毎年10月第1土・日恒例の、知人が通っている生け花教室の懇親旅行は今年で13回目だそうだが、私は昨年参加の2回目。今年は島根県・隠岐島へ1泊2日の旅である。
6日朝6時15分に家を出て、集合場所へ。近道をしようと歩いていると、大分前を旅の同行者らしき人の姿が見えた。後をついてゆこうとしたら角を曲がったのか見失った。この辺かなと、およその見当をつけて曲がったら、どうも1つ角を間違えたらしく、行き止まりだ。あわてて元に戻り次の角を曲がる。だが、通り抜けるつもりだった某店の駐車場にはまだ鎖が張られていて、これも想定外、仕方なく鎖の間を潜り抜け、やっと集合場所へ。またまた出だしから大慌てのヘマをやってしまった。
45分にバスは出発。今年は新入会者を入れて総勢22名である。中国縦貫道から米子道へ、蒜山SAでトイレ休憩、大山がくっきりと雄大な姿を見せている。天気は上々、これが一番ありがたい。
島根県・七類港より島後・西郷港まではフェリーで約2時間30分ほどだ。「天気晴朗なれど波高し」ではなく、これが日本海かと思うほど波が穏やかだ。相当揺れるとおどかされていたがまったく心配ない。いまどき珍しく船内はすべてカーペット敷の座敷なので、眠るにはちょうどいい。
到着して、まず昼食。イカの刺身や、1ぱい丸のまま煮てあるのがおいしかった。隠岐はイカ漁とこんぶ・わかめ漁が盛んらしく、料理にもふんだんに使われている。

午後1時、島の貸し切りバスで島内観光へ出発。島後には水若酢神社、玉若酢神社などの古社や、樹齢2000年という八百杉、根から6つに枝分かれしたかぶら杉などの名木がいたるところにある。また、隠岐島では、古くから牛突きや古典相撲など伝統芸能が盛んで、処々に牛突き場や土俵が見られる。また、元弘の変で捕らえられ流罪となった後醍醐天皇の行在所跡として建立された隠岐国分寺は有名である。しかし、今年2月5日の火災で本堂・鐘楼などすべて焼失し、現在は行在所跡のみとなっている。門の柱には菊と桐が1つになった大きな紋が光り輝いている。これは後醍醐天皇の定紋だというのだが、菊と桐の組み合わせの由来はわからない。

余談だが、後醍醐天皇といえば児島高徳の有名な「十字詩」を想起する。天皇を助けるため美作の国・院庄まで後を追ってきたが機会がなく、天皇の宿泊所である守護館の庭の桜樹を削り、「天莫空勾践 時非無范蠡」(天勾践を空しうすること莫れ、時に范蠡の無きにしも非ず)の十字詩を刻み忠誠を誓った。その桜樹があったとされる跡地に、児島高徳を祭神とする県社・作楽神社が建てられている。その他、わが町近辺には、後醍醐天皇に由来する史跡があちこちに残っている。

次は隠岐自然館を見学。昔の町家を移築したもので、昔の道具類など珍しいものが展示されている。最後の観光地・白島展望台からの眺望はすばらしく、青い空と山々の緑、青い海と白い波のコントラストがすばらしかった。小さな島なので、15分ほどするとすぐ次の観光地へ着く。うとうとしかかると到着で、いつもの揺れにまかせた心地よい居眠りは全然できなかった。そして宿へ到着。隠岐島には温泉がないのが残念であるが、それでも汗を流してさっぱりした。ホテルからの眺望がすばらしい。

夕食のお膳を見てびっくり。30センチくらいの桶に氷を敷き詰めて、ヒオウギ貝、サザエ、イカ、真鯛、アジ、ヒラマサなどの刺身、これには驚いた。これが1人前とは、こんなのは今までお目にかかったことがない。それに魚介類の朴葉焼き、島根牛のカルパッチョ、鯛の塩蒸しなどなど、魚尽くしである。また、隠岐名物のやきめし茶漬けがおいしかった。味噌を塗って焼いたおにぎりにお茶を掛けて食べるのだが、米不足の隠岐ならではの保存食で、古くから伝えられているものだとか…。
満腹したあとは、いつもの演芸が始まる。ご苦労なことに衣装から小物まで持参の本格的な「ドジョウすくい」には腹を抱えて笑った。踊りやカラオケで盛り上がった3時間近い宴会に半分あきれたのか、仲居さんが「どういう集まりですか」と聞いていた。

この会の名称は「秋桜(コスモス)」だが、そんな可憐はものではない。妙齢の女性22人、明るくてたくましい。きっとコスモスが気を悪くしているだろう。
つづく。
6日朝6時15分に家を出て、集合場所へ。近道をしようと歩いていると、大分前を旅の同行者らしき人の姿が見えた。後をついてゆこうとしたら角を曲がったのか見失った。この辺かなと、およその見当をつけて曲がったら、どうも1つ角を間違えたらしく、行き止まりだ。あわてて元に戻り次の角を曲がる。だが、通り抜けるつもりだった某店の駐車場にはまだ鎖が張られていて、これも想定外、仕方なく鎖の間を潜り抜け、やっと集合場所へ。またまた出だしから大慌てのヘマをやってしまった。
45分にバスは出発。今年は新入会者を入れて総勢22名である。中国縦貫道から米子道へ、蒜山SAでトイレ休憩、大山がくっきりと雄大な姿を見せている。天気は上々、これが一番ありがたい。
島根県・七類港より島後・西郷港まではフェリーで約2時間30分ほどだ。「天気晴朗なれど波高し」ではなく、これが日本海かと思うほど波が穏やかだ。相当揺れるとおどかされていたがまったく心配ない。いまどき珍しく船内はすべてカーペット敷の座敷なので、眠るにはちょうどいい。
到着して、まず昼食。イカの刺身や、1ぱい丸のまま煮てあるのがおいしかった。隠岐はイカ漁とこんぶ・わかめ漁が盛んらしく、料理にもふんだんに使われている。





午後1時、島の貸し切りバスで島内観光へ出発。島後には水若酢神社、玉若酢神社などの古社や、樹齢2000年という八百杉、根から6つに枝分かれしたかぶら杉などの名木がいたるところにある。また、隠岐島では、古くから牛突きや古典相撲など伝統芸能が盛んで、処々に牛突き場や土俵が見られる。また、元弘の変で捕らえられ流罪となった後醍醐天皇の行在所跡として建立された隠岐国分寺は有名である。しかし、今年2月5日の火災で本堂・鐘楼などすべて焼失し、現在は行在所跡のみとなっている。門の柱には菊と桐が1つになった大きな紋が光り輝いている。これは後醍醐天皇の定紋だというのだが、菊と桐の組み合わせの由来はわからない。



余談だが、後醍醐天皇といえば児島高徳の有名な「十字詩」を想起する。天皇を助けるため美作の国・院庄まで後を追ってきたが機会がなく、天皇の宿泊所である守護館の庭の桜樹を削り、「天莫空勾践 時非無范蠡」(天勾践を空しうすること莫れ、時に范蠡の無きにしも非ず)の十字詩を刻み忠誠を誓った。その桜樹があったとされる跡地に、児島高徳を祭神とする県社・作楽神社が建てられている。その他、わが町近辺には、後醍醐天皇に由来する史跡があちこちに残っている。




次は隠岐自然館を見学。昔の町家を移築したもので、昔の道具類など珍しいものが展示されている。最後の観光地・白島展望台からの眺望はすばらしく、青い空と山々の緑、青い海と白い波のコントラストがすばらしかった。小さな島なので、15分ほどするとすぐ次の観光地へ着く。うとうとしかかると到着で、いつもの揺れにまかせた心地よい居眠りは全然できなかった。そして宿へ到着。隠岐島には温泉がないのが残念であるが、それでも汗を流してさっぱりした。ホテルからの眺望がすばらしい。

夕食のお膳を見てびっくり。30センチくらいの桶に氷を敷き詰めて、ヒオウギ貝、サザエ、イカ、真鯛、アジ、ヒラマサなどの刺身、これには驚いた。これが1人前とは、こんなのは今までお目にかかったことがない。それに魚介類の朴葉焼き、島根牛のカルパッチョ、鯛の塩蒸しなどなど、魚尽くしである。また、隠岐名物のやきめし茶漬けがおいしかった。味噌を塗って焼いたおにぎりにお茶を掛けて食べるのだが、米不足の隠岐ならではの保存食で、古くから伝えられているものだとか…。
満腹したあとは、いつもの演芸が始まる。ご苦労なことに衣装から小物まで持参の本格的な「ドジョウすくい」には腹を抱えて笑った。踊りやカラオケで盛り上がった3時間近い宴会に半分あきれたのか、仲居さんが「どういう集まりですか」と聞いていた。


この会の名称は「秋桜(コスモス)」だが、そんな可憐はものではない。妙齢の女性22人、明るくてたくましい。きっとコスモスが気を悪くしているだろう。

空の色が綺麗です。
波も穏やかだったとは、ラッキーですよ。
波があると、おぉ~きく・ゆっくりと揺れて
そうなると私は船酔いしてしまいます。
救いは、ゴロンと出来るあのカーペットの船内です。
あとはひたすら寝て過せますからね。
夏は、フェリーの先端に飛び魚・イルカを目にできる
こともありますょ。
お盆の時期に行っても名所に人がごった返すと
いうことがありませんから、ゆっくり見学
できたのではないでしょうか。
どちらかというと、釣り狂いの方が多く訪れているかと・・・
そうそう、お祝いなど会席となると
それはそれは立派なお料理がわんさと出てくるんですょ。
ちょっとした酢の物から、お鍋・うなぎ・お刺身
お吸い物・そばにメロンに〆におうどん!?
と、いった調子で(笑)
今年は、帰る予定がないので、行ったつもりになり
楽しく拝見させて頂きました。
追伸・・・URLが受付られませんでした。ごめんなさい。
天気がよくて本当によかったですね。
私は結構永井路子さんの本が好きなので、「後醍醐天皇が流された、あの隠岐か」と、ちょっと嬉しいです。
「妙齢の女性」によるどじょうすくい・・・楽しそうですね・・・ぷぷぷ。
甲板に上がると飛魚の飛ぶのが見えました。そして魚がたくさん泳いでいて、釣りをしたらおもしろいだろうなと思いました。
流人の島として有名ですが、隠岐は官位の高い人が流された特別な島だそうです。貴人たちを慰めるために作られた色々な芸能が伝承されて、牛突き、相撲などもそうだそうですね。
いい故郷をお持ちですね。リフレッシュするには最適の環境ですね。
女も歳をとると羞恥心もなくなって、それも20人も集まるともう女天下です。宿の仲居さんもあきれた様子で見てました。
魚は期待できますね。民宿へ泊まって釣りをする、そんな旅がいいのではないでしょうか。
また、夏は海のレジャーに最適らしいですよ。
海の幸のゴチソウは文章が上手なので想像がつきますが写真にとって紹介してもらいたかったですね。
イイ旅しましたね。
私も食べた後になって、しまった、写真に撮ればよかったと思いましたね。でも、欠食児童みたいにくらいついてしまいました。
隠岐は島後は神社仏閣、島前は船で周囲を観光するのと山から海の景色を見るくらいで、あまり名所旧跡はないですね。
牛突きが見たかったですが、開催の時期があっていつもやっているというものではないそうです。
民宿だとすごい魚料理を食べさせてくれるそうですよ。
お宿もよくご飯もおいしく、極めつけはお仲間同士の盛り上がり。
旅の王道をいっています。
うちの社員旅行の手本としたい。
もうこの年代になると恥も見栄もかなぐり捨てて、たくましいこと男顔負け。女性だけの宴会で3時間近くもやる団体はまずないのでは、中居さんもびっくりしてるようでした。
生け花教室の一団なのに、大和撫子の片鱗もないありさまでした。
でも、愉快な人たちです。みんなを楽しませようと精一杯サービスしてくれているのが分かります。
コメントありがとうございました。
11月に行かれるのですが。今年は割りと温かいですが、日本海の冬は荒れるそうですから、どうぞお気をつけて行ってらしてください。
後から聞いたのですが、港を出て右に行くと海産物や色々なみやげ物の店があるそうです。新鮮な魚を堪能してください。楽しい旅になりますように。