仁左衛門日記

The Diary of Nizaemon

お見立て / 入船亭扇遊

2018年11月09日 | エンタメ
落語『お見立て入船亭扇遊
噺は、「金離れのよい上客、杢兵衛が花魁の喜瀬川目当てに吉原遊郭へとやって来た。しかし、杢兵衛に会いたくない喜瀬川は、"病気で寝ているので会えない"と伝えるよう喜助に頼む。それでも帰らない杢兵衛に喜瀬川は・・・」という内容。
牛太郎の喜助がどれだけ言っても「会いたくない」の一点張り。
せっかく来てくれた客なのに、"あん畜生"と言い出すし、「どれだけ金を使わせたと思ってるんですか」と喜助が言っても、無駄。
終いには、死んでしまったと言えと、とんでもないことを言い出すのだった。
「お待ちしておりました」と二階に上げた喜助もこれでは立場がないだろう。
(^_^;)
この噺は、フランキー堺主演の映画『幕末太陽傳』(1957年/川島雄三監督)のエピソードに使われもした落語で、『居残り佐平次』、『品川心中』などと並ぶ"廓噺(くるわばなし)"のひとつだが、この手の噺を聞くと、面白いのはさることながら、手玉にとられる男の情けなさに同情もしてしまうのだった。
さて、演者の入船亭扇遊師匠は、落語協会所属。
同協会のウェブページによると、"携帯電話も持っていない古いタイプの人間"なのだそうだ。

居残り佐平次 / 三遊亭圓生(六代目)

2018年06月10日 | エンタメ
落語『居残り佐平次三遊亭圓生(六代目)。
噺は、「とある長屋。佐平次という男が、一人あたり一両だけ出してくれればあとは俺が引き受けるからと、仲間四人を誘って品川の遊郭に繰り出した。芸者をあげてどんちゃん騒ぎした翌朝、仲間を帰し、以降は理由をつけては支払いをせず、お直しを繰り返すのだったが・・・」という内容。
医者から転地療養でもしていれば治ると言われ、それで品川宿での居残りを計画したという佐平次。
付き合わされた長屋の連中は一両で随分と楽しめたようだが、佐平次に見込まれて居座られた遊郭にとっては何とも迷惑な話だ。
これは、フランキー堺が主演した映画『幕末太陽傳』(1957年/川島雄三監督)の元ネタの噺で、主人公の佐平次はどちらの物語においても、どうにも図々しい男。
(^。^)
花魁から"いのさん"と呼ばれ、雑用を頼まれては小遣いをもらい、太鼓持ちのように「居残りを呼んでくれ」と座敷に呼ばれては客から祝儀をもらい、重宝がられるようになる佐平次だが、この男はそんなことでは満足できないようだった。
さて、演者の六代目三遊亭圓生(1900年~1979年)師匠はこの噺の枕で、吉原には「下下の下の下が、居続けをする」という古い例えがあると話していたが、居残りというのはさらにその下。
もうどうしようもない奴というわけだ。
(^_^;)

ダイナマイトどんどん

2017年02月12日 | ムービー
『ダイナマイトどんどん』(1978年/岡本喜八監督)を見た。
物語は、「昭和25年の夏。小倉警察署管内ではやくざ組織の抗争が収まらず、物資の横流しもあったことから進駐軍北九州方面米軍司令官(ジャック・デービス)も無関心ではいられないほどだった。対立の中心は任侠一筋の岡源組親分・岡谷源蔵(嵐寛寿郎)とその縄張りを狙う新興やくざの橋傳組親分・橋本伝次郎(金子信雄)。北九州の親分衆を集めて顔合わせをさせた警察署長・岩崎(藤岡琢也)は、いざこざの民主的な解決を求め、やくざの親善野球大会開催を決めたのだった。親分からの召集で"岡源組ダイナマイツ"の結成を知らされた組員達。遠賀川の加助(菅原文太)は、"ばかたれ。わしは渡世人じゃ。棒振り競技に命は張りきらんわい"とまったく興味を示さなかったのだが・・・」という内容。
トーナメント大会開催にあたってのお披露目を街頭で行ったり、ポスターをやたらと張りまくってたり、"筑豊侠友会"というやくざの親睦会のわりには大掛かりなイベントで、ポスターを詳しく見てみると、開催は"豊楽園球場"、参加は"12球団"とも書かれているのが笑える。
ただ、ニコニコと笑顔でチラシを配布している組員ではあるが、いざチラシを受け取らない市民がいると殴りつける。
まぁやくざというのはニコニコ近づいてきたとしても、実態はそんなものなのだろう。
大会は市長が始球式を行い、優勝旗も市長から渡されるというが、リアル社会なら大問題だ。
(^。^)
その"豊楽園球場"というグラウンドは、スコアボードが設置されてはいるものの、内部では橋傳組による野球賭博が行われていて、これには警察署長も賭けているのだから困ったものだ。
また、グラウンドには芝生などというものはなくて土埃が凄い。
時には土埃のせいで画面にそれ以外何も映っていないこともあったほどで、それはゲームの激しさを表現するための演出の一つなのだろうと途中までは思っていたのであるが、映画の終盤になると、打って変わって土埃は一切たたなくなっていた。
どうやらグラウンドに水が撒かれたようなのだが、あまりの土埃の酷さに「役者が映らないんじゃどうしようもないよな・・・」と気が付いたということなのだろうか。
(^_^;)
戦争で負傷して野球ができなくなってしまった元職業野球選手・五味徳右衛門(フランキー堺)、酒にさえ溺れなければ稲尾や白木と投げ合っていただろうという芦刈の作蔵(田中邦衛)といった戦争のせいで人生を狂わされてしまった男達や、利き腕の人差し指を無くしてしまった橘銀次(北大路欣也)をひたすら待ち続けたお仙(宮下順子)等、少し悲しい登場人物が終戦直後の荒々しい社会で生きていく姿を幾分コミカルに描いてもいたナカナカに面白い作品だった。

幕末太陽傳

2016年07月07日 | ムービー
『幕末太陽傳』(1957年/川島雄三監督)を見た。
物語は、「幕末。文久2(1862)年の品川宿。遊郭旅籠"相模屋"に男数人を引き連れた佐平次(フランキー堺)がやって来たが、この男は無一文。当初からすっかり居残りを決め込んでの豪遊だった。すっからかんの懐具合を打ち明けると、主・伝兵衛(金子信雄)と女房・お辰(山岡久乃)によって行灯部屋に移されるものの、元々海が近くて環境が良い品川宿での養生が目的だった佐平次は、要領よく相模屋で勝手に働き始める。何事にも器用に立ち回ることもあって、番頭の善八や若衆の喜助(岡田真澄)らには疎まれるが、遊女のおそめ(左幸子)やこはる(南田洋子)らに重宝がられては、その度に御祝儀を頂戴し、懐を温めるのだった。また、こはるの部屋に居座る尊王攘夷に燃える長州藩士・高杉晋作(石原裕次郎)、志道聞多(二谷英明)、久坂玄瑞(小林旭)らとも交流を持ち・・・」という内容。
この作品が劇場公開されたのは1957(昭和32)年7月14日とのことだったらしいが、同年4月1日に施行された"売春防止法"が翌年に完全実施されたことにより、かつては「北の吉原、南の品川」とも称された旧品川宿の遊郭から続いたその辺り(品川橋通り?)の354年にも及ぶ歴史は、"城南の楽天地 北品川カフェー街と呼ばれる16軒の特飲店"を最後に姿を消したようである。
作品冒頭のナレーションで昭和のその辺りの様子が紹介された後に、本編へと繋がっていくのは面白い演出だった。
(^_^)
主人公の佐平次という男は"お調子者"というか"適当"というか、何事にもへこたれない超前向きな思考の持ち主のようで、行灯部屋に押し込められても「蜘蛛の巣の張り具合がいい具合だねぇ」と、めげる様子が一切ないのには笑ってしまった。
また、女中おひさ(芦川いづみ)に惚れた相模屋の息子・徳三郎(梅野泰靖)から仲の橋渡しを頼まれて手数料を取って引受けるなど儲け放題だ。
(^。^)
落語の演目『居残り佐平次』を元ネタにして作られた物語とのことだが、他にも、遊女のおそめや貸本屋の金造(小沢昭一)といった『品川心中』の登場人物も取り上げられている。
テンポも良く、ナカナカに面白い(モノクロ)作品だった。