いのち・未来 うべ

わたしたちは、原発のない安全な未来を
子どもたちに残すことを願って活動しています

『祝の島』上映会での代表挨拶)「子どもたちに安全な未来を残すために、責任を持って意思表明を」

2014年02月02日 | 活動の報告

昨日、2月1日 宇部市シルバーふれあいセンターで『祝の島』上映会は、300人近い人が会場を埋めて、盛況のうちに終了しました。

参加されたみなさん、後援や宣伝にご協力いただいたみなさんに感謝します。

また、当日は、スタッフとして多くの若者が参加して物販などを担当してくれました。どうもありがとうございました。

 

                  祝島の物販など映画会終了後もロビーは、賑わった。

 

 

いのち・未来うべも会として、「『祝の島』を観る会うべ」に参加して上映会成功を支えてきました。

祝島のみなさんに、これ以上の負担をかけさせてはいけない、そのためには、まず祝島のことを、そこで暮らす人々のことを知ってほしい、という思いからです。

 

上映会の成功から、3・8上関原発を建てさせない全県民集会への参加を、宇部市民のみなさんによびかけたいと思います。

毎週、月曜日午後6時半から、シルバーふれあいセンターで山陽小野田・宇部実行委員会を開いています。

是非、ご参加ください。

 

私たちの思いを共有する意味で、『祝の島』を観る会うべ・代表の堀田雅子さんの主催者挨拶を掲載します。

「子ども達に安全な未来を残すために、責任を持って意思を表明しようではありませんか。」という訴えに、会場いっぱいの拍手のあったことを追記しておきます。

拡散していただければ、幸いです。


 

          「祝の島」上映にあたって

                  『祝の島』を観る会うべ・代表 堀田雅子


本日は「祝の島上映会」にご来場いただきましてありがとうございます。
私たちは日常生活のルーティーンをほんの少し変えるだけでもエネルギーが要ると感じるものですが、皆様がたはこうしてエネルギーを出して今日この会場に来てくださいました。本当にありがとうございます。

3.11以後、私はこの国では、私たちがエネルギーを出して防ぐ努力をしなければ、ごくささやかな日常生活さえ、簡単に壊されてしまうという危機感を感じています。

そう考えますと、30年の長きに渡って、上関原発建設を阻止して来られた祝島の方がたに感謝せずにはいられません。

来る3月8日には「上関原発を建てさせない山口県民大集会」が開かれようとしています。山口県下の多くの人々の努力で、各地に実行委員会ができ、ネットワークを結んでひとつに力を結集して、この大集会を成功させようとしています。これは実に画期的なことです。

会場の皆様、今こそ私たちのエネルギーを結集させるときです。
子ども達に安全な未来を残すために、責任を持って意思を表明しようではありませんか。

この映画は、祝島の人々が何を大切にして生きていらっしゃるのかを教えてくれます。それと同時に、私たち自身の生き方を考えるチャンスを与えてくれることでしょう。


 

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白松さんの報告(資料) 「私の想い」

2014年02月02日 | 活動の報告

1月31日(金)の金曜市民発表会は、15名の参加で、ヒストリア宇部で開かれました。

冒頭、白松さんから「私の想い」というペーパーが配布され、その後、パワーポイントを使った「あったか村の取り組み」を中心に阿武町の地域起こしの報告がありました。

同行した、あったか村の嶺井さんからは、次を担う若い世代として、森林資源を使ったエネルギーのあり方、木炭やバイオマス、ロケットストーブ、太陽光発電などの研究工夫、販売も行って行きたいという発言がありました。

また、阿武町に福島県から避難移住された浅野さんご夫妻も参加され、「原発に頼らなくてもやっていける地域」「安心安全な拠点としての山口県への期待」を語られました。

参加者から、「阿武町議会に当選されて活動が広がりましたか?」という質問がありました。

「一町民として30年間、あったか村で10年間、自分なりに続けてきた活動が町民に認められ、信頼されてきたことを感じる。ものをいい、行動する議員は地域にもっと必要なのではないか、と思う。」と白松さんは回答していました。

 

 

 

 

 

 

資料として、白松さんの「私の想い」を掲載します。

 

 

                 私の想い               

                                             阿武町 白松博之

 

阿武町は萩市の真ん中に位置しながらも、平成の大合併では合併をしないことを選択した町です。

当時は色々なところから「大丈夫なのか、このままではやっていけないじゃろう。」とか「いずれ頭を下げて来るに違いない。」など取りざたされていましたが、むしろ私達はある種の決意のようなものが生まれ「まさか合併をしないからといって、戦車で攻めても来んじゃろう。」と冗談を言い合っていました。

問題はここからです。

何より阿武町住民が変わったのは、合併をしないことを選択したからには、自分たちが地域を支えなければ、誰が守る、と言う機運が高まり始めたことです。

確かにこれまで阿武町を引っ張ってきたリーダーの堅実運営で、将来負担比率はゼロ、公債比率もトップクラスという恵まれた環境もありました。

今、私達に必要なのは何か、それは「自らの地域は自らが考え行動という世論作り」だと思います。

 

現在多くの市町村で、都会からのUJIターン政策が取られていますが、4000人を切った阿武町でも、色々な取り組みを提案したり、平成18年から始まった空き家バンク制度で、150名を越す方達が、何か面白いことが出来るのではと移住してきました。

その中で、私達が移住者に働きかけているのは、都会で培った知恵や技術をこの町で活用させてくださいと呼びかけていることです。

まさに地域に貢献する喜びを感じてもらうことです。

 

これからは単なる移住の働きかけではなく、移住者が行きたい場所を選ぶように、私達も「まち作りに参加をしてくれる人、知恵を出し合える人を移住させる。」というように、私達受け入れ側も選ぶ時代だと思います。

そして「自分を必要とされている地域」だと感じていただけるような魅力ある地域にするのは、そこに住む者の責務だと思っています。

 

エネルギーについて

私にとって一番不思議でならないのは今のエネルギー政策です。

結論から言いますと、日本の山は世界でも例を見ないほど、戦後の裸山を植林し、素晴らしい蓄材積を誇る森林に育ててきました。しかし海外からの化石燃料にこれだけ依存しながらも、一方日本の森林は、エネルギーとしてはほとんど活用されず、手入れをされない山では木材が朽ち果てています。

また水力発電に恵まれた地形や川があるにもかかわらず、水力も活用されていないことです。

今の水力発電は、渇水期の水量に合わせて作られていて、大半の水は利用されることなく捨てられています。

もっと2段階、3段階の水量に合わせた発電機の設置があっても良いのではないでしょうか。

また、最近は小さな流れでも発電出来る小水力発電装置が開発されているものの、風力やソーラーパネルほどの取り組みはされていません。

そこにはやっかいな水利権の問題がありますが、水力発電はこれらの発電より遙かに良質で安定した電力が供給でき、色々なところで設置ができるのではないでしょうか。

 

かつて子供の頃、大なり小なり農村は自給自足でした。

山の手入れで出てくる薪は、農林家とって農閑期の大きな収入源でした。当時としては、貧乏から抜け出すために田舎を卑下し都会にあこがれ、多くの仲間が田舎を離れました。

今、改めて里山を振り返ってみると、里山にしか再生可能な資源はありません。

それらに取り組めば地域で雇用が生まれます。

皆さんと知恵を出し合いながら、ぜひとも原子力に頼るのではなく、再生可能な森林資源を活用したバイオマスエネルギーや、河川の活用による水力発電の普及に取り組みたいと思います。




 

 

 

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