六畳の神殿

私の神さまは様々な姿をしています。他者の善意、自分の良心、自然、文化、季節、社会・・それらへの祈りの記。

高尾山の親子

2008年12月08日 | 心や命のこと
 11月の下旬、会社の仲間4人で高尾山に遊びに行った時のこと。

 私たちが下山がてらお昼を食べようと一丁目茶屋に入った時には、時計の針は午後1時をだいぶ過ぎていた。その時間でもお店は満席に近く、狭い入り口には順番待ちの列ができたり消えたりしていた。

 私たちが食事を終えて店を出ようとした時のことだ。
 別のテーブルが空き、店員が、入り口にたまっていた客に「あちらのテーブルへどうぞ~」と声をかけ、2,3人のグループが店の奥へと歩を進めた。
 と、その直後に立っていた小学校の低学年くらいの男の子が、前の客の動きにつられて、ぱたぱたっと店の奥へ歩き出そうとした。すると母親がやおらその子の腕をつかんで引き戻し、周囲にもハッキリ聞こえる大声で言った。

 「行っちゃダメ!まだ順番じゃないの、バカ!」

 ・・バ、バカ?
 (その子、前の客につられちゃっただけじゃん。「バカ」まで言うか、わが子に?

 しかし彼女は、子の腕を掴んだまま怒気を含んだ口調でさらに言いつのった。
 「前の人が席について、次どうぞって言われたら座るの!・・っタク、こんなこともわからないなんて、本っ当に頭が悪いんだから

 言われた男の子は、聞こえなかったふりなのか視線をおよがせ、曖昧な笑いを浮かべたまま、大人しく佇んでいる。
 その表情と行動からは、発達障害は伺われない。
 そして、母親からつねに「バカ」「頭が悪い」と言われ続けているらしいことが一目で見て取れた。

 空腹なのかよっぽど不快なことがあったのか、子に罵声を浴びせたあとも母親の怒りオーラは収まる気配が無い。
 私はそれ以上聞くに堪えなくて(店内も混雑していたし)トレッキングシューズの靴ヒモも結ばないまま、店の外に出てしまった。

 店の外で靴ヒモを結び直しながら、同行のHちゃんに思わず言ってしまった。「・・さっきの子さぁ、5年後には母親を殴るね」

 前後の文脈がみえなくて、Hちゃんはきょとんとしている。私は自己嫌悪におそわれた。分かっているなら、私が一言いうべきは、Hちゃんにじゃなくてあの母親に、だろうに。

 無自覚な親の言動で自尊心を殺され続けた子が、小学校高学年あたりから親に対して牙をむく。身体も大きくなり、性ホルモンも影響しだす息子の荒れに直面して、困惑し、恐怖を感じ、孤軍奮闘を始める母親、焦りだして腕力に訴える、あるいは逃げに転ずる父親。
 その苦悩は、各ご家庭の「自業自得」であり、必要な試練だと、言ってしまえばそれまでだけど。
 その暴発が家庭内はもちろん、秋葉事件のような形で噴出して、社会を震撼させるとしたら・・?

 カラクリを知っている者が、ほんのちょっとだけでも、届かなくても、何かヒントになるきっかけの言葉を差し出してあげるべきではなかっただろうか、バカな母親のためでなく、あのやさしげな微笑の男の子の魂のために。

 「ちょっと間違えちゃっただけだよねぇ。大人しく待って、えらいねぇ」とか。
 「お母さん、そこまでおっしゃらなくても。いいお子さんじゃないですか」とか。

 母親の怒りオーラの激しさにたじろいで目をそらしてしまった自分の気弱さが、残念でならなかった。
 もし私に少し勇気があったら、あるいは良い意味での図太さがあったら、5年後の拳は母親には向かないかもしれないのに。

 いや、いっぺん殴られて目を覚ませ、とも思うけどね、あの母親は・・しかし、私をはじめ、誰もの心に芽生えるそういう冷淡さ薄情さが、めぐりめぐって、つもりつもって、今日の、説明のつかない事件の多発を招いているとは言えないだろうか。

 法にふれなければ何をやってもいいという冷淡。
 人の心は金で買えると考える浅はか。
 自己責任と目をそらす薄情。

 闇の魔物は、私たちひとりひとりの心の冥がりに棲んでいる。

 それとどう闘えば良いかを、実はまっさんがちゃーんと歌ってくれてたりする

 そう!「建具屋カトーの決心」 あれですよ。

 すでに答えを知ってる、やっぱりさだまさしは凄い・・という結論に至るのでした、チャンチャン
 


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