姪(姉の娘)の嫁ぎ先である岡山県・粟井中は兵庫県境に近く、平成の大合併で美作市に編入された県北の小さな過疎の町である。この町には、小さいながら太夫座や花道、廻り舞台をもつ「春日座」(300人収容)という芝居小屋があり、毎年10月の第2土・日の氏神春日神社の秋祭りの日には、2夜にかけて地区の保存会が代々継承してきた、明治時代から伝わる農村歌舞伎(地下芝居)の定期公演が行われる。平成10年からは地元の粟井小学校の6年生全員の参加による子ども歌舞伎が上演されるようになり、近隣の町村からの観客も多く、いつも立ち見客が出るほどの盛況振りである。
6年生全員といっても過疎地の小規模校のこと、今年の全校児童数は35人、6年生はたった5人である。東京に住む甥の長男が通っている幼稚園では園児数が600人超だそうだが、そんな都会と比べると、まるで“めだかの学校”である。だが、小さいは小さいなりのよさがあって、地元の人たちの協力もさることながら親たちの連携プレーは最高、みんなで作り上げるという一体感は、見ている者の気持ちをほのぼのとさせ、感動させられるものがたくさんある。今年は末っ子の“たっくん”が出場、姪のところではこの子が最後の子ども歌舞伎となる。
今年は神戸に住む弟と娘、おチビさん2人がやってくるというので、私も10日の午後から出かけた。4歳になった“チーちゃん”、2歳になった“アオちゃん”、小さな子どもがいるとにぎやかなこと、特に女の子はおしゃまでよくしゃべる。だが、おチビさんたちが白塗りの顔が怖いと泣かないだろうかと心配した。
開演は午後7時。もう会場は満員で、桟敷の両脇にはご祝儀の張り紙がたくさん貼られてあり、雰囲気も上々である。
最初は6年生による『三番叟』で、一番右端がちょっとメタボのうちの“たっくん”。

次は町内の大人たちによる『絵本太功記』、なかなかのものである。実はこの演目は毎年子どもが上演していたのだが、今年は5人しかいないので『白浪五人男』に変更、『絵本太功記』は大人が上演することになったという。

そして、いよいよお待ち兼ねの子ども歌舞伎『白浪五人男』である。弁天小僧菊之助、忠信利平、赤星十三、南郷力丸、日本駄右衛門と、順番に花道から登場、大見得を切って舞台の中央へ。4番手の「南郷力丸」を演じる“たっくん”のダイナミックな大見得に場内から歓声があがる。

5人が勢ぞろいして、順番に口上を披露して見栄を切るたびに大きな掛け声が飛び、カメラのシャッター音、フラッシュの光、場内の興奮は最高潮に達した。

捕り手に扮した子ども達の母親が花道で待機。それぞれの母子での絡み合い。“たっくん”と母さんをパチリ。

終って、母子が勢ぞろいしたところをパチリ。なかなかのものである。

そして、役者や裏方、世話役が一堂にならび、保存会会長のあいさつで幕を閉じた。神戸からきた弟は「これほど本格的とは思っていなかった。見に来た甲斐があった」と喜んでいた。

翌朝、この模様をNHKローカルニュースで7時30分から放送すると聞いていたので、みんなでテレビに釘付け。アナウンサーの「昨夜、美作市で春日歌舞伎が……」という声が聞こえると、パッと目に飛び込んできたのは“たっくん”の大見得を切った姿、それに続いて客席にカメラがゆくと、なんと“たっくん”のばーば(私の姉)の顔が…。また戻って5人男の勢ぞろい、そして“たっくん”と母親が絡むシーン。まるで、NHKのカメラマンに袖の下でも渡したのかと思うほど、我が家の親子三代で占領したようなニュースにはびっくり。カメラを出して画面に向けた時はもう遅く、母と子の画面しか写せなかった。

今回は、姪の自宅ではなく会社の二階に泊めてもらったのだが、24畳の大広間、8畳と6畳の部屋、キッチンもお風呂もついていて、これならいつお客があっても大丈夫だ。この大広間にはグランドピアノ、電子ピアノ、エレクトーンが置いてある。大分前に辞めたが、姪がピアノ教師をしていた頃のもので、実家に置いていたのを運んだという。それにまだ、自宅には嫁入り時に持ってきたピアノがもう1台あるという。4台もどうするのか、もったいない。
末っ子は今でも母親に指導してもらっており、長男は音符は読めないけど知っている曲ならなんでも弾けるという。真ん中の子は興味がないらしいが、長男は友達を連れてきては遊びごとに弾いているとか。“チーちゃん”もちょっとお遊びでハイ、ポーズ。

おチビさんたちも子ども祭りに参加させてもらった。軽トラに乗せた太鼓を叩く子ども達、“チーちゃん”、“アオちゃん”も叩かせてもらって大喜び。

太鼓のあとには子ども神輿が続く。各家々の前で「ワッショイ、ワッショイ」と掛け声を上げ神輿を高く上げると、その家の人がお花料をくださる。また、お菓子や飲み物をたくさん用意して待っていてくれる家もあって、子ども達は大喜びである。後をついて回っている部外者の我々にもビールやコーヒーのお接待をしてくださって恐縮した。

行く先々では「たっくん、よかったなあ。テレビのニュースも見たよ」と皆さんが声をかけてくださる。こうした光景は田舎ならではのこと、おチビさんたちも十分に楽しんだ様子で機嫌よく帰って行った。
6年生全員といっても過疎地の小規模校のこと、今年の全校児童数は35人、6年生はたった5人である。東京に住む甥の長男が通っている幼稚園では園児数が600人超だそうだが、そんな都会と比べると、まるで“めだかの学校”である。だが、小さいは小さいなりのよさがあって、地元の人たちの協力もさることながら親たちの連携プレーは最高、みんなで作り上げるという一体感は、見ている者の気持ちをほのぼのとさせ、感動させられるものがたくさんある。今年は末っ子の“たっくん”が出場、姪のところではこの子が最後の子ども歌舞伎となる。
今年は神戸に住む弟と娘、おチビさん2人がやってくるというので、私も10日の午後から出かけた。4歳になった“チーちゃん”、2歳になった“アオちゃん”、小さな子どもがいるとにぎやかなこと、特に女の子はおしゃまでよくしゃべる。だが、おチビさんたちが白塗りの顔が怖いと泣かないだろうかと心配した。
開演は午後7時。もう会場は満員で、桟敷の両脇にはご祝儀の張り紙がたくさん貼られてあり、雰囲気も上々である。
最初は6年生による『三番叟』で、一番右端がちょっとメタボのうちの“たっくん”。


次は町内の大人たちによる『絵本太功記』、なかなかのものである。実はこの演目は毎年子どもが上演していたのだが、今年は5人しかいないので『白浪五人男』に変更、『絵本太功記』は大人が上演することになったという。


そして、いよいよお待ち兼ねの子ども歌舞伎『白浪五人男』である。弁天小僧菊之助、忠信利平、赤星十三、南郷力丸、日本駄右衛門と、順番に花道から登場、大見得を切って舞台の中央へ。4番手の「南郷力丸」を演じる“たっくん”のダイナミックな大見得に場内から歓声があがる。

5人が勢ぞろいして、順番に口上を披露して見栄を切るたびに大きな掛け声が飛び、カメラのシャッター音、フラッシュの光、場内の興奮は最高潮に達した。

捕り手に扮した子ども達の母親が花道で待機。それぞれの母子での絡み合い。“たっくん”と母さんをパチリ。


終って、母子が勢ぞろいしたところをパチリ。なかなかのものである。

そして、役者や裏方、世話役が一堂にならび、保存会会長のあいさつで幕を閉じた。神戸からきた弟は「これほど本格的とは思っていなかった。見に来た甲斐があった」と喜んでいた。

翌朝、この模様をNHKローカルニュースで7時30分から放送すると聞いていたので、みんなでテレビに釘付け。アナウンサーの「昨夜、美作市で春日歌舞伎が……」という声が聞こえると、パッと目に飛び込んできたのは“たっくん”の大見得を切った姿、それに続いて客席にカメラがゆくと、なんと“たっくん”のばーば(私の姉)の顔が…。また戻って5人男の勢ぞろい、そして“たっくん”と母親が絡むシーン。まるで、NHKのカメラマンに袖の下でも渡したのかと思うほど、我が家の親子三代で占領したようなニュースにはびっくり。カメラを出して画面に向けた時はもう遅く、母と子の画面しか写せなかった。

今回は、姪の自宅ではなく会社の二階に泊めてもらったのだが、24畳の大広間、8畳と6畳の部屋、キッチンもお風呂もついていて、これならいつお客があっても大丈夫だ。この大広間にはグランドピアノ、電子ピアノ、エレクトーンが置いてある。大分前に辞めたが、姪がピアノ教師をしていた頃のもので、実家に置いていたのを運んだという。それにまだ、自宅には嫁入り時に持ってきたピアノがもう1台あるという。4台もどうするのか、もったいない。
末っ子は今でも母親に指導してもらっており、長男は音符は読めないけど知っている曲ならなんでも弾けるという。真ん中の子は興味がないらしいが、長男は友達を連れてきては遊びごとに弾いているとか。“チーちゃん”もちょっとお遊びでハイ、ポーズ。


おチビさんたちも子ども祭りに参加させてもらった。軽トラに乗せた太鼓を叩く子ども達、“チーちゃん”、“アオちゃん”も叩かせてもらって大喜び。


太鼓のあとには子ども神輿が続く。各家々の前で「ワッショイ、ワッショイ」と掛け声を上げ神輿を高く上げると、その家の人がお花料をくださる。また、お菓子や飲み物をたくさん用意して待っていてくれる家もあって、子ども達は大喜びである。後をついて回っている部外者の我々にもビールやコーヒーのお接待をしてくださって恐縮した。


行く先々では「たっくん、よかったなあ。テレビのニュースも見たよ」と皆さんが声をかけてくださる。こうした光景は田舎ならではのこと、おチビさんたちも十分に楽しんだ様子で機嫌よく帰って行った。
衣装も鬘も化粧も、そして踊りや口上もセリフもなのでしょう。
毎年6年生のお兄さん達の演技を観つづけているので、歌舞伎の基本が、自然に頭や身体に受け継がれているのでしょうね。
南郷力丸の見得の切り方、見事に決まっていて見応えがあります。
可愛いけれど、迫力あって流石です!
この地に根付いて残る伝統歌舞伎だけあります。
写真も、良く撮れていて姪御さんのご一家と楽しい日を過ごされたのが伝わってきますよ。
忙しない都会なんかに住むより、こういった場所で育っていくゆとりと幸せを感じます。
もう一つ近隣の奈義町に「横仙歌舞伎」という有名な農村歌舞伎があります。そこの方が来られてすべて指導してくださるそうです。
お囃子も長唄も本格的で、見ごたえがありますよ。
でも、この「春日座」も歌舞伎もだんだんと過疎が進み、少子化がすすみ、いずれは保存できなくなるといいます。子どもの数も年々少なくなっていますから、学校もいずれは統廃合の憂き目に遭うでしょう。
時代の流れとはいえ、さびしいことですね。
神戸のおチビさんたちは大喜びでした。こういった経験はなかなか都会ではできませんものね。
みなさん楽しみにされているのも納得です。
古の時代の権力闘争の敗者が、落ち延びた先に文化の種を蒔くことで、いろいろな地方に都の文化が伝わったみたいな話を思い出しました。
ちなみに、私の甥っ子も「たっくん」です。
今ではもう大学生ですから、その呼び方もしなくなりましたが・・・。
演題も絵本太功記から白浪五人男に変わるとなると口上も振りも全く違うでしょうが、写真で見ても迫力がある演技ですね。
でも、これも郷土の財産でしょうから、保存され続けていけるといいですね。
NHKのニュースですが、テレビ局から録画のコピーを貰えないのでしょうか。
先日大雨で大きな被害を出した兵庫県佐用町の隣町で、この地の一部でも大変な被害が出ました。が、この粟井はおかげで被害がなかったので歌舞伎は実施されました。
お囃子の太鼓、三味線はもちろん、長唄も全部地元の人がやります。多分にみんな、歌舞伎といっても素人芝居だと思っているようですが、実際に見るとみんなビックリします。
うちの「たっくん」は「健(たける)」の愛称です。お宅の「たっくん」は大学生ですか。きっとたくましい甥っ子さんでしょうな。
長男は「太功記」で加藤正清をやりましたが、途中で糸を引き抜いて衣装が変わるところで糸がなかなか抜けなくて、見ている私どもはハラハラしました。
次男は同じ演目でも体が細いのでお姫様だったか、末っ子はメタボで横幅があり着物を着ると貫禄がありましたね。
ジジ、ババなどみんな馬鹿がつくほど力が入りました。
練習は夏休み前から連日で、口上や長セリフなど覚えるのが大変みたいです。でも、誰も失敗することなく見事に演じていました。
見ているほうはちょっとウルルとなりました。
ニュースのコピーはもらえるのですか。NHKに問い合わせてみます。
わりとレベルの高い大学に合格し、体操部にはいって
ずいぶんたくましくなりましたが、
なんとなくポヤッとして頼りないのは子供の頃からかわりませんねぇ・・・・。
体操部だと筋肉もりもりでしょうね。身内には見せないけど、頼りがいのある青年になっていると思いますよ。
うちの「たっくん」は末っ子のメタボの甘えん坊です。勉強はあまり、お宅の「たっくん」のように大学へゆけるかどうか、危ないですね。
こちらはマンモス幼稚園のイベントとあって、カメラを持った親が右往左往。それだけで疲れます。ちなみにインフルエンザの影響で今週いっぱい学年閉鎖、今週末の予定だった運動会は来週に延期されました。。。
祐さんのインフルエンザは軽くてよかったね。
日程が合えばよかったのに、祐さんにも見せてあげたかったよ。
ジジは素人芝居に毛が生えたものくらいに思っていたらしく、「見に来た甲斐があった」って感激してたよ。
最初はチーちゃんが白塗りを怖がるとママが心配してたけど、「お姫様はなぜ泣いているの?」とか質問攻めで、私はそばでずっと説明させていただきましたヨ。
最後にはかぶりつきで「おひねり」を投げたり、舞台からお菓子が投げられるのをつかんだり、結構楽しんでいました。
お祭りにも参加させてもらって、いい初体験ができました。
来年2月に逢えるね。