利根輪太郎は、浅草橋のフィリピンパブ「ユカリ」で東剛史と出会った。
歌手のジェシカが歌った後、輪太郎は河島英五の「時代おくれ」を歌った。
一日二杯の酒を飲み さかなは特にこだわらず マイクが来たなら 微笑んで 十八番(おはこ)を一つ 歌うだけ 妻には涙を見せないで 子供に愚痴をきかせずに 男の嘆きは ほろ酔いで 酒場の隅に置いて行く ...
この歌の詞が東剛史の心を揺さぶった。
輪太郎にとって、唯一とも言える同士のような親友の奈良岡定雄を想って歌ったのだ。
彼が脳梗塞で逝って6か月が過ぎた。
奈良岡がカラオケで好んで歌った十八番(おはこ)の「時代おくれ」。
その詞はまさに、奈良岡の私生活、彼の心情をしみじみと表出していた。
偶然であったが彼とは多摩川を挟んで育ったのだ。
輪太郎は東京・大田区側で小学校時代を過ごしていた。
奈良岡は神奈川県川崎市側で育ち、中卒で町工場へ勤めていたが、一念発起して働きながら夜の高校へ通い、大学も卒業した苦労人であった。
多摩川で子どものころに遊んだ逸話から2人は心を深く通わせるようになった。
仕事ではよきライバルでもあった。
彼との出会いは運命的なものであったかもしれない。
同じ女を愛した時期もあったのだ。
輪太郎が歌が終わるとテスが「あそこの、お客があなたを呼んでいるよ」と伝えに来た。
東剛史に興味を抱いた輪太郎は席を立って挨拶に行く。
「君の歌 良かったよ。一緒に飲まないか」東は親しみを込めて微笑んだ。
「是非、同席させてください」輪太郎は率直に応じた。
東剛史の脇にテスとマリアが座った。
輪太郎の脇にジェシカとエミリーが座った。
東によるとテスはフィリピンの産婦人科医であった。
「産婦人科医ですか?!」輪太郎は改めてテスを見詰めた。
彼女はそれほど美しいくはないが、怜悧な顔立ちをしていた。
聞くところによるとテスは日本の医科大学で学びたかったが、個人的なつながりでは門戸が開かれなかったのだ。
テスの姉が日本人男性と結婚していて、姉を頼って来日したものの、願いを叶えることができずにいた。
薬剤師である東剛史は産婦人科医のテスに親近感を抱いていた。
「是非、何とかしてやりたいが、実際難しいな」東の人脈でも、テスが日本の医科大学附属病院で研修することは無理であったのだ。
「君は、麻雀をやるのか?」
「多少ですが・・・」
「競馬もやるのか?」
「多少ですが・・・」
「明日、府中競馬へ行かないか」
「しばらく、行ってませんが、行きたいですね」
競馬の話題から2人は意気投合したのだ。
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「時代おくれ」 詞:阿久悠/曲:森田公一
河島 英五(かわしま えいご、1952年4月23日 - 2001年4月16日)は、日本のシンガー ソングライター、俳優。大阪府東大阪市出身。長女・河島あみるは歌手・タレント、次女・ 河島亜奈睦(アナム&マキ)、長男・翔馬も歌手。身長184cm。
同年の『日本有線大賞』では「 特別賞」を受賞した。
その表題曲「時代おくれ」は白鶴酒造のコマーシャルソングに起用 ...
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六郷橋(ろくごうばし)は、東京都大田区東六郷と神奈川県川崎市川崎区本町との境の 多摩川に架かる、国道15号(第一京浜国道)の橋である。
旧橋と対照して新六郷橋とも 呼ばれる。
長さ443.7m、幅34.4m。 大師橋と多摩川大橋の間に位置する。
https://www.youtube.com/watch?v=g7l67VKDL8w