ノリの東京の友人の生きる糧(福岡編)

日々のちょっとした楽しみや悲しみを徒然に語ります。

あれから3年 ~ 音信不通になってしまった友人 ~

2013年01月31日 | 日々の出来事

 今月は仕事が忙しくて毎日ヘトヘトになっていた事もあって、1ヶ月が過ぎるのが本当に速かったですね。あっと言う間に2月に突入する感じです。本当に時の流れは速いですね。

 さて、今でこそ『仕事が忙しい』とか『仕事でヘトヘト』とか愚痴めいた事を言っていますが、3年前の今頃(2010年1月)は失業中で再就職の目処も全くつかず雇用保険だけでは生活できないので、東京での生活を諦めて実家のある福岡へ帰る準備をしていました。約20年間の東京生活を終えて福岡に帰るのは、自分が落ち武者になったような感じで気分が沈んでいましたね。

 そんな感傷的になっていた私でしたが、そんな暗さは表に出さずに、友人や知人との別れの宴を繰り返していました。仲の良い人達が開いてくれた送別会は私の沈んだ気持ちを安らげ、「福岡で頑張るぞ~!!。」と言う想いにしてくれました(それにもかかわらず、僅か9カ月で私は再上京してしまいますが・・・)。

 そして、最後の送別会(2010年1月29日)は、私が2009年9月末にリストラされた会社の同僚だった友人との池袋での会食でした。

 その友人も会社(社長)に嫌気がさして転職を検討している最中だったので、私が失業生活で得た知識や、お互いの今後の転職活動についてファミレスで2~3時間語り合いました。そして、最後の別れの挨拶をする前に、彼の奥さんが選んでくれた赤いネクタイと、娘さんが私宛に書いてくれた手紙を手渡されました(頂いたネクタイは職業訓練学校の面接と今の会社の面接にしめて行きました。両方とも合格したので、そのネクタイは私のラッキーアイテムになっています)。

 その後、私は引っ越しの荷物が全て運び出されたガラ~ンとした両国の家に戻って、ミッキーとミニーマウスのプリントされた可愛い封筒に入った娘さんからの手紙を読みました。手紙は小学校低学年の女の子らしく、「お母さんの作る餃子が美味しいので、今度東京に来た時は家に遊びに来て食べて下さい。」と言うような事が書かれていました。この手紙を読みながら、たった1人の部屋で微笑んだのを今でも覚えています。

 そして、その娘さんの手紙の入った封筒には、奥さんが書いた手紙も入っていました。便箋2枚に書かれていたのは、

 ・ご主人(彼)の20年以上の会社勤めで、自宅にまで遊びに行ったのは私の家が初めて。
 ・ご主人(彼)は私に心を許し信頼を寄せていた。
 ・今回の私の福岡への帰省は残念でならない。
 ・ご主人(彼)が家でいつも私の話をするので娘さんがファンになった。
 ・今後とも末永くお付き合い下さい。上京される時には是非遊びに来て下さい。

等の、話半分だとしても読んだ私が恥ずかしくて赤面するような内容ばかりでした。思わず、「奥さん、私を買いかぶり過ぎですよ。私はただのマヌーで変な男ですよ。」と苦笑いしつつも嬉しく思ったのも今でも覚えています。友人の奥さんからこんな手紙をもらった事なんてなかったですからね。この奥さんと娘さんの手紙を読んで私は、「いつまでも彼と友人でいよう。上京した時には遊びに行こう。」と思って故郷の福岡に帰りました。

 そんな印象的な別れをした友人なのですが、私が福岡に帰って3日目(2010年2月2日)に彼から送られてきた「転職が決まりました。」と言うメールを最後に、彼との音信は完全に途切れてしまいました。

 私がメールしても返信はないですし、電話しても出ませんし、彼の転職先の会社に電話して「折り返し電話を下さい。」と伝言を残しても連絡はありません。埼玉に転居した挨拶状や年賀状を出しても返事はきません。この3年間、思い出した時に連絡したのですが、完全に私との接触を拒絶している感じです。友人にこんな態度をとられるのは初めてです。笑顔で握手をして別れただけに、拒絶される理由が全く思い浮かばないので残念至極です。

 そんな状況なので、彼の転職先にいる共通の知人(私と彼の元同僚)にも電話やメールを何度も入れているのですが、こちらも完全に拒絶されていました。しかし、去年の10月頃に電話をしたところ、その知人が電話に出ました。電話に出て私の名前を聞いた途端に、「しまった。電話に出ちゃったよ。」と言う嫌な感じの対応をされましたけどね。なんだか訳ありのようです。

 その知人の話だと、音信不通になっている友人は元気に仕事をしているみたいで、奥さんも娘さんも変わりはないようです。これを聞いて私はホッとしました。他人の口からとはいえ無事が確認できたのでよかったです。

 その後、早く電話を切りたがっている雰囲気が電話ごしに漂ってくる知人に、「私は今は埼玉で仕事をしている。保険や宗教の勧誘や借金のお願いで電話をしている訳ではないので、友人に私に電話するように伝えてくれ。」とだけ言って電話を切りました。これが2010年の2月からの約3年間で、唯一、彼と彼の家族の情報を得た機会でした。


 その後、彼からの連絡は今日までありません。
 私は「3年待って連絡がなかったら、彼との関係は諦めよう。」と以前から決心していたので、彼に私から連絡する事はもうないと思います。彼の家に遊びに行って、奥さんの作った餃子を食べながら娘さんと話をする、と言う夢が叶わないのは残念ですね。

 以上、一方的な音信不通になってしまった私の友人の話でした。
 彼が私を拒絶する理由は今でも思いつかないのですが、私が気が付いていないだけで、何か嫌な想いをさせてしまったのかもしれませんね。その真相が知りたいと言う気持ちもありますが、それも叶わぬ夢ですね。人間関係っていくつになっても難しいですね。

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4 コメント

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私も。 (ママ)
2013-01-31 15:34:57
私も悲しいかな、そういう経験があります。専門学校時代の友達ですが、5年ほど前まである劇団のチケットを手配するつてがあり、その人の為に数回手配しました。 しかし、状況がかわり出来なくなったんです。その後、用事で電話をかけても、留守ばかりで、ご主人が出ても留守。
折り返しの電話も結局今もありません。私も諦めましたね。
又、年賀状をくれる友達ですが、仮に、Aとして、友達だと思ってよく電話をして話していたんです。所がある日、B子と電話で話していると、~A子が、ママからの電話が長い、と言っていた~と言われて絶対電話はしない!!と決めました。相変わらず、年賀状は来るし、そこには、~又、電話して~って書いてあるけど、私は社交辞令なんて書かなくてもいいのに、と思いました。
今年は、来た人にしかかかなかったんですが、A子からのはがきには何もコメントは書かず、返信しました。
これも、自分から諦めた話です。私ってきつい、?おかしいですか。
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ママさんへ (ノリの東京の友人)
2013-01-31 19:34:39
 いつもコメントありがとうございます。
 前回のコメントもそうですが、ママさんのコメントの行間には怒りや不満が隠れているような気がします(笑)。私の書く記事がママさんの数々の怒りの記憶を甦らせているとしたら申し訳ないですね。

 最後のご質問の件ですが、お会いもしたことのない方(しかも女性)の性格に踏み込むような意見を、本ブログのような場所で述べるような事は私にはできませんし、するべきではない、と私は思っております。その旨、ご了承下さい。私は趣味に生きるただの普通の初老の親父です。尊師ではありませんよ(笑)。
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時間の流れ (整体師君)
2013-01-31 19:59:13
音信不通になり、その後拒絶されてしまうなんてなんだか切ないですね(>_<)
私も経験あります。

ただ、時間の隙間に先方の環境変化や、なんらかの出来事が重なる原因があったのだと感じます。良い思いでを感謝にかえる事で、きっと切ない思いを浄化できる事も一つ。

きっと思いが伝わりいつかまた一緒に語れる時がくると信じて生きる。
それが最高の幸せですね^ ^
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整体師君さんへ (ノリの東京の友人)
2013-02-01 06:45:39
 整体師君さんの言われる通り私の率直な気持ちは「切ない」の一言です。怒りの気持ちは全くないです。

 彼の拒絶の真相が「転職してから数年間は昔の知り合いにも連絡しないでひたすら頑張るぞ!!。自分で納得できたら連絡しよう!!。」と言う感じの決心だといいんですけどね・・・(それにしては3年は長すぎますね)。
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