突然ではございますが、ご報告です
私の母・ふーちゃんが、先月の7日に天国へ旅立ちました
写真は、私からの報せを聞いたsUnさんが、ふと空を見上げた時に見えた『幻日』です
sUnさんはね、ふーちゃんからの別れの挨拶に思えたんですって
8月7日、北海道では『七夕』の日です
顔には似合わずロマンティストだったふーちゃんが、七夕の日にお星さまになるなんって、ちょっと出来過ぎじゃないかしら
ふーちゃんの腎臓が小さくなって、機能していないと言われたのがもう20数年前
厳しい食事療法を守って、実際に透析を始めたのは。8年ほど前
ふーちゃん自身、なかなか自分が思い描いたような人生は送れず、苦労と忍耐の多い一生でした
どこかの歌にありましたね
幸せを数えたら 片手にもあまる~~ 不幸せ数えたら 両手でも足りない ってか
ところが、ふーちゃん、持ち前の明るさと元気で、いつも前向きに生きてきました
幸せを数えたら 片手にもあまる~~けど、笑い話 数えたら 両手両足合わせても足りない~~~
ふーちゃんのいる所には、いつも笑顔の花の輪が広がっていました
苦しいことも悲しいことも寂しいこともあっただろうけど、いつも温かな仲間に支えられて、勇気と元気をもらっていたようです
家で転んで、ボロボロだった腰の骨が崩壊してしまって、自分の力では立てなくなって入院したのが6月の初め
それから、あれよあれよいう間に、旅立ってしまいました
ふーちゃん、せっかちだったからね
思い描いた人生は送れなかったけど、いつもその時その時を精一杯生きてきたふーちゃん
そんなふーちゃんに、神様は最後に最高の贈り物をしてくれました
ふーちゃんのエンディングは、それまでふーちゃんが言っていた思い描いていた通りになったんですよ
ものすごーく満足そうな、微笑みというより『ドヤ顔』で旅立ったふーちゃんでした
なんてゆーかね、ウルトラマラソンを完走したような 思わず拍手を送りたくなったような、そんな最期だったんですよ
とは言っても、娘として、やっぱりあ~しておけば良かったな~なんていう小さな後悔はありまして
でも、全然メソメソなんてしてないんですよ
もう少し悲しくなるかな~なんて思ったけど、ちっとも悲しくならないの
私って、やっぱり冷たいオンナなのかな~~~?
もう、ふーちゃんの声が聞けないのは寂しいけど、私もふーちゃんみたいに最後の最後まで精いっぱい生きて、人生のゴールテープを切りたいな~~ そんな風に思うんですよ
それでは、ふーちゃんコレクションをどうぞ
2007年 ふーちゃんの大好きなオコタンペ湖にて
2012年 腰がだいぶん悪くって、歩くのがやっとになっていました
入院中のふーちゃん 退院したら、このTシャツを着て、リハビリ頑張るよ~~なんて言っていました (この時、命の崖っぷちから生還してきたところです。そんな風に見えないでしょ)
ポン子さんの娘の結婚式に出席した時の写真を遺影にしたのですがね、その写真を見た葬儀屋さんが「とってもお上品なおばあちゃんだったんですね」って
お上品とは真逆のふーちゃんだったものですから、私たちは大爆笑してしまいました
今もね、そのおすまし顔のふーちゃんが、こっちを見てるんですけど、なんだかね~~
やっぱり変顔でもなんでも、普段のふーちゃんの顔が一番『めんこい』です
ふーちゃんのお骨と一緒に大阪に帰ってきた日の夕焼け
ふーちゃんがまだ元気だった頃は、ふーちゃんの武勇伝で、このブログを賑わせてくれました
ブログを通してふーちゃんのことを気に掛けてくださっていた皆様、長い間、ありがとうございました
そして、北海道でふーちゃんを支えてくれていたポン子さんとポン子さんファミリー、病院の先生、スタッフの皆様、そして透析のお仲間の皆様、本当にありがとうございました
ふーちゃんは、一足お先に次のステージに進みました
みなさんにちゃんとお礼もせずに、旅立ったことを赦してあげてくださいね
この場にて失礼とは思いますが、ふーちゃんに代わりまして心から御礼申し上げます