風になりたい

自作の小説とエッセイをアップしています。テーマは「個人」としてどう生きるか。純文学風の作品が好みです。

『ベトナムの風 父の風』 第六話 『ずっとそばにいたかった』

2015年08月14日 07時15分15秒 | 純文学小説『ベトナムの風 父の風』

 ずっとそばにいたかった


 今でも、リリィと話した時の風の匂いや太陽の陽射しや、日傘のなかで陰になった彼女の横顔が心に焼き付いている。顔が薄暗く見えるぶんだけ活きいきとした瞳の輝きがいっそう際立った。リリィの存在はなんともいえないぬくもりを放っていた。とても素朴で、たとえば囲炉裏で燃やした薪に手をかざしたような、よぶんなものがなにもない温かさだった。
 考えてみれば、父さんが自分のことを語るためにリリィを僕のもとへ送ってくれたような気がしないでもない。もちろん、リリィの人生は彼女が主人公なのだから、彼女は自分の想いになにかのまとまりをつけるために父さんの墓参りをしたのだろう。彼女は自分自身のためにわざわざ遠いところからやってきた。それでも、僕は父さんの計らいを感ぜずにはいられない。あの時リリィが語ってくれたことが心のなかでだんだん大きくなり、時にはそれにあこがれたり、時には反発を感じて否定しようとしてみたり、ずいぶんとまがりくねった遠い回り道をしたものの、結局のところ、僕は父さんの足跡をたどるようにして今の職業を選ぶことになったのだから。リリィとの出会いが今の僕の人生の出発点になったといえなくはない。
「それからどんなことをしたの?」
 僕はリリィに訊いた。
「ふたりであちらこちらをまわって撮影を続けたわ。そのうちわたしも、たまにだけど外国の通信社に写真を買い取ってもらえるようになった。ツヨシはどんなときでも、目に映るものをどんなふうに撮影したらいいんだろうって写真のことをずっと考えていたから、わたしもいつしかそんなツヨシの癖がうつって写真のことばかり考えるようになったわ。カメラマンってそうあるべきなのよね。いつも心をファインダーにしておかなくっちゃいけないのよ。撮影に出かけたときは、いっしょに目にしたものについてどんなふうに考えればいいのか、どうやって写真にすればいいのか、そんなことをずっと話し合ったわ。
 アメリカ軍が撤退して、それからすこし時間をおいて北ベトナム軍がサイゴンを目指して進軍を開始して、とうとうサイゴンが囲まれてしまったわ。アメリカ大使館から次々とヘリコプターが飛び立ってアメリカ人や南ベトナム政府の要人たちを運んでいった。ヘリコプターの姿をカメラに収めながらわたしは不思議でしかたなかった。アメリカ人が逃げるのはわかるのよ。だって、自分の国じゃないもの。だけど、どうして南ベトナムの人間まで逃げなくっちゃいけないのか理解できなかった。サイゴンに残ってサイゴンの人々を守るのが当然でしょ。つまるところ、戦争の正義を叫んでいた人たちは自分の都合でそう言っていただけなのね。なんにも考えていなかったのよ。いつかトンネルのなかでツヨシが正義は巨大な悪だっていったことがよくわかったわ。わたしの家族も村の人たちも、そんなつまらない人たちのために殺されてしまったのね。怒りが湧くというよりも、なんだか気が抜けてしまったわ。
 サイゴンが陥落したときは街もすこし混乱して危なかったけど、ツヨシは戦争が終わってからもベトナムの姿を撮り続けた。社会主義になってから外国人へのビザ発給が厳しくなったけど、クチトンネルでインタビューした将軍がツヨシをかわいがって面倒を看てくれたからビザも取りやすかった。将軍の紹介状を窓口に渡せばいつでもすぐにビザを出してくれて、延長するにしてもけっこう融通が利いた。将軍のおかげでツヨシはいつでもベトナムにいられたわ。
 ツヨシは平和になって復興してゆく街や農村を撮影した。銃声や爆撃の音が響かないのは、ほんとうにいいものね。人々の顔が明るくなって活気が出てきたわ。もちろん、戦争が終わればそれですべてがよくなるわけじゃなくて、アメリカ軍がジャングルに撒き散らした枯葉剤の後遺症だとかいろんな爪あとが残っていたから、それも取材したわよ。戦争の間はずっとベトナムの南側ばかりをまわっていたけど、北へも行くようになったわ。ハノイで水上人形劇をみたり、ハロン湾へ行ったりして楽しかった。
 ハロン湾はハノイからすこし離れたところにある観光名所なの。海のなかから垂直に切り立った大きな岩山がにょきにょき伸びていて、山水画をそのまま海のなかへ持ってきたようなとても不思議な風景をしているわ。将軍が宿と舟の手配をしてくれて、わたしたちは撮影に出かけたの。
 簡単な帆が一枚ついただけの小さなジャンク船に乗って、奇岩が立ちならぶ湾をなんども回った。一日目はあいにくガスが出ていて天候が悪かったんだけど、かえってそれがよかったの。岩山が霧に煙ってこの世のものとは思えないような神秘さだった。海の仙人でも出てきそうな感じだったわ。二日目は快晴よ。二日目もジャンク船に乗って湾のなかをうろうろしながら写真を撮ったわ。岩山のあいだに落ちてゆく夕陽がきれいだった。
 夕食をすませてから、夜のハロン湾をクルーズした。波の音以外はなにも聞こえないの。満天の星が漆黒の夜空をうめつくして、白く輝く三日月が空にかかっていた。わたしはツヨシの肩に頬をつけて、波間に漂った。言葉なんてなんにもいらないの。ツヨシのそばにいるだけでわたしは満たされた。わたしの悲しみは決して消えないけど、ツヨシがいてくれたから生きぬくことができたわ。わたしは感謝の気持ちでいっぱいだった。星屑に触れてみたくなって思わず手を伸ばしちゃった。このまま月も星も動きをとめて、時間もとまってくれたらいいのにって思った。
 いろんなところへ行けるようになって撮影の幅もぐっと広がったし、ベトナムが元気になる姿を目の当たりにして、ツヨシもよろこんでいた。でも、それも長くは続かなかった――」
 リリィはふっくらとした唇をそっと嚙んだ。
「父さんが死んでしまったんだね」
「あの日、わたしたちはホテルの喫茶室で待ち合わせをしていたの。社会主義になってから外国人向けのカフェがなくなってしまったから、いつもそこで待ち合わせしたわ。外国人専用のホテルだからつくりは立派よ。窓辺からきれいな庭園が見渡せてとても心地良いの。青々とした芝は清潔に刈り込んであるし、色とりどりの亜熱帯の花がいつでも咲いているのよ。かわいらしい白い天使の彫刻の噴水があって、涼しそうに水を打ち上げていたわ。
 ツヨシに会うのは二か月ぶりだった。ツヨシはアメリカへ渡って友だちを訪ねたり、ベトナム帰還兵の取材をしたり、それから日本へ帰って雑誌の打ち合わせをしたり写真の売り込みにまわったりでずっとサイゴンを留守にしてたの。ひさしぶりに会えるって思ったらどきどきしちゃった。時間をかけて髪をブラッシングして、よそゆきのきれいな服をきて、髪に赤いリボンをかけて――ツヨシをよろこばせてあげられるような上手な化粧はできなかったけど、あの人が帰ってくるんだって胸のなかはときめきでいっぱいだった。わたしは一日過ぎるごとにカレンダーに印をつけて、ツヨシの帰りを指折り数えていたのよ。
 時間になってもツヨシはこなかったけど、そのうちきてくれるって思っていたからわたしは平気だった。いつかツヨシがお土産にくれた日本の写真雑誌を眺めながら好きな人を待つ時間を味わった。待っている間は時間がゆっくり流れて、あこがれだけが胸のなかでじわじわにじむのよね。わたしはベトナムコーヒーのおかわりを頼んだ。ベトナムのコーヒーはステンレスのカップフィルターのなかに挽いた豆を入れて、そのフィルターをカップのうえにつけてお湯を注ぐの。フィルターには小さな穴がいつくもあいていて、ぽたぽたとコーヒーの滴が落ちて下のカップにコーヒーが溜まる仕掛けになっているのよ。時間が満ちるのを待つようにして、コーヒーができあがるのを待ったわ。
 突然、風が吹き抜けてカーテンが踊った。カーテンがカップを蹴飛ばして、カップが床に落ちて割れてしまった。ふと、かなしい予感がしたわ。ツヨシがわたしを呼んだような気がして振り向いたら、友だちが喫茶室に駆け込んできてツヨシが大変だって叫ぶの。
 横丁の入口に警察の車がとまって青いサイレンを回していたわ。横丁のなかは風が通らなくて蒸し暑かった。植民地時代に建てられたフランス風の古いアパルトマンの入口に三四歳くらいの小さな子供が三人ほど立って、道のまんなかにかけた筵をじっと見つめてた。筵のそばには材木や砂がちらかっていた。
 警官が筵がめくってわたしに身元確認を求めたわ。ツヨシだった。お腹を刺されて、流れ出した血が固まっていた。いくら呼びかけてもツヨシは答えてくれなかった。目はかっと見開いたままだけど、ツヨシの瞳は光を失ってもうどこも見ていないの」
「父さんの最期はそんなふうだったんだ」
 僕はしんみりした。リリィが語ってくれたベトナムの裏路地の風景を想像してみた。
「スコールが当たりいちめんに降り注いだ。雷も鳴ったわ。わたしはぼおっとしてしまって、涙も出てこなかった。地面にへたりこんでツヨシの亡骸(なきがら)を抱きしめた。ツヨシをひとりにしたくなかったから。ほんとうは、ひとりになったのはわたしだったんだけどね。
 すぐに犯人が捕まったわ。自転車で狂ったように街中を駆けているのを警察が見つけて、転んだところを取り押さえたそうよ。ツヨシは強盗に襲われたの。ツヨシが財布に入れていたお金は日本人にしてみればたいしたことのない額かもしれないけど、ベトナム人にとってみれば何年分かの給料になるくらいの大金だものね。それに、西側の外国人のパスポートは高く売れるわ。
 ツヨシの家族はビザの取得に時間がかかってすぐにこられないから、サイゴンでツヨシの遺体を焼くことになった。将軍がいろいろ手配してくれて、スムーズにお葬式をあげることができたわ。しばらくしてツヨシの奥さんとおとうさん――あなたのおかあさんとおじいさんがきたの。わたしはそのとき、ふたりを案内してツヨシの遺灰と遺品を渡したわ」
「リリィが父さんの最後の面倒を見てくれたんだね。ありがとう」
「当然よ。ツヨシはずっとわたしを守って導いてくれたんだもの。
 ずっとそばにいたかった。ツヨシに出逢ったのが十六歳のときで、それからずっといっしょだったわ。ツヨシはいつもお父さんになったり、お兄さんになったりしてくれた。わたしの青春そのものなのよ。ツヨシが笑うときって少年みたいな口許をするの。わたしはそれが好きだった。
 こころをどこかへ落としてしまったみたいで虚ろな気分が続いたわ。ふるさとには誰もいないし、サイゴンにもあの人がいない。その頃、不思議な夢を毎晩見たの。ツヨシが夢に現れて『自由に生きなさい』って何度もいうのよ。ふつう、夢って頼りないようなおぼつかないようなあやふやな感じがするじゃない。でもその夢はなんだか現実にツヨシと会って話をしているみたいで、夢じゃないようなリアリティがあったの。
 わたしは将軍に会いに行った。将軍もさみしそうにしていたわ。外国人と仲良くなることができるとは思わなかったし、仲良くなったのはツヨシひとりだけだって。それで、夢のことを話してみたの。将軍はわたしの話を聞いたあと、じっと考えこんでこう言ったわ。
『夢に現れたのはツヨシの霊魂にちがいない。写真家として自由に活動できるところへ行きなさいといっているのだと思う。今のベトナムは社会主義になってよくなった。とはいえ、あなたたちのような芸術家にとってはなにかと窮屈なところが多いかもしれない。ツヨシは、リリィがもっと自由に生きて、才能を伸ばして人生を輝かせてほしいと願っているのだろう。ただ、あなたが自由世界へ行く手伝いはさすがにできない。軍報道部の写真撮影の仕事でよかったら世話しよう。好きなだけカメラを手にすることができる』
 わたしは将軍の解釈におどろいた。だって外国へ行くだなんて考えたこともなかったもの。でも、将軍のお世話になったほうがいいのかどうかも決めかねたから、考える時間をくださいといって将軍の事務所を出たわ。将軍もあなたの人生なのだから好きなようにしなさいといって送り出してくれた。
 結局、ツヨシが亡くなってから二か月後、わたしはボートに乗ってベトナムを脱出した。どうせひとりぼっちなのだから、思い切って別の世界へ行ってみようと思ったの。あのままサイゴンに居る気にはなれなかった。これからどうして生きていこうかって考えて、わたしはやっぱり写真を撮り続けたかった。それがわたしを救ってくれたツヨシへの供養になるとも思ったのよ。写真を撮り続けたかったら自由な国へ行くのがいちばんよ。
 ボート生活は苦しかった。海があんなにぎらぎらして暑くてのどの渇くものだとは思わなかった。ツヨシとハロン湾をクルーズしたときにはやさしく感じた海が、とても怖かった。ボートに揺られながらわたしはそれまでの人生を振り返って考え事ばかりしたわ。どうしてひどいことばかり起きるんだろうって考えたら悲しくなっちゃった。ツヨシといっしょにいたときに感じてた前向きな気持ちがすっかりなくなってしまって、どうにでもなれってやけっぱちなふうにも思ったりした。ふと気づいたら海に引きこまれそうになっている自分がいて、あわててボートにしがみついたりもしたわ。なにを思ったのか、無意識のうちに海へ飛びこもうとしていたのよ。
 厚く垂れ込めた雲がかすかに赤く染まって、闇がやってきた。星ひとつない真っ暗な夜の海だった。ボートのふちにへばりついた夜光虫だけがあたりを弱く照らしていた。荒い波の音がわたしの胸を残酷に切り刻むから、このままこの闇のなかで死んでしまうのかなって思ったわ。丸一日、揺られ続けて疲れ果てていたし、潮まみれになって息が苦しかった。これでツヨシのもとへ行けるのなら、それでもいいかなって、むしろ、こんなつらいことは終わりにして、なにもかもおしまいにしてツヨシのもとへ行きたいって弱気になったわ。
 ふと雲が切れて白い月が顔をのぞかせた。月はわたしを照らした。ツヨシが心配して見にきてくれたんだってわかった。月の光に抱かれているとなんとなくやさしい気分になれて、このまま漂っていけばいいんだって素直に思えた。その先になにが待っているのかはわからないけど、いつでもツヨシが見守ってくれているからどんなことがあっても大丈夫だって、まるでツヨシといっしょにいたときみたいにやすらいだ気分になれた。もうツヨシに甘えてはしゃいでいたわたしのままではいられないけど、生きて写真を撮って、自分が生きた証しを残さなくっちゃいけないのよ。わたし自身のためにも、ツヨシのためにも。わたしはツヨシが死んでしまってからはじめてぐっすり眠ったわ。村が焼かれた光景も、ツヨシの死んだ姿も夢には出てこなかった。
 翌日、運よく貨物船にひろってもらえて、そのままタイの難民キャンプへ送られたわ。難民キャンプにはわたしと同じようにボートに乗ってベトナムを脱出した人たちが大勢いた。しばらくして難民の認定がおりて、わたしはアメリカへ渡ったの」
 それから、僕はアメリカの様子やリリィの暮らしぶりを訊いた。だけど、いまはなにを話したのか覚えていない。ただ、
「いまはもう、わたしの家族を皆殺しにしたアメリカ兵もツヨシを襲った強盗も、だれも恨んでいない。生まれた国や時代や運命は選べないけど、与えられた人生をよく生きるしかないのよ。そうして、命を与えてくれたものになにがしかの答えを出さなくちゃいけないのよ」
 とリリィが語った言葉を印象深く覚えている。僕はその言葉に勇気をもらった。
 自転車の後ろにリリィを乗せて丘を下り、バス停まで送った。こんなきれいな人を乗せるのは照れくさかったから、僕は全速力で村を駆け抜けた。道端のバス停は西日に染まり、ひぐらしが名残りを惜しむように鳴いていた。青い実をつけた稲が風にそよいでいた。リリィはきれいな目を細めて愛しそうにあたりの風景を見つめる。たぶん、父さんのふるさとを心に刻んでおきたかったのだと思う。風がリリィの黒い髪と白いアオザイの裾を揺らした。
 バスがやってきた。
「父さんのことをいろいろ教えてくれてありがとう」
 僕はどきどきしながら言った。
「わたしこそお墓参りの案内をしてくれてうれしかったわ。――あの人に似ているのね」
 リリィはやさしく微笑み、顔を近づける。僕は金縛りにあったみたいに動けなかった。
 バスは坂道を登っていく。顔を赤らめた僕はぼおっとしたまま見送った。



(つづく)

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