医科歯科通信  (医療から政治・生活・文化まで発信)



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今年も箱根駅伝の応援へ行く

2015-01-03 12:11:14 | 雑記・断片・映像
昨日は取手発6時11分の常磐線で東京駅へ向う。
快晴、寒い。
東の空が明るんで来たのを車窓から眺める。
南千住では東京スカイツリーが真横の方に見えた。
友人の居酒屋に昨年東京スカイツリーの帰りに行ったことが思い出される。
飯田さん(仮名)は取手から曳舟まで板前として通っていたが、その後店を買い取ったのだ。
曳舟の店「たまり場」は東京スカイツリーから徒歩10分ほどの位置にあった。
娘さんは長男の小学校時代の同級生。
「また、行こうか」と家人に促す。
東京駅へ着いてから、待ち合わせ場所として有名な銀の鈴の休憩場でオニギリを食べる。
温かいコンソメスープのカンを飲む。
家人はサンドイッチを食べる。
それから、大手町の箱根駅伝のスタート地点へ向う。
多くの人々が続々と早足となって、大手町方面、皇居前へ向かっていた。
拓殖大学大学の応援団、中央学院大学の応援団などを見る。
沿道の応援の人たちは例年より少なく思われた。
スタートする駅伝の選手たちを応援してから、東海道線に乗って新子安へ向う。
座席の前に立っていたのは日本大学の応援の人たちだ。
日大の帽子をかぶり、旗を持っている。
人見知りをしない家人が話しかけた。
「うちの人も日大なんですよ」と注げると帽子をとり「よろしくお願いします」と握手をする。
「文理学部体育学科の小川 聡監督が後輩なので応援しています」とその人が言う。
その人はアイスホッケーをやっていていたそうだ。
スケートの金メダリストの清水宏保さんの話となる。
「日大なめなよと言いたい。箱根駅伝の5区で見せ場をつくるはず」と強気である。
連れの人は山梨から来たそうだ。
「今日は小田原で新年会があります」とも言っていた。
「彼は小田原から箱根湯本まで5区の道を走ってみたんですよ。選手の大変さを味わうためです。半端な応援団ではありません」
その彼はスマートフォンで駅伝の中継を観ていた。
「今日は箱根で泊まります」と言っていた。
彼も体育学科であった。
当方は体育学科の講義も受けていたので、親近感を感じた。
先輩の体操オリンピックメダリストの早田卓次さんの話となる。
「早田名誉教授には先日会いました」とその人が言っていた。
日大は自転車が強いが、野球は2部に落ちて低迷。
色々と話をして鶴見で挨拶をして下車して、京浜東北線に乗り換えて新子安へ向う。
道路の右側に創価大学の旗が6本ほど。
左側に中央学院大学の旗が見えた。
大手町では中央学院大学我孫子市民の会の旗がたくさん見られた。
観光バスに乗って団体で箱根へ向うそうだ。
新子安では「ケチャップ発祥の地」の石碑の脇で応援した。
「この歩道が旧東海道です」と和服を来た男性が教えてくれた。
昔は別荘地で海水浴場であったそうだ。
新子安は工業地帯に変貌して昔の面影はないそうだ。
家人は中央学院大学の応援団の人と会話を交わしていた。
鎌倉から来たそうだ。
ハーフの人もいたが、その人も中央学院大学の卒業生であった。
その後、横浜を経由して戸塚へ向う。
家人は足を痛めてから10分歩くにも文句を言う。
「遠いね。もっと近いところで見られないの。なぜ、調べて来なかったの」と不満や愚痴をこぼすので呆れる。
当方は毎朝、1時間は歩いているので、10分など歩いた距離には入らない。
新子安のように駅前なら家人は文句をいわないのだ。
家人は毎日、バイクに乗っていて徒歩5分の範囲にある店の買い物も歩かない。
行動力があるのに歩くのが嫌いなのには、呆れるばかりだ。
家人は当方と別行動で、昨年は平塚まで一人で駅伝を見に行く。
駅から遠かったと別行動を悔いていた。
しかし、日大は今年の上位争いはできなかった。
駅伝の応援はそれでもやめられない。