
ダニエル書1章1~21節
神の圧倒的な主権
賛 美 629 おそれなく近よれ
献 金
感 謝
頌 栄 376 父 御子 御霊の
祝 祷