ちょっとブログの更新をさぼっていました
というのもですね、とーっても感動することが次々に起こって、それをどう表現していいかわからず、私の脳みそは完全にフリーズしちまいまして。。。
よければ、私の拙い文章にみなさんのお力を拝借して 決して他力本願というわけではないのですがね。
私がとーっても感動したもの。テレビ
普段あまりテレビは見ていないのですが、たまたま気になる番組が重なってありました。
その中から、1月31日~4夜連続で放送された
TBS 「風がはこんできたもの~音楽の原風景~」
4アーティストと倉本聰が織りなすスペシャルプレミアムな音楽ナイト
私は4夜のうち、3夜を観ました。感動したーーーというわりに、1夜見逃しているところが、私らしいっちゃ私らしい詰の甘さです。
第1夜~「歌を生きる」 倉本さんがJUJUさんに語る「歌と環境の深い関係」
第2夜~「故郷を生きる」 坂本冬美さんが故郷への思いを歌で綴る
第3夜~「風を奏でる」 ピアニスト・辻井伸行さんが、富良野の森の声を聴いて紡ぎだす音楽
第4夜~「生の音を紡ぐ」 マイクやアンプ、スピーカー等の機械を全く通さずに、自分たちの生声だけで勝負するプレミアライヴにコブクロが挑戦
私が観たのは、第1、第3、第4夜の回です。
頭の中が「感動したーーー」ってことで、いっぱいいっぱいになってしまって、細かな事は全然思い出せないのですが。。。
「音楽はどこから生まれてきたのだろうか」
「すぐれたアーティストは神が奏でる楽器」
「人間の生の声こそが音楽の原点では」
「人間は神々から授かった声という楽器を持っている」
「すぐれたアーティストは神が奏でる楽器」
「人間の生の声こそが音楽の原点では」
「人間は神々から授かった声という楽器を持っている」
番組を観ていて気になったフレーズです。
私がいつも漠然と音楽について感じていることに近い気がしました。
私がお気に入りのアーティストは、「声が楽器」「神から授けられた、神の使者」のような方が多いです。
声の魅力だけではなく、言葉の魅力、生き方が魅力的な方もいらっしゃいますが
番組な中でとても大きな存在感を見せていたのは、アーティストの方々でもなく倉本先生でもなく、大きな深い富良野の冬景色
北海道で生まれ育ったので、雪の景色は見慣れていたはずです。
なのに、なんなんでしょうね。ダイヤモンドダストとかサンピラーとかの特別な景色でなく、ごくごく普通の吹雪や木立がとーっても美しいのです。
窓の外に映る雪の降る音、風の音が聞こえるような気がしました。
知ってましたか?雪も降る時は音がするんですよ
こうして、改めて文章にして頭を整理してみると、どうやら私は番組の音楽よりも、富良野の景色の方に感動していたようです。
辻井君が心の眼で感じ取った富良野の森は、意外にもとても爽やかなイメージでした。
ひょっとしたら彼の眼に森の妖精の姿が見えたのかもしれませんね。妖精のささやきが聞こえたのかもしれません。
私が昨年の夏に、富良野・美瑛を旅したときのことです。
木立の中を車で走っていたとき、私とsUnさんは、確かに妖精の声を聞いたのですよ
ふたりとも年をとってきましたからね、たぶん聞き間違え・幻聴なんでしょうけど、ほぼ同時に聞こえたような気がしたので、聞こえたんです(キッパリ)
どんな声が 言葉で表現するのはむじゅかしいのですが、これが一番近いかも~
風が運ぶ音が音楽になるとしたら・・・・・
私達の何気ないおしゃべりも、音楽になってしまうのかしら ならば、時と場所をちゃんと考えなくっちゃ。
先日出かけた渋谷の街。あちらこちらから競い合うように音が流れ出し、音の洪水。
人々は、自分の好みじゃない音楽を聞かないために、ヘッドフォンで耳を塞ぎ 音の上に音を重ねる。
静寂の音、小さな音に耳を傾ける感性がちょこっとづつ失われているような気がしてなりません。
老いてくると、否応無しに聴力が落ちます。だから、若くて耳がよく聞こえるうちに、た~くさんの素敵な音に触れるといいですよ。
自分のお気に入りしか受け付けないなんて、勿体にゃーい(←自戒を込めて)
小さな音を見つけるって、金の粒を探したり、ダイヤの原石を見つけたりする作業に似ていませんか?
そう考えると、音で音を消していることが、とても大きなチャンスを失っているような、素敵な音を見つけたときの喜びは、とっても大きいと思うのですよ
私がいつも漠然と音楽について感じていることに近い気がしました。
私がお気に入りのアーティストは、「声が楽器」「神から授けられた、神の使者」のような方が多いです。
声の魅力だけではなく、言葉の魅力、生き方が魅力的な方もいらっしゃいますが
番組な中でとても大きな存在感を見せていたのは、アーティストの方々でもなく倉本先生でもなく、大きな深い富良野の冬景色
北海道で生まれ育ったので、雪の景色は見慣れていたはずです。
なのに、なんなんでしょうね。ダイヤモンドダストとかサンピラーとかの特別な景色でなく、ごくごく普通の吹雪や木立がとーっても美しいのです。
窓の外に映る雪の降る音、風の音が聞こえるような気がしました。
知ってましたか?雪も降る時は音がするんですよ
こうして、改めて文章にして頭を整理してみると、どうやら私は番組の音楽よりも、富良野の景色の方に感動していたようです。
辻井君が心の眼で感じ取った富良野の森は、意外にもとても爽やかなイメージでした。
ひょっとしたら彼の眼に森の妖精の姿が見えたのかもしれませんね。妖精のささやきが聞こえたのかもしれません。
私が昨年の夏に、富良野・美瑛を旅したときのことです。
木立の中を車で走っていたとき、私とsUnさんは、確かに妖精の声を聞いたのですよ
ふたりとも年をとってきましたからね、たぶん聞き間違え・幻聴なんでしょうけど、ほぼ同時に聞こえたような気がしたので、聞こえたんです(キッパリ)
どんな声が 言葉で表現するのはむじゅかしいのですが、これが一番近いかも~
KOKIA / A GIFT【OTO NO TABI BITO #24】
風が運ぶ音が音楽になるとしたら・・・・・
私達の何気ないおしゃべりも、音楽になってしまうのかしら ならば、時と場所をちゃんと考えなくっちゃ。
先日出かけた渋谷の街。あちらこちらから競い合うように音が流れ出し、音の洪水。
人々は、自分の好みじゃない音楽を聞かないために、ヘッドフォンで耳を塞ぎ 音の上に音を重ねる。
静寂の音、小さな音に耳を傾ける感性がちょこっとづつ失われているような気がしてなりません。
老いてくると、否応無しに聴力が落ちます。だから、若くて耳がよく聞こえるうちに、た~くさんの素敵な音に触れるといいですよ。
自分のお気に入りしか受け付けないなんて、勿体にゃーい(←自戒を込めて)
小さな音を見つけるって、金の粒を探したり、ダイヤの原石を見つけたりする作業に似ていませんか?
そう考えると、音で音を消していることが、とても大きなチャンスを失っているような、素敵な音を見つけたときの喜びは、とっても大きいと思うのですよ
カレンダーへのメモ程度じゃ、最近ダメになりました
ライブDVDとか持ってますよ。観ながら、あ~アソコ良かったよな~って感動がよみがえります。
生のライブでは、五感がフル稼働される感じがあります。
コブクロの回、良かったですね。
マイクの音に慣れた耳には最初聞こえにくかったかもしれないけど、その分耳を澄ますと、今までとは違った音が聞こえたかも。
感動して涙する美女の横顔、実はあの撮影方法、私は気に食わないのですよ
絶対、アレは仕込みだ!!みたいにね。(笑)
やっぱ見たいと思った物は録画予約しておかないとうっかり見逃しますね。
コブクロのコンサートの回は見ました。
会場の客席にもカメラがよく向けられていて、涙しながら見ている人の顔が映されてました。
生の演奏聴いて涙する事、私もあります。
きっと調整された完成度の高いDVDやCDとはちがった、
その場限りの色々な良さが直に伝わって来るんでしょうね。
私も見たかった辻井君の回はうっかり何かしていて忘れたんですよ。
再放送期待したいです。
倉本先生の即興の無茶振りもすごかったですが、それに応える辻井君がすごいです。
彼の音には、いつも色が見えます。不思議ですよね、色の見えない彼の音に色が見えるって!!
コブクロの生歌もよかったですね。
たぶん、テレビより会場にいた方が、音の波が伝わって何百倍も素敵だったんだろうな~って想像してました。
番組の再放送とかあったらいいですね。
素敵なのでしょう~!
私はこの番組のことを知りませんでした
辻井さんがどんな風に富良野の森をピアノで
表現されたのかとても興味があります。
ところで、もの忘れの激しい私は昨日星を見ることを
忘れていました