首相の突然の辞任劇から、マスコミの目が一斉に政界に向けられている間は、相撲協会のお偉方もホッとしていただろう。が、それもつかの間、今回の力士死亡事件は朝青龍騒動の比ではなく、危機感はより深刻である。朝青龍騒動は個人の不始末から騒動が大きくなっただけだが、今回は法に触れる犯罪である。
日本相撲協会には苦情、抗議の電話が鳴りやまなかったという。ある部屋では入門予定だった新弟子から次々と断られたという。また、「うちの子が兄弟子が怖いといっている。ホテルから通わせてもらいたい」と新弟子の親からネジ込まれたというが、これは論外である。こんな親バカの息子が力士として大成するとは思えない。
厳しいけいこで強い力士が育ち、悪童が礼儀正しい若者に変身し親が感謝する。それが相撲界の特質でもあるといわれる。昔は貧しい家の子どもが、親兄弟のためにというハングリー精神で力士を志したと聞く。しかし、恵まれた環境で育った今の若者は、相撲を単なるスポーツと考えているらしく、昔流の厳しい稽古に耐えてまで出世したいとは思わないのだろう。強い日本人横綱がいないという状況がそれを物語っており、そもそも昔の若者とは根性が違うのである。
急死した力士は、入門後もタバコを辞めず再三脱走を繰り返したという。入門前から多少素行面に問題があったとも言われるが、親にしてみれば厳しい力士修行で一人前の若者になることを期待して預けたのであろう。それが、死に至るまで痛めつけられ、変わり果てた姿で帰されるとは思ってみなかったであろう。
1960年代、私が若かった頃の身近なスポーツといえば野球と大相撲くらいだった。栃ノ海や佐田の山、「巨人・大鵬・卵焼き」という言葉まで生まれた、柏戸と大鵬の「柏鵬時代」。たしか一時期、東西の横綱が4人という時代もあったと思う。まだ一般家庭にテレビが普及していない時代、大相撲の中継時間になると街なかの喫茶店や飲食店には座る席もないほど人々で溢れていた。だが、それも時代の流れか、徐々に衰退していくのであるが、その頃の大相撲は国技の名にふさわしい品格あるスポーツであったように思う。
相撲界が数々のスキャンダルでマスコミの注目を浴びるようになったのはいつごろからだろうか。フリー百科事典『ウィキペディア』で“千代の富士”の項を見ると、千代の富士にも、稽古でリンチまがいにシゴき重傷を負わせたとか、週刊誌などの大相撲八百長疑惑報道で名指しされたことがあったなどと書かれている。いつの時代にもこういうことはあったのだろうが、ただ表に出なかっただけだろう。
そして、貴乃花、若乃花兄弟横綱の確執、双子山親方夫婦のスキャンダルなど、この頃から相撲意外の話題でマスコミが大騒ぎするようになる。本業の大相撲はというと、外国人力士に取って代わられ、若乃花以来日本人横綱がいないという情けない有様である。外国人力士も昔はハワイ出身が多かったが、現在はモンゴル出身の力士が大半を占めているとか。その代表格がかの朝青龍だ。この御仁には、やり放題し放題で相撲協会はなめられっぱなし、国技の品格を下げられても文句のひとつもいえない情けない有様である。
その朝青龍騒動がまた再燃しそうである。精神疾患とやらで先月29日に療養のために帰国した朝青龍。今朝の新聞によると、病状は精神疾患の中でも最も軽いもので、10日すぎには横綱本人が「精神的にも身体的にもよくなった。完全に治ったと思う」と明言したという。また、10月中旬には日本に戻るだろうというのである。
だったら、たかだか2週間足らずの治療で治る病気を、大げさな病名をつけて帰国させた日本の医師の診断は何だったのか。結局、協会の処分が気に入らず、モンゴルへ帰りたいがためにふてくされていただけの仮病を見抜けなかったということだろう。1ヶ月近くも籠城して世間を騒がせ、国技の品格を汚した落とし前はきっちりつけてもらわなければなるまい。まさか、今回の事件で批判の的がそれているうちに戻れば、少しは風当たりも弱まるだろうというのが狙いだろうかと勘ぐりたくもなる。
次から次へとお騒がせの相撲界、もはや国技の品格などありはしない。どうやって挽回するのか、このままでは力士のなり手もなく、大相撲存亡の危機もあるのに…。
日本相撲協会には苦情、抗議の電話が鳴りやまなかったという。ある部屋では入門予定だった新弟子から次々と断られたという。また、「うちの子が兄弟子が怖いといっている。ホテルから通わせてもらいたい」と新弟子の親からネジ込まれたというが、これは論外である。こんな親バカの息子が力士として大成するとは思えない。
厳しいけいこで強い力士が育ち、悪童が礼儀正しい若者に変身し親が感謝する。それが相撲界の特質でもあるといわれる。昔は貧しい家の子どもが、親兄弟のためにというハングリー精神で力士を志したと聞く。しかし、恵まれた環境で育った今の若者は、相撲を単なるスポーツと考えているらしく、昔流の厳しい稽古に耐えてまで出世したいとは思わないのだろう。強い日本人横綱がいないという状況がそれを物語っており、そもそも昔の若者とは根性が違うのである。
急死した力士は、入門後もタバコを辞めず再三脱走を繰り返したという。入門前から多少素行面に問題があったとも言われるが、親にしてみれば厳しい力士修行で一人前の若者になることを期待して預けたのであろう。それが、死に至るまで痛めつけられ、変わり果てた姿で帰されるとは思ってみなかったであろう。
1960年代、私が若かった頃の身近なスポーツといえば野球と大相撲くらいだった。栃ノ海や佐田の山、「巨人・大鵬・卵焼き」という言葉まで生まれた、柏戸と大鵬の「柏鵬時代」。たしか一時期、東西の横綱が4人という時代もあったと思う。まだ一般家庭にテレビが普及していない時代、大相撲の中継時間になると街なかの喫茶店や飲食店には座る席もないほど人々で溢れていた。だが、それも時代の流れか、徐々に衰退していくのであるが、その頃の大相撲は国技の名にふさわしい品格あるスポーツであったように思う。
相撲界が数々のスキャンダルでマスコミの注目を浴びるようになったのはいつごろからだろうか。フリー百科事典『ウィキペディア』で“千代の富士”の項を見ると、千代の富士にも、稽古でリンチまがいにシゴき重傷を負わせたとか、週刊誌などの大相撲八百長疑惑報道で名指しされたことがあったなどと書かれている。いつの時代にもこういうことはあったのだろうが、ただ表に出なかっただけだろう。
そして、貴乃花、若乃花兄弟横綱の確執、双子山親方夫婦のスキャンダルなど、この頃から相撲意外の話題でマスコミが大騒ぎするようになる。本業の大相撲はというと、外国人力士に取って代わられ、若乃花以来日本人横綱がいないという情けない有様である。外国人力士も昔はハワイ出身が多かったが、現在はモンゴル出身の力士が大半を占めているとか。その代表格がかの朝青龍だ。この御仁には、やり放題し放題で相撲協会はなめられっぱなし、国技の品格を下げられても文句のひとつもいえない情けない有様である。
その朝青龍騒動がまた再燃しそうである。精神疾患とやらで先月29日に療養のために帰国した朝青龍。今朝の新聞によると、病状は精神疾患の中でも最も軽いもので、10日すぎには横綱本人が「精神的にも身体的にもよくなった。完全に治ったと思う」と明言したという。また、10月中旬には日本に戻るだろうというのである。
だったら、たかだか2週間足らずの治療で治る病気を、大げさな病名をつけて帰国させた日本の医師の診断は何だったのか。結局、協会の処分が気に入らず、モンゴルへ帰りたいがためにふてくされていただけの仮病を見抜けなかったということだろう。1ヶ月近くも籠城して世間を騒がせ、国技の品格を汚した落とし前はきっちりつけてもらわなければなるまい。まさか、今回の事件で批判の的がそれているうちに戻れば、少しは風当たりも弱まるだろうというのが狙いだろうかと勘ぐりたくもなる。

次から次へとお騒がせの相撲界、もはや国技の品格などありはしない。どうやって挽回するのか、このままでは力士のなり手もなく、大相撲存亡の危機もあるのに…。

高校野球でもシゴキがあると退部者が続出するそうです。辛い練習を楽しく、そして技術、体力をいかに向上させるかというのが指導者の条件らしいです。
これは昔と経済環境も違うし、若者の意識が違うのですから仕方がないですね。
相撲が国技であるという考えは相撲関係者も観るほうもとっくになくなっています。何か問題になったとき国技ということが言われます。
昨日の朝日新聞には大臣さんが理事長に深々と頭をさげてお辞儀している様子が載っていました
見出しは“謝罪に来たのは理事長ですが”となっておりましたよ
相撲はオールドボーイ達の実態はまだ憧れの世界なのでしょうか、
息子を亡くしたお父さんも親方の一つ一つが神の如く全幅の信頼の上で、何もかも有り得ない事だったのでしょうか、記者会見を見ていても、なぜ病院に駆け付けなかったのか、なぜ息子の遺体を迎えにいかなかったのか、そこまで親方を信頼していたのだと私は理解するのですが…
どこにでもあることでしょうが、限度というものをわきまえない「かわいがり」はいじめです。
朝青龍の親方にしろ、理事長にしろ、上に立つ人たちの指導力がなってないということですね。
♠うららさま
ニュースを見ていて笑っちゃいました。大臣のほうが頭が下で、どちらが詫びているのか分かりませんね。
朴訥な田舎の人という感じで、親方に何もいえなかったのでしょうが、よく行政解剖を申し出たと思います。あのまま火葬にしてたら闇に葬られていたところでした。
6月のインタビューで「かわいい子どもを…」と、いけしゃあしゃあと言っていましたが、あんなひどいことをしていたなんて、師匠の資格を剥奪すべきです。