会員の岡本正彰さんから祝島ツアーの報告が寄せられましたので掲載します。
那須さんと行く祝島ツアー体験記 (1)
岡本 正彰
11月18~19日、児童文学作家・上関原発を建てさせない山口県民連絡会共同代表の那須正幹さんと下関、宇部の仲間と4名で、祝島へ行った。私は昨年の9月以来、2度目の訪問だった。
室津からの船は快適だったが、四代を過ぎ田ノ浦現地を窓から見ようとした頃から揺れが強くなり、激しくダイビングした。それが続いたので他の観光客のみなさんも声をあげて怖がっていたが、那須さんは「これくらいの揺れじゃ、沈まんよ」というような顔をされていたので、私も安心した。祝島へ着いたら強風が吹いていて、船が大揺れしたことにうなずけた。
夜6時半から那須さんの講演会があり、祝島の人たちが多く参加された。那須さんはご自身のベストセラー「ズッコケ三人組」を紹介されながら、脱原発運動に関わるようになり、上関原発を建てさせない山口県民連絡会の共同代表をされるようになった経緯などを話された。
那須さんは広島で被爆されたので原爆と戦争反対、憲法9条を守る活動はされてはおられたが、東日本大震災の福島原発事故が起こるまでは原発反対運動に力を注がれる程は関わられていなかったそうだ。福島原発事故が起こったあと福島へ講演に行かれた際、女子中学生が、「私は原発事故後も福島で暮らしているので将来どのくらいまで生きられるのか、結婚して子どもが産めるのか不安でしたが、那須さんは被爆されているのにこのお歳まで元気に生きられ御活躍されていることを知り、私は希望が出てきました」と話してくれたことを聞き、原発は若い人の身だけでなく心もむしばむのだと思い、それから脱原発運動に積極的に関わるようになり、上関原発を建てさせない山口県民連絡会共同代表も引き受けるようになったと言われた。
ズッコケ三人組シリーズの中に、瀬戸内海のある島が原発事故に遭い島に住む人達が穴を掘り地下に住むことが描かれており、それは原発事故いや原発そのものへの警鐘だと思った。那須さんは、原爆と原発は同じだと言われた。だから、原爆反対と原発反対を別個に考えるのではなく、脱核という観点で脱原爆、脱原発の運動をできるだけ一緒にしていく。そして、原爆を道具にしている戦争をなくす、戦争をしない国になることが大事であると言われ、戦争を放棄している憲法9条を守り続けていく必要があると言われた。
講演のあとはKさん宅で夕食、今や祝島の地ビールだと言っても過言ではないハートランドビールで乾杯し、レモン鍋をいただいた。お隣の島周防大島はみかん鍋が有名だが、レモン鍋は聞くのも初めてだ。いただく前からレモンの良い香りがし、肉や野菜があっさりと美味しくいただけた。
そのあと原康二さん率いる瀬戸内カヤック横断隊のみなさんと合流し、飲みながら談笑した。瀬戸内カヤック横断隊は翌19日の朝に祝島から5日行程でカヤックに乗り淡路島を目指される。夜が深まり風は夕方よりも強くなっているが、明日朝は瀬戸内カヤック横断隊が出発できるよう穏やかな波であることを祈るが・・・(つづく)