【生きておられる神】
これらすべては、わたしの手が造った。
それで、これらすべては存在するのだ。
―主のことば―
わたしが目を留める者、それは、
貧しい者、霊の砕かれた者、
わたしのことばにおののく者だ。
イザヤ書 66章2節
創造主である神は「地の果てのすべてのものよ。わたしを仰ぎ見て救われよ。わたしが神だ。ほかにはいない。」(イザヤ書45章22節)と宣言されるお方です。
しかし、生まれながらの人は神に背いて自己中心に生きるという罪のなかにいます。それゆえ、神が御子イエスを私たちの罪の身代わりとして十字架で裁き、その赦しを信じる者に救いを与えることがイザヤ書53章には預言されています。
そして神は今も生きて力強く働いておられることが、イザヤ書を締めくくる66章には次の三つの点から示されています。
神は語りかける…神は私たちに語りかけます(1、2、4、6、12、17、21、22、23節)。とくに、神の前に謙虚な者に対して優しく語りかけます(イザヤ書40章1~5節)。そして主の御言葉は、私たちの心を燃やすのです(ルカの福音書24章32節)。
神は御わざをあらわす…「見よ」(12、15、19節。詩篇46篇8節、66篇5~8節)とある通り、生きておられる神の御わざを私たちは見ます。信仰とは神を見ることであり、救いとは神を体験することです(イザヤ書6章1~5節)。
神は祈りに応える…イザヤ書65~66章は、イザヤの嘆願の祈り(イザヤ書63章15、17節、64章5、9、12節)への神の応えであり、背く者には裁きを、立ち返る者には永遠の祝福があることが明示されています。人の本来あるべき姿は、創造主である神のもとに居ることです(イザヤ書30章15節、55章6~11節)。