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つれづれに 

老いてゆく日々、興味ある出来事に私見を添えた、オールドレディーの雑記帳です。

週刊誌の見出しは・・・

2006-05-30 | Weblog
 昨今、目に余る色々な犯罪が起きるたびに、新聞、テレビ、週刊誌などの報道内容には、プライバシーの侵害に問われかねない、良くぞここまで調べたなと思えるような内容が目に付く。新聞・テレビはともかく、週刊誌にはとくに頭をかしげるようなものが多い。 
 週刊誌は医院の待合室、美容院などで見るくらいで、余程のことがない限り買って読むことはない。私の購読する新聞には、発売間近になると、週刊新潮・週刊文春・週刊現代・週間ポスト・女性自身の5誌の宣伝見出しが掲載される。いつもその個々の見出しで、おおよその内容を解釈して読んだつもりになるのだが、案外これは怖いことではないかと思う。この見出しにある内容が確実な根拠に基づくものなのか、責任の所在が明確にされた信頼できるものなのかはいざ知らず、大部分の人はこの見出しによって判断しかねないのではないか。私がそうであるように、一度くらい耳で聞いたことは忘れるが、活字になるとそれは強烈に印象に残る。書く自由は分かるが、もしこれが真実でなかったら一体どう責任を取るのだろうか。

 一つの例が、秋田県の畠山彩香ちゃん水死事件である。事件か事故かは未だはっきりしないが、最近目立つのが母親についての報道である。養育放棄のネグレクトだったとか、彩香ちゃんは毎日カップラーメンの食生活だったとか、不倫のうわさなど、挙句の果てが「彩香の母親は豪憲くん殺害の犯人ではない」などの見出しは、あたかもその疑いがあると思わせるかのような報道である。これらは人権にかかわることであるが、「火のないところに煙は立たない」で、まんざらでたらめでもなかろうと、半信半疑であらぬ憶測をする人も出てくるのではないか。
 それにしても当の母親はそれらの報道に抗議するでもなく、顔は隠しているものの、連日テレビの画面に現れるのには、その心中が理解できず、ちょっと首を傾げたくなる。彩香ちゃん水死が事故と断定された後にも、自分でビラを作り情報収集に懸命な姿は、一人娘を失った気の毒な母親というイメージだったが、本当にこれらの見出しにあるような母親であったなら、生前の彩香ちゃんは決して幸せではなかったのかな、などと思ったりもする。母と娘の二人暮らしで、寄り添って仲良く暮らしていたと思いたいが、私自身が週刊誌の見出し一つで、彩香ちゃんと母親に対するイメージに変化が生じたことを思えば、無責任なマスコミ報道の怖さを感じる。

 何年か前、私のプール仲間であった医師の妻の行方不明事件は未解決だが、このときも信じられないようなうわさ話が流れて、普段の彼女を知っているだけに気の毒に思ったことがあった。また後に、被害者の夫はマスコミ報道のあり方に対して相当強い批判をしていた。そして、もう一つ未解決の同市内小学生女児殺害事件でも被害者家族に関する心ないうわさが流れたこともあり、マスコミ報道の影響力は大きく、むごいものであると思う。
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