仁左衛門日記

The Diary of Nizaemon

赤穂城断絶

2018年04月19日 | ムービー
『赤穂城断絶』(1978年/深作欣二監督)を見た。
物語は、「元禄14年3月14日 (新暦1701年4月21日)、江戸城では幕府が朝廷の使者を接待していたが、勅使饗応役の浅野内匠頭(あさのたくみのかみ/西郷輝彦)が、江戸城松之大廊下で、高家筆頭・吉良上野介吉央(きらこうずけのすけよしひさ/金子信雄)に斬りかかった。城内で刃傷に及んだ浅野に対し、第五代将軍徳川綱吉(茂山千五郎)が激怒。老中・柳沢吉保(丹波哲郎)は、浅野内匠頭に即日切腹を言い渡し、播州赤穂浅野家は改易、赤穂城を明け渡すよう命じた。吉良に一切の咎めがなかったことに浅野家の家臣達は反発。筆頭家老である大石内蔵助(おおいしくらのすけ/萬屋錦之介)を中心に・・・」という内容。
深作欣二、金子信夫、松方弘樹(多門重共役)、渡瀬恒彦、千葉真一といった名前を見ると、"仁義なき戦いシリーズ"が思い浮かぶのだが、吉良邸討入りのエピソードでは、そのシリーズ作品と同様の迫力があった。
特に、不破数右衛門(千葉真一) と小林平八郎(渡瀬恒彦)の斬り合う場面は結構時間を割いていたように思う。
いうなれば、これも"実録シリーズ"か。
(^。^)
赤穂事件を題材にした忠臣蔵の物語を映像化した作品は、無声映画の時代から数えきれないほどあるらしいが、深作欣二監督は本作品の36年後には2回目の『忠臣蔵外伝 四谷怪談(1994年)という作品を作っている。
日本人は忠臣蔵が好きだから興行的に大失敗がないのかもしれないし、語り尽くされた物語とはいえ、切り口によってはまだまだ飽きずに見られるのかもしれない。
この作品も橋本平左衛門(近藤正臣)、妻・はつ(原田美枝子)、間十次郎(森田健作)といった下級武士やその家族の苦悩について描かれてもいて、そこが良かったのかもしれない。

吸血鬼ゴケミドロ

2017年02月28日 | ムービー
『吸血鬼ゴケミドロ』(1968年/佐藤肇監督)を見た。
物語は、「飛行機内に時限爆弾が持ち込まれたとの警察情報により、羽田空港へ引き返すことになったJA307便は、外国大使を暗殺した殺し屋の寺岡博文(高英男)にハイジャックされてしまう。同時刻、日本領空に未確認飛行物体が侵入し、自衛隊機とアメリカ空軍機がスクランブル発進したのだが、JA307便はその未確認飛行物体とすれ違った際に計器がすべて使用不能となり、2基のエンジンのうち1基が破損。操縦不能の状況となって不時着する。機長は死亡したが、副操縦士・杉坂英(吉田輝雄)、スチュワーデス・朝倉かずみ(佐藤友美)、乗客では寺岡、次期総理大臣候補の政治家・真野剛造(北村英三)、兵器製造会社の重役・徳安(金子信雄)、その妻・法子(楠侑子)、精神科医・百武(加藤和夫)、宇宙生物学者・佐賀敏行(高橋昌也)、ベトナム戦争で夫と死別した未亡人・ニール(キャシー・ホーラン)、時限爆弾を持ち込んだ自殺志願者・松宮(山本紀彦)の10人だけが生き残り・・・」という内容。
羽田空港発伊丹空港行きのJA307便は、爆弾騒ぎで羽田に引き返すことになったものの、ハイジャック犯の指示により沖縄へと向かったのだが、途中、無線機が破壊され、未確認飛行物体のおかげで計器類もすべて使えなくなったことから、一体どこに不時着したのか誰も分からない。
ただ、「高い場所に登って周囲を見渡せばいいじゃないか」と思えるほどに、どう見ても機械的に採掘された跡が丸分かりの景色が見える。
スタッフはあまり良いロケ地を見つけることが出来なかったのだろうか。
(^_^;)
救助が来るまでこの場所を離れない方がいいと言う杉坂の判断は正当な判断なのだろうが、(設定や画像など)きちんと作り込まれていない作品というのは、どうにも陳腐に見えてしまって残念だ(主人公の杉坂が少しマヌケに見える)。
不時着後、謎の宇宙生物ゴケミドロに身体を乗っ取られてしまった寺岡が次々と生存者達を襲い出すのだが、生存者達の人間関係は酷くなる一方。
事件が起きる前は「それにしても嫌な世の中だ。国際紛争は拡大するし、テロが世界中に横行する。現代は狂っとる」などと言っていた政治家の真野が一番どうしようもない人間だったが、あり得ない状況を作った上で、その登場人物を使い、社会や人間を批判しているような演出もあり、ニールの英語の台詞などは、反戦思考の台詞だけが字幕で表示されていたくらいだ。
CGがない時代のずいぶん昔の特撮作品なことから、思わず笑ってしまうような場面もあったのだが、最新VFXを駆使してリメイクすれば、現代でも通用するそこそこ面白い作品になり得るのではないかと思った。

ダイナマイトどんどん

2017年02月12日 | ムービー
『ダイナマイトどんどん』(1978年/岡本喜八監督)を見た。
物語は、「昭和25年の夏。小倉警察署管内ではやくざ組織の抗争が収まらず、物資の横流しもあったことから進駐軍北九州方面米軍司令官(ジャック・デービス)も無関心ではいられないほどだった。対立の中心は任侠一筋の岡源組親分・岡谷源蔵(嵐寛寿郎)とその縄張りを狙う新興やくざの橋傳組親分・橋本伝次郎(金子信雄)。北九州の親分衆を集めて顔合わせをさせた警察署長・岩崎(藤岡琢也)は、いざこざの民主的な解決を求め、やくざの親善野球大会開催を決めたのだった。親分からの召集で"岡源組ダイナマイツ"の結成を知らされた組員達。遠賀川の加助(菅原文太)は、"ばかたれ。わしは渡世人じゃ。棒振り競技に命は張りきらんわい"とまったく興味を示さなかったのだが・・・」という内容。
トーナメント大会開催にあたってのお披露目を街頭で行ったり、ポスターをやたらと張りまくってたり、"筑豊侠友会"というやくざの親睦会のわりには大掛かりなイベントで、ポスターを詳しく見てみると、開催は"豊楽園球場"、参加は"12球団"とも書かれているのが笑える。
ただ、ニコニコと笑顔でチラシを配布している組員ではあるが、いざチラシを受け取らない市民がいると殴りつける。
まぁやくざというのはニコニコ近づいてきたとしても、実態はそんなものなのだろう。
大会は市長が始球式を行い、優勝旗も市長から渡されるというが、リアル社会なら大問題だ。
(^。^)
その"豊楽園球場"というグラウンドは、スコアボードが設置されてはいるものの、内部では橋傳組による野球賭博が行われていて、これには警察署長も賭けているのだから困ったものだ。
また、グラウンドには芝生などというものはなくて土埃が凄い。
時には土埃のせいで画面にそれ以外何も映っていないこともあったほどで、それはゲームの激しさを表現するための演出の一つなのだろうと途中までは思っていたのであるが、映画の終盤になると、打って変わって土埃は一切たたなくなっていた。
どうやらグラウンドに水が撒かれたようなのだが、あまりの土埃の酷さに「役者が映らないんじゃどうしようもないよな・・・」と気が付いたということなのだろうか。
(^_^;)
戦争で負傷して野球ができなくなってしまった元職業野球選手・五味徳右衛門(フランキー堺)、酒にさえ溺れなければ稲尾や白木と投げ合っていただろうという芦刈の作蔵(田中邦衛)といった戦争のせいで人生を狂わされてしまった男達や、利き腕の人差し指を無くしてしまった橘銀次(北大路欣也)をひたすら待ち続けたお仙(宮下順子)等、少し悲しい登場人物が終戦直後の荒々しい社会で生きていく姿を幾分コミカルに描いてもいたナカナカに面白い作品だった。

幕末太陽傳

2016年07月07日 | ムービー
『幕末太陽傳』(1957年/川島雄三監督)を見た。
物語は、「幕末。文久2(1862)年の品川宿。遊郭旅籠"相模屋"に男数人を引き連れた佐平次(フランキー堺)がやって来たが、この男は無一文。当初からすっかり居残りを決め込んでの豪遊だった。すっからかんの懐具合を打ち明けると、主・伝兵衛(金子信雄)と女房・お辰(山岡久乃)によって行灯部屋に移されるものの、元々海が近くて環境が良い品川宿での養生が目的だった佐平次は、要領よく相模屋で勝手に働き始める。何事にも器用に立ち回ることもあって、番頭の善八や若衆の喜助(岡田真澄)らには疎まれるが、遊女のおそめ(左幸子)やこはる(南田洋子)らに重宝がられては、その度に御祝儀を頂戴し、懐を温めるのだった。また、こはるの部屋に居座る尊王攘夷に燃える長州藩士・高杉晋作(石原裕次郎)、志道聞多(二谷英明)、久坂玄瑞(小林旭)らとも交流を持ち・・・」という内容。
この作品が劇場公開されたのは1957(昭和32)年7月14日とのことだったらしいが、同年4月1日に施行された"売春防止法"が翌年に完全実施されたことにより、かつては「北の吉原、南の品川」とも称された旧品川宿の遊郭から続いたその辺り(品川橋通り?)の354年にも及ぶ歴史は、"城南の楽天地 北品川カフェー街と呼ばれる16軒の特飲店"を最後に姿を消したようである。
作品冒頭のナレーションで昭和のその辺りの様子が紹介された後に、本編へと繋がっていくのは面白い演出だった。
(^_^)
主人公の佐平次という男は"お調子者"というか"適当"というか、何事にもへこたれない超前向きな思考の持ち主のようで、行灯部屋に押し込められても「蜘蛛の巣の張り具合がいい具合だねぇ」と、めげる様子が一切ないのには笑ってしまった。
また、女中おひさ(芦川いづみ)に惚れた相模屋の息子・徳三郎(梅野泰靖)から仲の橋渡しを頼まれて手数料を取って引受けるなど儲け放題だ。
(^。^)
落語の演目『居残り佐平次』を元ネタにして作られた物語とのことだが、他にも、遊女のおそめや貸本屋の金造(小沢昭一)といった『品川心中』の登場人物も取り上げられている。
テンポも良く、ナカナカに面白い(モノクロ)作品だった。

第三の影武者

2014年08月01日 | ムービー
『第三の影武者』(1963年/井上梅次監督)を見た。
物語は、「戦国時代の飛騨。二宮杏之助(市川雷蔵)は父・三右衛門(浅野進治郎)、兄・竜平(伊達三郎)と共に百姓をして暮らしていたが、二宮は系譜をたどることが出来る地侍の家系であり、杏之助は常日頃から一国一城の主になることを夢みている若者だった。ある日、訪ねてきた篠村左平太(金子信雄)によって召抱えられることになったのだが、それは三谷城の城主・池本安高(市川雷蔵/二役)の三番目の影武者としてだった。元々顔かたちが安高に酷似している杏之助に3ヶ月ほどの間、厳しい訓練が課せられた結果、ついには安高の側近すらも見極めがつかぬほどにまでなり・・・」という内容。
影武者の存在は、軍監と限られた世話係の数人にしか知られていない存在のようだったが、流石に側室である小萩(万里昌代)に知られないようにすることは無理があるだろう。
(^_^;)
また、安高は左足が幾分不自由なので、多少足を引きずるように歩く様や、肘掛に手をついて立ち上がる仕草等、影武者達は殿の立ち居振る舞いをすべて完璧に習得しなければならないので、大変だ。
さらには、合戦の最中に流れ矢が安高の左眼に突きささり失明すると、影武者達の左眼を手術によってつぶさなければならないという話になってしまうのだから、そうなると幾ら待遇を良くしてあげるから等と言われても逃げ出したくもなるだろう。
召抱えられた時にはそこまでの覚悟はもっていなかったはずだ。
さて、市川雷蔵(1931年~1969年)という人の名前は聞いたことがあったものの、出演作品はこれまでマッタク見たことがなかった。
随分と昔に亡くなった人のようだったので調べてみると、元は歌舞伎役者・八代目市川雷蔵として活躍し、その後映画俳優に転身した人のようだった。
主演男優賞等若くして随分と沢山の賞を受賞してもいたようなので、37歳というまだまだこれからの年齢で亡くなってしまったのは残念だ。
そして、今年は市川雷蔵映画デビュー60周年なのだそうで、CSテレビ局ではやたらに出演作品を放送していることから、最近何となく気になって数作品を見ているという次第なのである。
(^_^)

仁義なき戦い / 代理戦争

2013年04月26日 | ムービー
シリーズ第3作『仁義なき戦い/代理戦争』(1973年/深作欣二監督)を見た。
物語は、「昭和35年の広島市。白昼の繁華街で暴力団・村岡組の杉原が殺害される。入院中の組長・村岡常夫に代わり、弟分の打本組・打本昇(加藤武)が仇を討つのが順当と目されたが、まったく動こうとしないことから周囲も呆れ、誰も打本を空席となった跡目に押そうとしなかった。呉市の山守組・山守義雄(金子信雄)は、かつて仲たがいした広能昌三(菅原文太)を再び抱え込み広島市の様子を探ろうと、大久保憲一(内田朝雄)から仮出所中の広能の後見人の立場を譲り受けるなどし、その後に引退を決めた村岡常夫からまんまと村岡組の縄張りと子分を引き受けることになる。一方、村岡組を継承することができなかった打本は・・・」という内容。
この抗争を冷戦時代のアメリカ対ソ連という構図のもとに起きたベトナム戦争になぞらえ、"代理戦争"と位置づけているのだが、物語が進むにつれ、広島での神戸代理戦争どころか、その争いは代理の代理ともいうべき岩国にまで広まってしまう。
登場人物がやけに多くて分かりにくいのに加え、第1作『仁義なき戦い』(1973年/深作欣二監督)で死んだはずの顔ぶれ(俳優)が別の役柄になって出演していることもあってか、何だか余計に複雑に感じてしまう。
渡瀬恒彦(倉元猛役)は、役柄を変えて出演した俳優の一人のはずだが、第1作で演じた有田俊雄というキャラクターが余りに異常過ぎてとても強い印象が残っていたからか、本作での倉元猛という役柄がおとなし過ぎて、随分ともったいなく感じた。
もっと異常な狂気に満ちた役柄があれば、さらに演技を楽しめたかもしれない。
物語の最後には、「戦いが始まる時、まず失われるものは若者の命である。そして、その死はついに報われた試しがない。こうした死を積み重ね、広島やくざの抗争はさらに激しく拡大の一途をたどっていったのである」というナレーションが流れたが、この言葉が示すとおり、このあとも延々と、第5作まで抗争が続くようである。