仁左衛門日記

The Diary of Nizaemon

アラブの嵐

2016年07月31日 | ムービー
『アラブの嵐』(1961年/中平康監督)を見た。
物語は、「大日本物産社長・宗方達之助(千田是也)が亡くなった。会社の重役達も政子(山岡久乃)をはじめとする宗方家の縁戚一同も孫の堅太郎(石原裕次郎)の相続を快く思わず、パリの支社に彼を転勤させようと企てた。策略にはまり、客船でフランスに向かった堅太郎。重役や縁戚達は厄介払いが成功した安心感から芸者をあげて一席設けたものの、なんと堅太郎が舞い戻り、5,000ドルの餞別も懐に入れられたままとなってしまう。堅太郎が銀座のバーでホステスに囲まれながら祝杯をあげていると、かつて、彼のいい加減な仕事で生じた莫大な損失の責任を押し付けられ会社を解雇されたという木村(葉山良二)に出くわした。偉そうなことを言いながらも結局は祖父が作った温室の中でしか生きられない人間だと指摘された堅太郎は・・・」という内容。
冒頭で、"この映画はパンアメリカン航空の後援で製作されました"と画面いっぱいに表示されていたので、「どうして船なんかでフランスに行くんだろう?」と思ったのだが、これは布石だった。
出港後すぐにちゃっかり下船して戻ってきているし、2度目の出発はちゃんとパンアメリカンの飛行機だった。
(^。^)
機内で知り合った白鳥ゆり子(芦川いづみ)には英語やアラビア語で助けられ、ベイルートの空港では鞄をすり替えられ、カイロでは日本人と見るやいきなり近づいて来たいかにも怪しい中川孝次(小高雄二)に大金を狙われる。
もう少し考えろよと思うのだが、そこがおぼっちゃまたる所以なのだろう。
(^_^;)
亡くなった達之助は遺影のみの登場なのだが、目だけで存在感を示すのが面白い。
また、達之助が堅太郎に残した遺書の「狭き日本を出て、広き世界に生きよ」、「挑まれた戦いに背を向けること勿れ」などといった助言の仕掛けは要所要所で生きてくるし、他国の独立抗争に巻き込まれたあげくの5番目の助言が素晴らしいのだった。
(^_^)
カイロでロケをした作品とあって、微妙な名所巡りの場面も出てきたが、1961(昭和36)年当時はエジプトロケだなんて画期的なことだったに違いない。

幕末太陽傳

2016年07月07日 | ムービー
『幕末太陽傳』(1957年/川島雄三監督)を見た。
物語は、「幕末。文久2(1862)年の品川宿。遊郭旅籠"相模屋"に男数人を引き連れた佐平次(フランキー堺)がやって来たが、この男は無一文。当初からすっかり居残りを決め込んでの豪遊だった。すっからかんの懐具合を打ち明けると、主・伝兵衛(金子信雄)と女房・お辰(山岡久乃)によって行灯部屋に移されるものの、元々海が近くて環境が良い品川宿での養生が目的だった佐平次は、要領よく相模屋で勝手に働き始める。何事にも器用に立ち回ることもあって、番頭の善八や若衆の喜助(岡田真澄)らには疎まれるが、遊女のおそめ(左幸子)やこはる(南田洋子)らに重宝がられては、その度に御祝儀を頂戴し、懐を温めるのだった。また、こはるの部屋に居座る尊王攘夷に燃える長州藩士・高杉晋作(石原裕次郎)、志道聞多(二谷英明)、久坂玄瑞(小林旭)らとも交流を持ち・・・」という内容。
この作品が劇場公開されたのは1957(昭和32)年7月14日とのことだったらしいが、同年4月1日に施行された"売春防止法"が翌年に完全実施されたことにより、かつては「北の吉原、南の品川」とも称された旧品川宿の遊郭から続いたその辺り(品川橋通り?)の354年にも及ぶ歴史は、"城南の楽天地 北品川カフェー街と呼ばれる16軒の特飲店"を最後に姿を消したようである。
作品冒頭のナレーションで昭和のその辺りの様子が紹介された後に、本編へと繋がっていくのは面白い演出だった。
(^_^)
主人公の佐平次という男は"お調子者"というか"適当"というか、何事にもへこたれない超前向きな思考の持ち主のようで、行灯部屋に押し込められても「蜘蛛の巣の張り具合がいい具合だねぇ」と、めげる様子が一切ないのには笑ってしまった。
また、女中おひさ(芦川いづみ)に惚れた相模屋の息子・徳三郎(梅野泰靖)から仲の橋渡しを頼まれて手数料を取って引受けるなど儲け放題だ。
(^。^)
落語の演目『居残り佐平次』を元ネタにして作られた物語とのことだが、他にも、遊女のおそめや貸本屋の金造(小沢昭一)といった『品川心中』の登場人物も取り上げられている。
テンポも良く、ナカナカに面白い(モノクロ)作品だった。