goo blog サービス終了のお知らせ 

おいしい野菜をつくろう

採れたて野菜は おいしい!

いすゞ自動車藤沢工場~農道を通って北西へ

2014-02-26 | 横須賀水道路
海老名駅発 9:20の長後駅行きのバスに乗り いすゞ前のバス停で降りました
海老名から 30分ちょっとかかりました



横須賀水道路は いすゞの工場の中を 通っているそうです
今日は いすゞ工場北口前から 北西に向かって 歩きました



地図を頼りに あとは勘で 道を探したら すぐに見つかりました
いたる所に 標柱があって 写真に撮りきれないほどです





↑この標柱は 初めて見た感じです





↑ 引っこ抜かれて 横たわっています







↑ 「水道みち」って 書いてあります
  ここは 農道なんですね

道の両側は 広い畑が 続いていました
  







↑ 赤いはちまきは工事の印らしい?



↑ 工事中です





あら? 横須賀水道の水道管を 撤去しちゃうんですか?
工事の人に聞いたら 道を整備して 広い道にするので
水道管を 新しくしているんだそうです

撤去した 海軍が作った 古い水道管を 見てみたいと思ったけれど
仕事の邪魔だし 危険だから 無理だろうと思って 諦めました

まだまだ 道は 続きますが 今日はここまでにしておきます



横須賀水道・有馬系統②

2014-02-21 | 横須賀水道路
去年11月22日 白い富士山を見たくて 相模川沿いの 海老名市社家の辺りへ行った時
横須賀水道には 半原系統だけでなく 有馬系統というのがあることに気づきました

11月の記事と 重複しますが 有馬系統は 半原系統よりは遅く 
昭和14年着工 昭和20年の完成です
昭和20年って言ったら もう戦争が終わる年です

水道は 戦争のためだけでなく 後々も役に立つから 良いようなものの
旧海軍の力って すごいものなんですね
定規で線を引いたような 真っ直ぐな道を 短期間に 強引に作ってしまうんですもの

11月24日には 社家から東へ 田んぼの中を真っ直ぐに 東へ延びる道を歩きました
つき当たりが 有馬浄水場でしたが 歩いてきた道より 高い丘の上にあって
上ることがことができませんでした
脇へ回れば 上に行く道は ありそうでしたが 時間もなかったので 引き返しました



今日は その続きを歩きたかったので まず 有馬浄水場へ 直接行くことにしました

海老名駅から 長後駅行きのバスに乗り 杉久保で降りて 歩いて10分ほど
有馬小学校と並んで 小高い場所に ありました

  









有馬浄水場門前から 東に向かって 真っ直ぐな道が延びていました



これが水道道だろうな~と 思って眺めていたら 職員の方が 門から出ていらしたので
うかがってみたら「昔の海軍が作った水道道なんですよ」と 教えてくれました

地図を見ると ここから3kmほど先の 藤沢市葛原で 半原系統と合流するようですが
今日は 2時までに帰宅しなくちゃならなかったので そこまでは行けないけれど
行ける所まで 行ってみようと 歩き始めたら…さっそく ありました

 「水道局」の標柱



 Yは横須賀のY

 「横須賀」の標柱



 途中に こんな看板が

 この先は なんだか怖そう…?

時間も足りないので ここらで 引き返します


もう一度 有馬浄水場に戻って 周囲をぐるりと歩いてから バス停に向かいました
ファミレスで トイレを借りて お昼を食べてから バスで帰りました

もう少し時間が ほしかったです



昭和10年代には国際関係の緊迫化が進んだため、
軍備の増強により海軍の水需要が増大した。
海軍は貸与していた軍港水道施設の返還を申し入れた。

1939年(昭和14年)、「突貫工事」により海老名市社家の相模川から
有馬浄水場を経由して田浦配水池まで送水する有馬系統の工事が着手され、
1942年(昭和17年)に一部通水、終戦の年となる1945年(昭和20年)に完成を見た

JR横須賀線と円覚寺

2014-02-14 | 横須賀水道路
「クラス会inサッポロ」の帰りの飛行機で 隣の席になったM君は
幼少期に 逗子市に住んでいたと聞いています

春になったら 私の 横須賀水道路ウォークも 
いよいよ 逗子~横須賀へと 向かう予定です

M君から 逗子や横須賀の話が 聞けたら良いな~と思って 
私のこれまでの 横須賀水道路探検の話をしました


逗子や 隣接した 横須賀市には 旧海軍に関係したものが
いろいろ残っているという話を 聞くことができました

特に 私が興味を 引かれたのは 
JR横須賀線が 北鎌倉の円覚寺の境内をつっきっているという 話です
確かに 円覚寺の前に 横須賀線の 踏切がありますよね


帰ってきてから ネットで 調べてみたら こんな説明がありました

横須賀線は 元々は旧日本軍(海軍)が 横須賀港に物資を輸送する目的で 敷設したものです。

当時は 軍備拡大を目指していたので 軍港である横須賀港に 大量の物資を運ぶのは 鉄道しかなく、
線路を引くのは 至上命題となっていました。

そのためには 用地買収を強引にしないと 線路が引けないので 
境内であろうが参道であろうが かまわず買収(という名の召し上げ)して 工事を始めた訳です。

ちなみに 鶴岡八幡宮の参道も 横須賀線によって分断されています



ヘ~! そうだったのか~! と驚くと同時に
横須賀水道路と JR横須賀線は 共通点があることが分かりました

以前 娘が鎌倉に住んでいたことがあって 大船から 横須賀線で 
鎌倉に行くことが多かったので 横須賀線には 馴染みがあります



そんな話をしていたら あっという間に 羽田に着いてしまいました
昨日は すんなりと帰ってこられましたが 今日は 大雪で大変みたいです

金曜日なので 勤め帰りで 苦労なさっている方も 多いでしょうね
気をつけて 帰ってくださいね~

私も 旅行で留守にしていたので 食料品不足ですが 買い物にも行けず…
あり合わせの材料で ツナ缶カレーを 作りました
案外 美味しかったです

鶴岡八幡宮の参道も 横須賀線によって分断されています」という件については
また後日 調べてから 記事にしたいと思います
コメント (4)

バス停検索

2013-11-26 | 横須賀水道路
横須賀水道路の探検は 最寄駅から歩くのですが
電車の駅から離れた場所は 路線バスを使うしかありません

 ネット画像

1:15,000くらいの 地図には バス停名が書いてあります
でも そのバスは どこから発車して どこに行くのかが 分かりません

それで 最近活用しているのが バス停の検索サイト 駅探(ekitan) です
五十音で バス停名を入れれば そのバス停の時刻表が表示されます

そして どこからどこへ行く路線なのかもわかります
大変便利なので これがあれば 知らないバス路線でも 安心して利用できます

他のバス会社のバス停も エリアとバス会社名 を選択すれば 同様に検索できます
すごく面白くて 仮想路線バス旅行 ができますよ~



コメント (2)

予想通り横須賀水道路・有馬系統でした

2013-11-24 | 横須賀水道路
金曜日に 発見した 相模川にかかる水路橋近くの 横須賀水道関連の施設
そこから 海老名市中河内の 田んぼの中を 真っすぐに延びる道は
今日 午後 歩いてみたら 予想通り 横須賀水道路でした!

横須賀水道路半原系統を 歩いた時に 沢山見た 標識が ありましたよ!
思わず「やっぱり あったわね~!」と 声に出してしまいました

 は横須賀のです
↑は 路面に 埋まっているのです
等間隔に かなり沢山 見受けました


↓これも 以前よく見た マンホールの蓋



↓ これは道路の端に 埋め込まれている コンクリート製の道標
傾いて 半分埋まっていました    これも相当数 見受けました



水道路って 地図を見ると 不自然に真っすぐなので 
「怪しい~?」と感じるのです



横須賀水道路の ホームページや ブログは 以前より多くなりましたが
この 有馬系統の水道路は 今のところ あまり 取り上げられていません

私の感で 発見したんだわよ~!」と かなり得意になっています

今日は 時間の関係で 予定の半分も歩けませんでしたが
予想通りだったので まずは 満足! 歩数は12,000歩

カメラを忘れたのは 失敗でした  携帯で撮りました 

もう一つの横須賀水道路

2013-11-22 | 横須賀水道路
神奈川県愛川町半原の 中津川を水源として 横須賀市まで続く 
横須賀水道路(海軍水道)は 旧海軍が 作ったものだそうです
横須賀市逸見(へみ)浄水場まで 送水するための水道管が埋設されています

工事は明治45年(1911年)に始まり 大正10年(1921年)には完成
半原取水口 半原沈殿地や 逸見浄水場は現存しているが
平成19年(2007年)4月より送水休止し 大部分は道路として利用されている


地図で見ると 神奈川県を 斜めに ほぼ一直線に貫く 水道路です
この水道路を 歩いて探検していましたが 病気になったこともあって
長らく 中断したままに なっています

今日 たまたま 相模大堰の辺りまで 富士山を見に行った時
こんな 橋が ありました   相模川を渡る 水管橋のようです



この橋の 左側が 海老名市社家です (右側は 厚木市)
社家にある取水口は 横須賀水道路の 有馬系統というらしいです




要するに横須賀水道路は 半原系統と 有馬系統の2つがあるということみたいです
海軍は 半原系統だけでは 足りなくて 急きょ 有馬系統をつくったらしいです

昭和14年 「突貫工事」により海老名市社家の 相模川から
有馬浄水場を経由して 田浦配水池まで送水する 有馬系統の工事が着手され
終戦の年 昭和20年に 完成したそうです


地図を見ると 有馬系統の水道路は 藤沢市葛原の辺りで
半原系統の水道路と 合流しているように見えます

社家から 葛原までの 水道路も 定規で線を引いたような 真っすぐな道です
私は 半原系統の 水道路しか 知りませんでしたが
この有馬系統も 横須賀水道路に 違いなさそうです

社家から葛原までは 地図で見ると 4kmほどみたいなので
近いうちに 歩いてみようと思います


しかし これだけでは 上の写真の 水管橋の説明がつきません


調べてみると 有馬系統は 現在も使われており 相模川の水だけでなく 
酒匂川水系の 伊勢原浄水場からも 送水していると書いてありますので 
もしかしたら この水管橋は 伊勢原浄水場から 続いているのかもしれません

水道管て 陸地では 地下に埋設されていて見えませんが
川を渡るときは 水管橋として 姿を現すんですよね


久しぶりに 横須賀水道路関連の施設に出会って 
もくもくと探求心が 盛り上がってきました
もう少し調べてみたいと思っています




  
コメント (2)

横須賀水道取水口確認

2012-05-12 | 横須賀水道路
長らく中断していた 横須賀水道路の探検
今日は 友達の協力を得て 念願の取水口確認が できました

とは言っても 現在は 取水していないので
周辺の手入れも行き届いてなくて 木々に 埋もれており
その近くへは 立ち入れないようになっていますし
対岸から 見ても 大変 確認しにくい 状況でした



地元の人に 聞きながら 探し当てましたが
だいたい 私の想像していた辺りに ありました



対岸から 撮った写真です
よく見えませんが 看板の下の辺りが 取水口でしょう



木の葉が落ちる 冬に来れば もう少し 良く見えるかもしれません
とにかく出発点(取水口)が 確認できたので 良かったです



ここから 少し 下った辺りに トンネルがあることは 分かっていましたが
一人では 恐いだろうと 想像していました





案の定 とても 一人では 通り抜けられなかったと 思います
車は通れませんが 徒歩なら 通れます
暗いですが 一応 電灯もついています

ここが 横須賀水道路だという 表示は 見当たりませんでした
近所の人に聞いて 確認しました

もう一つ 通れないトンネルが あるよと教えてもらい
更に進むと ありました 



ここも 表示は ありませんでした



取水口付近に行く前に 愛川町田代で 発見した標識





愛川町に行ったついでに 茶畑にも 行きました
ちょうど 茶摘み(機械ですが)の最中でした

↓これは 最新式の 機械だそうです 袋不要のタイプ



↓こちらは 刈り取った葉が 自動的に袋に入るタイプ







高い所にある 茶畑で 眺めがよく 気持ちの良い場所でした
今年は お茶が 放射能で 汚染されたりしていませんように!


今日は 友達が運転してくれたので だいぶ広範囲に動けました
ここら辺りは 一人では 心細かったので 助かりました

でも 車で走った部分が多いので 見落としがあると思います  
大筋は分かったので 折をみて 一人で 再訪します


最後に 最近知った 園芸農場に 寄りました





苗は いろいろ届いているのですが 見ると また欲しくなってしまい
いくつかの野菜苗と 義母への土産のお花を 買ってしまいました

最後に 友達の家で 食事をして 楽しい一日でした
苗を植えるのは 明日以降です

『豊かな水へのあゆみ』 横須賀市水道施設写真集

2012-04-27 | 横須賀水道路
『豊かな水へのあゆみ』 横須賀市水道施設写真集 
という書籍があることが分かりました

市立図書館には なかったので 他の図書館から 借りてもらいました
神奈川県立川崎図書館の 蔵書でした




半原の取水口の ハッキリした写真も 載っていました



この付近には 数回行っているのですが まだ発見できていません
友達が同行してくれるというので 近いうちに 行ってみるつもりです

この他にも いろいろ分かったことがあります
横須賀水道路の 未踏部分を なんとか踏破したいものです


明治・大正・昭和時代の写真が まとめてあって 貴重な資料です
こういう文化財の保存も 図書館の 大切な仕事だと思います



筍おこわを 蒸かしました



タケノコご飯は 2回作りましたが あまり上手くできなくて…不満足

3回目は おこわにしました     今度は成功!
私は おこわの方が 好きだな~


横須賀水道路(海老名~綾瀬②)

2011-10-22 | 横須賀水道路
東名を越えて 真っ直ぐの道の両側は 住宅や 畑

標識 

キャベツ畑 

大山が見える 

この辺りは まだ海老名市 

レタス畑 

おっ! 良い物発見  美味しい手作りハムを買いました

その名も すいどう道公園 

神奈川県 水道局 

ここら辺から 綾瀬市です

どんどん下っていきます 

目久尻川を渡る 

川を渡ると ちょっと上り 

竹やぶの中の 石柱 

なんだか 行き止まりっぽい? 

行き止まりじゃ ありませんでした 

保存の良い 石柱 

どんどん行くと 巨大な建造物  給水塔でした

綾瀬浄水場の正面です  

歩き始めて 2時間以上経ちました
そろそろ 帰りたいのですが 電車の駅からは 遠い場所です

バスで帰るしかなさそうです
地図には バス路線も出ているので 便利です

近くの 工業団地から バスに乗ることにしました 

 

さがみ野駅までのバスは 1時間に1本でした 

相鉄線 さがみ野駅までの 神奈中バス料金は 320円
でも かなちゃん手形を持ってるから 100円!

ここ 綾瀬市は 米軍厚木基地があるところです
基地に隣接して マッカーサーで有名な 厚木飛行場もあります

地図を見ながら バスに乗っていましたが
バスは 基地のすぐ近くを走りました

地図でも 広大な面積を占めていることが 分かります
厚木基地は 綾瀬市の行政面積の 18%弱を占めているそうです

騒音問題などもあり 綾瀬市は 困っているようです 



もう少し進めば 藤沢市に入りますが 疲れたので ここで終わり
次の機会には ここから 藤沢のいすゞ自動車工場辺りまで 歩くつもりです

久方ぶりの 長距離ウォークで 23,000歩を超えました
できるだけ 歩幅を広く歩くように 気をつけました
歩幅を広く歩くと 腰のあたりの筋肉まで 使われていることが実感できます




コメント (5)

横須賀水道路(海老名~綾瀬①)

2011-10-21 | 横須賀水道路
横須賀水道路を発見したのは 今年の2月でした

順不同に あちこち見て回りましたが
暑くなってからは お休みしていました

夏の最後は 6月でした

涼しくなったので 今日 再開しました

2月に歩いた 海老名からスタート 

↑の写真の 道路をはさんだ 反対側 

小田急線の下をくぐり 病院の敷地に入る 

病院を抜けて 整備された道 

ふりかえって病院を見る 

どんどん進む1本道 

緑道として散歩道になっている 

海老名消防署の裏辺り 

団地の脇を通る 

ここからは 最初に歩いた所 

海老名市のJA  緑はニラ畑 

Yの字(横須賀のY)の石柱も あちこちに 

道端の花 

海軍の「海」の字です 

水道路は 続く (振り返って) 

水道路の 両脇の木を切っている…
よく見ると トラックには 

ちゃんと保守管理しているんですね 

看板  

石柱 

カリフラワー畑の 石柱 

東名高速をまたぐ橋より  

東名をまたぐと 整備された水道路 

もう少し 歩きましたが 今日はこのへんで お休みなさい