【2015年、中東情勢はどうなる?】
残酷な神のベールに包まれた真の素顔と目的は?
① ――酒井啓子・千葉大教授に聞く
イラクとシリアの国境地帯を制覇して「カリフ国」の樹立宣言を行い、勢力を拡大しながら政府と対峙するイスラム国。国際社会からは、得体の知れない存在と見られている。奴隷制を復活させ、残酷な刑罰を占領地域の住民に強いるなど、ニュースで報じられるその思想は過激で前近代的だ。戦闘員として現地へ渡ろうとする若者の存在が報じられてからは、遠く離れたかの国に対して、日本国内でも恐怖が募っている。いったいイスラム国とは何者で、報道されている姿は真実なのか。彼らの台頭によって、2015年の中東情勢はどう変わるのか。国際政治学者で中東研究の第一人者である酒井啓子・千葉大学法政経学部教授に、詳しく聞いた。(聞き手/ダイヤモンド・オンライン 小尾拓也)
さかい・けいこ:1959年生まれ。中東研究者、国際政治学者。千葉大学法政経学部教授。東京大学卒業後、アジア経済研究所に勤務。24年間の同研究所在任中に、英国ダーラム大学(中東イスラーム研究センター)で修士号取得。1986~89年、在イラク日本大使館に専門調査員として勤務。2005年より東京外国語大学大学院総合国際学研究院教授。2012年より現職。専攻はイラク政治史、現代中東政治。主な著書に『イラクとアメリカ』(岩波新書、アジア・太平洋賞大賞受賞)、『<中東>の考え方』(講談社現代新書)、『中東から世界が見える』(岩波ジュニア新書)など
中東情勢における最大の懸念勢力
得体の知れないイスラム国の正体
――今、日本でも話題になっている「イスラム国」ですが、多くの人は彼らに対して「得体の知れない過激派組織」という印象を持ち、怖い存在と捉えています。もともと中東地域は、近代以降における欧米の中東戦略との絡みのなかで、情勢が複雑化し、絶えず紛争が勃発してきた地域。イスラム国の台頭は、国際社会にも大きな波紋を広げています。ひとことで言って、どのような国なのでしょうか。
正直な話、イスラム国の行動様式や組織の中身などについて、詳しい情報はまだ十分に出てきていません。重要なのは、イスラム国のような存在がなぜあれだけの力をつけて大きくなったのか、という背景について知ることです。
イスラム国が生まれ、勢力を拡大した原因は大きく2つあります。1つはシリア内戦の影響、もう1つはイラク戦争の戦後復興の失敗です。
イスラム国は2006年の段階で出現しましたが、もともとイラク戦争の戦後復興のやり方に反対する反政府勢力によって組織化されました。中心メンバーは、当時イラクにいた米軍の駐留政策や新政府の政策に不満を持つスンニ派(シーア派と並ぶイスラム教の二大宗派の1つで、主流派)の住民や、戦後にパージされてしまった旧体制派の人々。そうした人々の不満を吸収する形で、イラクのファルージャを中心に「イラクイスラム国」ができたのです。そのうち外国人の義勇兵なども参加し、彼らのいる地域はイラク国内の無法地帯のようになって、拡大して行きました。
しかし、米国の掃討作戦に加えて、2008年頃から駐留米軍が新政府の政策に反対する人々を取り込む復興政策へと方針転換したこともあり、反対派が政府に協力的になった結果、一旦内戦状態は収まります。そのため、外国から入ってきた義勇兵などは居場所がなくなって追い出されてしまった。これが第一の原因です。
イラクから追い出された人々は、2011年から始まった「アラブの春」の潮流の中で、隣国のシリアが政府軍と反政府軍との泥沼の内戦状態に陥ったことをきっかけに、息を吹き返しました。無法地帯となったシリアを拠点にして勢力を増し、再びイラクに舞い戻ってきたのです。第二の原因がこれです。
なぜそうなったかと言うと、2008年以降、国民融和策をとってきたイラクに登場したマーリキー政権が権力集中を行ない、せっかく取りこんだスンニ派の人々を排斥するスタンスを、2011~2012年頃から強めたせいです。そのため、イスラム国の前身が生まれたファルージャ周辺において、昨年頃から反政府活動が再燃しました。この隙を狙って、かつてイスラム国を形成していた勢力が入り込んだのです。
彼らは、今年6月にイラク第二の都市・モスルを制圧・奪取。この約3週間後、それまで使っていた「ISIS」(イラク・シリア・イスラム国)から「イスラム国」へと国名を変更し、現在のイラクとシリアの国境地帯にカリフ制国家を樹立すると宣言しました。現在、事実上彼らの支配下にある地域は、シリア北部のアレッポからイラク中部のディヤラあたりまでとなっています。
「イスラム国はアルカイダ系」
世間に広まっている誤解の裏側
――なるほど。そう言えば、イスラム国を形成する勢力は、もともとアルカイダと関係が深かったという話を聞きます。しかし、イスラム国の生い立ちを聞く限り、あまり接点がなさそうですね。どういう経緯でアルカイダと結びついたのですか。
イスラム国はアルカイダ系だとよく言われますが、一概に言うことは難しい。アフガニスタンで活動していたアルカイダのグループと、アルカイダを名乗るそれ以外の人々とは、実は直接つながりがない場合が多く、実態がよくわからないのです。
アルカイダを標榜するほとんどの人たちは、ネームバリューのあるアルカイダの「分派」を勝手に名乗っています。ただ一部には、以前アルカイダでウサマ・ビンラディンに次ぐナンバー2の幹部だったアイマン・ザワヒリに認められて分派を名乗った人たちもいる。イラクでイスラム国につながる反米武装活動を主導したヨルダン人のアブ・ムサブ・ザルカウィなども、その1人です。
ザルカウィは、もともとアルカイダと関係がなかったのに、勝手に「アルカイダ」と名乗り始め、だいぶ後になってからザワヒリに、「メソポタミアのアルカイダと名乗ってもいい」というお墨付きをもらったようです。
よって、関係があると言えばありますが、アルカイダとイスラム国に直接のつながりはありません。アフガニスタンの活動家がイラクに流れて、イスラム国を形成したわけでもありません。
――それは意外でした。「イスラム国はアルカイダ系だ」という思い込みが、彼らに対する恐怖を増幅しているフシもありますから。ところでイスラム国は、占領地域の拠点に省庁をつくったり、独自の警察部隊を持ったりと、足もとで国家としての体を本格的に整え始めていると聞きます。そもそも彼らの目指すところは何なのでしょうか。1つの国として独立し、国際舞台で影響力を行使したいのか、それともイラク・シリア地域で勢力を強めたいだけなのか。報道からは、彼らの目的がよくわかりません。
イスラム国は今年6月のカリフ制樹立宣言のとき、指導者のアブ・バクル・アル=バグダディを「カリフ」とし、あらゆる場所のイスラム教徒のリーダーであると謳いました。
つまり、彼らの言葉を額面通りに受け取れば、「カリフ国を築く」ことが目的です。カリフ制は、「預言者であるムハンマド(マホメット)の後継者たちがイスラム共同体の長たるべし」と考えるシステム。オスマン帝国が解体されるまで、スンニ派の諸国家で連綿と続けられてきた国家システムですが、イスラム国はそのシステムを現代に復活させようとしています。
「空き地」にできたコミュニティ
国家承認される可能性は到底ない
なのでその意味では、何らかの国の体系をつくりたい気持ちはあるのでしょう。ただそれは、国際社会で言うところの国家とは次元が違う。これまでイスラム国の勢力があったところは、イラクであれシリアであれ、中央政府による統括ができておらず、行政が破綻状態にあった地域でした。つまり、「空き地」に勝手に陣取って、自分たちが好きな国づくりをやっているようなもの。
「国」という言葉がつくので誤解されがちですが、彼らがつくっているのは単なるコミュニティに過ぎません。歴史上の似たケースで言えば、太平天国のようなもの。そもそも彼ら自身にも、「まともな国家として国際社会に認められたい」などという気持ちはないと思いますよ。
――そうした状況は、公武二元体制の時代もあったものの、近世以降、原則として国家が統一されている状態が当たり前だった日本人にとって、実感がわきづらいですね。たとえば、そんな彼らが今後、大方の予想に反して、国際社会に認められるような国家体制を樹立することはあり得ますか。またあり得るとしたら、それにはどんな要件が必要でしょうか。
まずないでしょうね。あり得るとすれば、アフガニスタンのタリバンのように、過激派勢力が政権を奪取するというパターンでしょうか。
ただ、タリバンは初めから国政を目指していたし、政権を取った後は国家承認もされて、アフガニスタンのほぼ全地域を統治していました。また、彼らはもともとアフガニスタン生まれの組織なので、アフガニスタン人の組織が国家を統一して政権をつくり上げたという、正当性を持っていた。それでも、当時タリバン政権のアフガニスタンを承認したのは、パキスタンをはじめとする一部の近隣諸国だけでしたが。
一方イスラム国は、ある勢力が国の主権を取るというパターンと違い、「空き地」に勝手に陣取っているだけの勢力です。もし彼らが国際社会に認められようとしたら、その前にまずイラクやシリアから正式に独立しなくてはならない。でも、シリアのアサド政権もイラク政府も、そんなことは絶対に認めないでしょう。そうなると、国境の設定自体も大変難しい。
だから、現実的にあり得るとすれば、1つの国家の中の一地域に治外法権のマフィア国家のようなものができるというもの。住民がうっかりそこを通ってしまうと、高い通行税をとられたり、ひどい目に遭ったりする、という場所になるわけです。
いずれにせよ、わけのわからない人たちが棲みついて、無法地帯をつくって、元から住んでいた住民が強制的に支配下に置かれているわけなので、現地人にとっては大きな恐怖でしょうね。
イスラム国について語られる
「残虐性」の誤解と誇張
――わかりました。恐怖と言えば、イスラム国について国際社会が抱く恐怖の原因の1つに、ニュースで報じられるような「残虐性」があります。たとえば、罪を犯した者の手首や足を罰として切断すること、女性の過度な抑圧が行われていることなどです。歴史的に中東地域には、欧米などの先進国と協調しながらやってきた人々がいる一方、こうした非常に前近代的な思想を持つ人々もいる。その思想的な背景には、何があるのでしょうか。
実は、彼らの残虐性については誤解や誇張もあります。「カリフ国を築くべし」と考える人たちは他にもいますが、イスラム国が特徴的なことは、イスラム教が成立した7世紀当初の法体系や統治法をそのまま導入するという、極端に厳格な政策を採用していることです。
つまり彼らは、罪を犯した者の刑罰のやり方も当時に則しているだけ。手首を切り落とすといった、現在から見れば残虐な刑罰は、当時いくらでもありました。同じ時代の日本にも、普通にあったでしょう。こうした7世紀の刑法が現代にそぐわないのは、誰でもわかることです。イスラムの国々では、時代の流れに応じてイスラム法学者らが刑罰の考え方を近代化させて行きました。
(つづく)
残酷な神のベールに包まれた真の素顔と目的は?
① ――酒井啓子・千葉大教授に聞く
イラクとシリアの国境地帯を制覇して「カリフ国」の樹立宣言を行い、勢力を拡大しながら政府と対峙するイスラム国。国際社会からは、得体の知れない存在と見られている。奴隷制を復活させ、残酷な刑罰を占領地域の住民に強いるなど、ニュースで報じられるその思想は過激で前近代的だ。戦闘員として現地へ渡ろうとする若者の存在が報じられてからは、遠く離れたかの国に対して、日本国内でも恐怖が募っている。いったいイスラム国とは何者で、報道されている姿は真実なのか。彼らの台頭によって、2015年の中東情勢はどう変わるのか。国際政治学者で中東研究の第一人者である酒井啓子・千葉大学法政経学部教授に、詳しく聞いた。(聞き手/ダイヤモンド・オンライン 小尾拓也)
さかい・けいこ:1959年生まれ。中東研究者、国際政治学者。千葉大学法政経学部教授。東京大学卒業後、アジア経済研究所に勤務。24年間の同研究所在任中に、英国ダーラム大学(中東イスラーム研究センター)で修士号取得。1986~89年、在イラク日本大使館に専門調査員として勤務。2005年より東京外国語大学大学院総合国際学研究院教授。2012年より現職。専攻はイラク政治史、現代中東政治。主な著書に『イラクとアメリカ』(岩波新書、アジア・太平洋賞大賞受賞)、『<中東>の考え方』(講談社現代新書)、『中東から世界が見える』(岩波ジュニア新書)など
中東情勢における最大の懸念勢力
得体の知れないイスラム国の正体
――今、日本でも話題になっている「イスラム国」ですが、多くの人は彼らに対して「得体の知れない過激派組織」という印象を持ち、怖い存在と捉えています。もともと中東地域は、近代以降における欧米の中東戦略との絡みのなかで、情勢が複雑化し、絶えず紛争が勃発してきた地域。イスラム国の台頭は、国際社会にも大きな波紋を広げています。ひとことで言って、どのような国なのでしょうか。
正直な話、イスラム国の行動様式や組織の中身などについて、詳しい情報はまだ十分に出てきていません。重要なのは、イスラム国のような存在がなぜあれだけの力をつけて大きくなったのか、という背景について知ることです。
イスラム国が生まれ、勢力を拡大した原因は大きく2つあります。1つはシリア内戦の影響、もう1つはイラク戦争の戦後復興の失敗です。
イスラム国は2006年の段階で出現しましたが、もともとイラク戦争の戦後復興のやり方に反対する反政府勢力によって組織化されました。中心メンバーは、当時イラクにいた米軍の駐留政策や新政府の政策に不満を持つスンニ派(シーア派と並ぶイスラム教の二大宗派の1つで、主流派)の住民や、戦後にパージされてしまった旧体制派の人々。そうした人々の不満を吸収する形で、イラクのファルージャを中心に「イラクイスラム国」ができたのです。そのうち外国人の義勇兵なども参加し、彼らのいる地域はイラク国内の無法地帯のようになって、拡大して行きました。
しかし、米国の掃討作戦に加えて、2008年頃から駐留米軍が新政府の政策に反対する人々を取り込む復興政策へと方針転換したこともあり、反対派が政府に協力的になった結果、一旦内戦状態は収まります。そのため、外国から入ってきた義勇兵などは居場所がなくなって追い出されてしまった。これが第一の原因です。
イラクから追い出された人々は、2011年から始まった「アラブの春」の潮流の中で、隣国のシリアが政府軍と反政府軍との泥沼の内戦状態に陥ったことをきっかけに、息を吹き返しました。無法地帯となったシリアを拠点にして勢力を増し、再びイラクに舞い戻ってきたのです。第二の原因がこれです。
なぜそうなったかと言うと、2008年以降、国民融和策をとってきたイラクに登場したマーリキー政権が権力集中を行ない、せっかく取りこんだスンニ派の人々を排斥するスタンスを、2011~2012年頃から強めたせいです。そのため、イスラム国の前身が生まれたファルージャ周辺において、昨年頃から反政府活動が再燃しました。この隙を狙って、かつてイスラム国を形成していた勢力が入り込んだのです。
彼らは、今年6月にイラク第二の都市・モスルを制圧・奪取。この約3週間後、それまで使っていた「ISIS」(イラク・シリア・イスラム国)から「イスラム国」へと国名を変更し、現在のイラクとシリアの国境地帯にカリフ制国家を樹立すると宣言しました。現在、事実上彼らの支配下にある地域は、シリア北部のアレッポからイラク中部のディヤラあたりまでとなっています。
「イスラム国はアルカイダ系」
世間に広まっている誤解の裏側
――なるほど。そう言えば、イスラム国を形成する勢力は、もともとアルカイダと関係が深かったという話を聞きます。しかし、イスラム国の生い立ちを聞く限り、あまり接点がなさそうですね。どういう経緯でアルカイダと結びついたのですか。
イスラム国はアルカイダ系だとよく言われますが、一概に言うことは難しい。アフガニスタンで活動していたアルカイダのグループと、アルカイダを名乗るそれ以外の人々とは、実は直接つながりがない場合が多く、実態がよくわからないのです。
アルカイダを標榜するほとんどの人たちは、ネームバリューのあるアルカイダの「分派」を勝手に名乗っています。ただ一部には、以前アルカイダでウサマ・ビンラディンに次ぐナンバー2の幹部だったアイマン・ザワヒリに認められて分派を名乗った人たちもいる。イラクでイスラム国につながる反米武装活動を主導したヨルダン人のアブ・ムサブ・ザルカウィなども、その1人です。
ザルカウィは、もともとアルカイダと関係がなかったのに、勝手に「アルカイダ」と名乗り始め、だいぶ後になってからザワヒリに、「メソポタミアのアルカイダと名乗ってもいい」というお墨付きをもらったようです。
よって、関係があると言えばありますが、アルカイダとイスラム国に直接のつながりはありません。アフガニスタンの活動家がイラクに流れて、イスラム国を形成したわけでもありません。
――それは意外でした。「イスラム国はアルカイダ系だ」という思い込みが、彼らに対する恐怖を増幅しているフシもありますから。ところでイスラム国は、占領地域の拠点に省庁をつくったり、独自の警察部隊を持ったりと、足もとで国家としての体を本格的に整え始めていると聞きます。そもそも彼らの目指すところは何なのでしょうか。1つの国として独立し、国際舞台で影響力を行使したいのか、それともイラク・シリア地域で勢力を強めたいだけなのか。報道からは、彼らの目的がよくわかりません。
イスラム国は今年6月のカリフ制樹立宣言のとき、指導者のアブ・バクル・アル=バグダディを「カリフ」とし、あらゆる場所のイスラム教徒のリーダーであると謳いました。
つまり、彼らの言葉を額面通りに受け取れば、「カリフ国を築く」ことが目的です。カリフ制は、「預言者であるムハンマド(マホメット)の後継者たちがイスラム共同体の長たるべし」と考えるシステム。オスマン帝国が解体されるまで、スンニ派の諸国家で連綿と続けられてきた国家システムですが、イスラム国はそのシステムを現代に復活させようとしています。
「空き地」にできたコミュニティ
国家承認される可能性は到底ない
なのでその意味では、何らかの国の体系をつくりたい気持ちはあるのでしょう。ただそれは、国際社会で言うところの国家とは次元が違う。これまでイスラム国の勢力があったところは、イラクであれシリアであれ、中央政府による統括ができておらず、行政が破綻状態にあった地域でした。つまり、「空き地」に勝手に陣取って、自分たちが好きな国づくりをやっているようなもの。
「国」という言葉がつくので誤解されがちですが、彼らがつくっているのは単なるコミュニティに過ぎません。歴史上の似たケースで言えば、太平天国のようなもの。そもそも彼ら自身にも、「まともな国家として国際社会に認められたい」などという気持ちはないと思いますよ。
――そうした状況は、公武二元体制の時代もあったものの、近世以降、原則として国家が統一されている状態が当たり前だった日本人にとって、実感がわきづらいですね。たとえば、そんな彼らが今後、大方の予想に反して、国際社会に認められるような国家体制を樹立することはあり得ますか。またあり得るとしたら、それにはどんな要件が必要でしょうか。
まずないでしょうね。あり得るとすれば、アフガニスタンのタリバンのように、過激派勢力が政権を奪取するというパターンでしょうか。
ただ、タリバンは初めから国政を目指していたし、政権を取った後は国家承認もされて、アフガニスタンのほぼ全地域を統治していました。また、彼らはもともとアフガニスタン生まれの組織なので、アフガニスタン人の組織が国家を統一して政権をつくり上げたという、正当性を持っていた。それでも、当時タリバン政権のアフガニスタンを承認したのは、パキスタンをはじめとする一部の近隣諸国だけでしたが。
一方イスラム国は、ある勢力が国の主権を取るというパターンと違い、「空き地」に勝手に陣取っているだけの勢力です。もし彼らが国際社会に認められようとしたら、その前にまずイラクやシリアから正式に独立しなくてはならない。でも、シリアのアサド政権もイラク政府も、そんなことは絶対に認めないでしょう。そうなると、国境の設定自体も大変難しい。
だから、現実的にあり得るとすれば、1つの国家の中の一地域に治外法権のマフィア国家のようなものができるというもの。住民がうっかりそこを通ってしまうと、高い通行税をとられたり、ひどい目に遭ったりする、という場所になるわけです。
いずれにせよ、わけのわからない人たちが棲みついて、無法地帯をつくって、元から住んでいた住民が強制的に支配下に置かれているわけなので、現地人にとっては大きな恐怖でしょうね。
イスラム国について語られる
「残虐性」の誤解と誇張
――わかりました。恐怖と言えば、イスラム国について国際社会が抱く恐怖の原因の1つに、ニュースで報じられるような「残虐性」があります。たとえば、罪を犯した者の手首や足を罰として切断すること、女性の過度な抑圧が行われていることなどです。歴史的に中東地域には、欧米などの先進国と協調しながらやってきた人々がいる一方、こうした非常に前近代的な思想を持つ人々もいる。その思想的な背景には、何があるのでしょうか。
実は、彼らの残虐性については誤解や誇張もあります。「カリフ国を築くべし」と考える人たちは他にもいますが、イスラム国が特徴的なことは、イスラム教が成立した7世紀当初の法体系や統治法をそのまま導入するという、極端に厳格な政策を採用していることです。
つまり彼らは、罪を犯した者の刑罰のやり方も当時に則しているだけ。手首を切り落とすといった、現在から見れば残虐な刑罰は、当時いくらでもありました。同じ時代の日本にも、普通にあったでしょう。こうした7世紀の刑法が現代にそぐわないのは、誰でもわかることです。イスラムの国々では、時代の流れに応じてイスラム法学者らが刑罰の考え方を近代化させて行きました。
(つづく)