-感謝の思いを忘れていない
それが一流の証ではないでしょうか。
立派な作家の方々は皆、周囲の支えがあって自分がいることを知り、その恩に報いていこうと努力を重ねていたと実感します。
小説には、書き手の生き方は表れます。
だから小説家の方々は、人との付き合いにも真剣勝負です。
誰かを大切にした分だけ、自分自身も信頼され、いざという時に守ってもらえる。人生のお手本となる人ばかりでした。
大庭登さん
大庭 登 (著)第三文明社
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税込価格:1,728円
池波正太郎、山岡荘八、遠藤周作、新田次郎…。全国の新聞に小説を配信し、さまざまな作家と交流をしてきた著者が、昭和の作家たちとの思い出の数々を語る。『小説現代』連載に加筆し...
作家と編集者の関係は微妙なもので、作家が急に忙しくなり出すと、作家も生身の人間だから、どうしても仕事の選択をしなければ身がもたない。
ようやく作品にとりかかってもらうことになっても、内容や連載回数のことで、なかなか話がまとまらない。作家に対して高飛車に出ると出入り禁止になり、下手に出ると不利な条件を突き付けられる。どちらにしても結局のところ、しっかり辛抱しないと仕事にならないのである。
そんなとき、作家を説得する殺し文句があった。それは「読者が待っています」だった。
そう言われると、作家は冷静さをとり戻し、考えてみるか、となる。
たいがいの作家は「読者」という言葉にめっぽう弱かった。
〈キャッチコピー〉
出久根達郎氏 激賞!!――本書が貴重なのは「最後の文士」たちを取り上げていることだ。全国の新聞に小説を配信し、さまざまな作家と交流をしてきた著者が、昭和の作家たちとの思い出の数々を語る。『小説現代』連載に加筆して。
大庭登、1936年生まれ。新聞小説、文芸企画の制作配信業務に従事。
全国紙にも地方紙にも小説が連載されている。その地方紙と作家の中に入って、連載される原稿を作家から新聞社につなぐ仕事である。作家の原稿をカーボン紙をはさんで書き写し、挿絵画家や新聞社に届けていたという。
24人の人気作家が登場する。すでに物故者ばかり。
――スケールの大小はあっても、作家のほとんどは神経質で自己中心的だった。私は、そうした奇人・変人・面白人間の作家たちとお付き合いをするには、自分を「空気のような存在にする」ことが必要だと思うようになっていた。普段は気にもならないが、いなければ困るという存在である。
当方の子どもの頃、山岡荘八の『徳川家康』が連載されていた。うんざりするほど長く連載された。そのせいで成人になってからも山岡荘八は読んだことがない。本書によると、新聞連載4,700回、足かけ18年。原稿枚数約17,400枚、単行本26巻、いまなお売れつづけているという。
同じく全く読んだことのない作家に舟橋聖一がいる。「舟橋御殿には常時、10人ほどの使用人がいて、執事、秘書、お手伝い、按摩師、書生、運転手らが、それぞれに割りふられれた仕事を完璧にやり遂げることを命じられていた」。
「原稿が一回分できると、それをノートに書き写す役目の人と、出版社や新聞社に「原稿が上がっております」と連絡する人がいて、それとは別に原稿を渡す役目の人もいた。〔…〕舟橋さんの取材旅行は大名行列さながらに、お気に入りの女性やお手伝いさん、秘書や運転手といったファミリーを大勢お供にされた」。そういう“文士の時代”があったのだ。
著者は司馬遼太郎から密命を受けていたという。それは池波正太郎の近況を報告すること。「東京の池波さんの様子を異常なほど知りたがったのは、新聞業界や文壇事情を把握しておきたいとの、司馬さん流の保身術たったのではないかと思う」。
吉村昭、津村節子夫妻宅を訪れると、「な〜んだ……、僕に用事じゃ互いのか」と、皮肉っぼく言われることもあったという。「君のところにはかみさんが3回書いているが、僕はまだ2回だろ?」と、ささやかれた。そして連載を始めたのが、1988年10月からの『桜田門外ノ変』。
吉村は、「これが新聞小説の最後だと思う。あとは自分がどう死んでいくかの小説となるだろうから…‥。これまで女房と張り合って書き比べをやってきたが、これからは夫婦でお互いの死への旅を綴っていくことになるだろう。君に関わってもらう三作目は、僕の置き土産と思ってくれ」と言われた。
それが一流の証ではないでしょうか。
立派な作家の方々は皆、周囲の支えがあって自分がいることを知り、その恩に報いていこうと努力を重ねていたと実感します。
小説には、書き手の生き方は表れます。
だから小説家の方々は、人との付き合いにも真剣勝負です。
誰かを大切にした分だけ、自分自身も信頼され、いざという時に守ってもらえる。人生のお手本となる人ばかりでした。
大庭登さん
大庭 登 (著)第三文明社
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池波正太郎、山岡荘八、遠藤周作、新田次郎…。全国の新聞に小説を配信し、さまざまな作家と交流をしてきた著者が、昭和の作家たちとの思い出の数々を語る。『小説現代』連載に加筆し...
作家と編集者の関係は微妙なもので、作家が急に忙しくなり出すと、作家も生身の人間だから、どうしても仕事の選択をしなければ身がもたない。
ようやく作品にとりかかってもらうことになっても、内容や連載回数のことで、なかなか話がまとまらない。作家に対して高飛車に出ると出入り禁止になり、下手に出ると不利な条件を突き付けられる。どちらにしても結局のところ、しっかり辛抱しないと仕事にならないのである。
そんなとき、作家を説得する殺し文句があった。それは「読者が待っています」だった。
そう言われると、作家は冷静さをとり戻し、考えてみるか、となる。
たいがいの作家は「読者」という言葉にめっぽう弱かった。
〈キャッチコピー〉
出久根達郎氏 激賞!!――本書が貴重なのは「最後の文士」たちを取り上げていることだ。全国の新聞に小説を配信し、さまざまな作家と交流をしてきた著者が、昭和の作家たちとの思い出の数々を語る。『小説現代』連載に加筆して。
大庭登、1936年生まれ。新聞小説、文芸企画の制作配信業務に従事。
全国紙にも地方紙にも小説が連載されている。その地方紙と作家の中に入って、連載される原稿を作家から新聞社につなぐ仕事である。作家の原稿をカーボン紙をはさんで書き写し、挿絵画家や新聞社に届けていたという。
24人の人気作家が登場する。すでに物故者ばかり。
――スケールの大小はあっても、作家のほとんどは神経質で自己中心的だった。私は、そうした奇人・変人・面白人間の作家たちとお付き合いをするには、自分を「空気のような存在にする」ことが必要だと思うようになっていた。普段は気にもならないが、いなければ困るという存在である。
当方の子どもの頃、山岡荘八の『徳川家康』が連載されていた。うんざりするほど長く連載された。そのせいで成人になってからも山岡荘八は読んだことがない。本書によると、新聞連載4,700回、足かけ18年。原稿枚数約17,400枚、単行本26巻、いまなお売れつづけているという。
同じく全く読んだことのない作家に舟橋聖一がいる。「舟橋御殿には常時、10人ほどの使用人がいて、執事、秘書、お手伝い、按摩師、書生、運転手らが、それぞれに割りふられれた仕事を完璧にやり遂げることを命じられていた」。
「原稿が一回分できると、それをノートに書き写す役目の人と、出版社や新聞社に「原稿が上がっております」と連絡する人がいて、それとは別に原稿を渡す役目の人もいた。〔…〕舟橋さんの取材旅行は大名行列さながらに、お気に入りの女性やお手伝いさん、秘書や運転手といったファミリーを大勢お供にされた」。そういう“文士の時代”があったのだ。
著者は司馬遼太郎から密命を受けていたという。それは池波正太郎の近況を報告すること。「東京の池波さんの様子を異常なほど知りたがったのは、新聞業界や文壇事情を把握しておきたいとの、司馬さん流の保身術たったのではないかと思う」。
吉村昭、津村節子夫妻宅を訪れると、「な〜んだ……、僕に用事じゃ互いのか」と、皮肉っぼく言われることもあったという。「君のところにはかみさんが3回書いているが、僕はまだ2回だろ?」と、ささやかれた。そして連載を始めたのが、1988年10月からの『桜田門外ノ変』。
吉村は、「これが新聞小説の最後だと思う。あとは自分がどう死んでいくかの小説となるだろうから…‥。これまで女房と張り合って書き比べをやってきたが、これからは夫婦でお互いの死への旅を綴っていくことになるだろう。君に関わってもらう三作目は、僕の置き土産と思ってくれ」と言われた。